東日本大震災の1年前だった。マチの商店会とラジオ福島が共催して、平・一町目のT1ビルでチャリティーセールを開いた。
文房具店のブースでは万年筆の無料診断が行われた。ちょうどいい機会なので、インキの出が悪い万年筆を診てもらった。
ペンドクターが問診をしたあと、「これはソフトペンですから、力を入れたらインクが途切れたり、二重になったりします」といって、古くなったペン芯を交換し、カートリッジインキを1本差し込んでくれた。
すると、万年筆が生き返った。すらすら字が書ける。交換した部品も、カートリッジインキも無料だという。
悪いので、ブルーの12本入りカートリッジインキを買った。こちらもチャリティー価格で100円引きだった。
その後何度かカートリッジインキを買い替えた。それが切れたので、先日、同じ文房具店へ買いに行った。12本入りはどこにも見当たらない。しかたがない、5本入りを3箱買った=写真。
それからほどなく、全国紙にメーカーの全面広告が載った。斎藤孝明明治大学教授が「手書き」を大切にする理由をつづっている。
キャッチコピーにそれが出ている。「書くことで、先人の精神を/身体に刻む。それが学びです」
ほかに、「手書きの文字が伝えるのは/単なる『情報』だけではない」「自分で知識を“捕まえ”にいく、/能動的な行為に意味がある」とも。
「身体に刻む」ことの重要性は、体験的にわかる。拙ブログに書いた文章を再構成して紹介する。
――アナログ人間である。その人間がデジタル社会のなかで何を心に留めているかというと、メモは「手書き」で通すこと、これだけ。
書くということは、自分の脳内に文字を浮かび上がらせ、腕から手、指へと伝え、鉛筆あるいはボールペンを使ってそれを紙に記す、きわめて肉体的な行為だ。その行為の繰り返し、経験が体に蓄積されて次に生かされる、と私は思っている。
私は、パソコンを「外部の脳」、自分の脳を「内部の脳」と区別して考える。キーボードをたたいて、外部の脳に文章の処理を任せるようになってから、内部の脳はすっかり書くことから遠ざかった。
人間の脳は、使わなければ退化する、パソコンやスマホが普通になった今、人間の脳はこれから小さくなっていくのではないか、といった危惧を抱かざるを得ない。それを避けるために、意識して実践しているのがメモ(日録)の手書きだ。
「書く」ことをやめて、外部に映る漢字を「選ぶ」だけになった結果、漢字がどんどん自分の脳からこぼれ落ちていく。
書く習慣が薄れると考える力も衰える。アナログ人間だからこそわかるデジタル文化の落とし穴といってよい――。
万年筆のカートリッジインキを買い、斎藤教授の文章を読んで、あらためて手書きの効用を胸に刻む。
0 件のコメント:
コメントを投稿