予想もしなかった「知らせ」だった。日曜日の夕方、いつものように魚屋さんへ刺し身を買いに行くと、店主が目の前の棚に置いたファイルを見せながら、「7月25日で店をやめます」
びっくり仰天、とはこのことだ。父親が死んだときよりショックだった。あのときは、夜更けに実家から電話がかかってきた。連休を利用して泊まりに行き、わが家へ戻って5時間後のことだった。
「あのあと、じいちゃん(父親)の具合が急に悪くなって駄目だったの」と、義姉が沈んだ声で告げた。その義姉も今は彼岸へ渡った。
ざっと40年、日耀日の夕方は刺し身と決めて、車で5分ほどの魚屋さんへ通い続けた。息子さんが当主になってからだけでも30年がたつ。
65歳。私よりは一回り若い。が、体調が万全ではなくなった。腰痛が年々、悪化してきたという。
それを聴いて、カミサンが応じた。「ウチ(米屋)と同じ」。カミサンの実家は何代か続く米穀店だった。幕末にはお城(磐城平城)で食べる米を精米していたそうだ。
それが去年(2024年)の10月末、米の新年度に合わせて廃業した。理由は魚屋さんと同じ。当主である義弟の腰痛悪化だ。
歩いて行き来できる範囲にあった商店(雑貨屋・八百屋・床屋など)が、もう何十年も前から次々に廃業し、いつの間にか道路沿いには空き家・空き地が目立つようになった。
その流れがわが家にも、そして行きつけの魚屋さんにも及んだ。創業から70年。まず親類に伝え、取引業者に連絡したあと、順次「お得意さん」に知らせることにしているという。
日曜の夕方はカツオの刺し身、カツオがないときにはあるもので、そして最近はカツオやタコ、ヒラメなどの刺し身の盛り合わせを楽しむ。
しかも顔を見てから、冷蔵庫からネタを出し、マイ皿を受け取って刺し身を作り、盛り付けてくれる。
6日はカツオをメーンに、タコ、ホタテ貝、皮付きアイナメ(たぶん)が並んだ=写真。ホタテ貝はサービスだったかもしれない。
カミサンは毎日、何を作ろうかと頭を悩ませている。それが、日曜の夕方だけはおかずを考えなくていい。その意味では、かけがえのない日曜日の食文化、至福のひとときでもあった、
閉店まで、日曜日はあと2回。問題はそのあと、どうするかだ。車で5~10分の近所といえば、スーパーしかない。鮮魚コーナーにはパックに入った刺し身が並んでいるが……。
これと、これと、これ。マイ皿に刺し身を盛り付けてくれるような、融通の利く店が近くにはないものか。
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