2013年11月11日月曜日

紅葉の会津へ

会津若松市の芦ノ牧温泉で一夜、同級生7人が酒杯を傾けた。東日本大震災から8カ月後、「風評被害に苦しむ観光地を支援しよう」と東山温泉を訪れた。ちょうど2年ぶりの会津行だ。ホテルの対岸の紅葉が見事だった=写真

いわきからは私と幹事役の2人、あとは郡山市と首都圏からの参加だった。いわき組は磐越道を利用し、翌日、全員で大内宿を再訪したあと、国道118号(須賀川市)~国道49号経由で帰ってきた。

前にも書いたことだが、震災前と後とでは風景が違って見える。風景はいつも“情報”で満たされているのに、それに気づかないか、鈍感だった――その典型が送電鉄塔だ。

福島県南部の阿武隈山中には、何系統か東電の送電鉄塔が立つ。いわき市三和町。頑丈な鉄塔に支えられた送電線が磐越道をまたいでいる。今は双葉郡にある原発からの送電線だと、はっきり認識するようになった。

大内宿。丘の中腹から宿場を見下ろしたら、その奥のスカイラインに送電鉄塔が見えた。こちらはJパワー(電源開発)のものだろうか。近世と近代が同じ視野のなかにある矛盾にとまどった。

今回も車の運転は幹事まかせだった。助手席でのんびり景色を楽しんだ。初日夕刻、会津若松市内に入るとすぐ大熊町の応急仮設住宅の表示が目に入った。そうだ、大熊町の人たちが避難しているのだ。町役場の後輩もここで頑張っていたのだ――ゆるんでいた気持ちがシャンとなった。

奥羽山脈の東側、須賀川市では「除染」の表示が飛び込んできた。須賀川の除染問題は、浜通りにはほとんど伝わってこない。県南でも放射能に苦しめられている――そのことを痛感した。

地震にも遭遇した。11月10日朝7時38分。温泉のホテルで朝食の時間を待っていると、“めまい”がした。仲間も同じだったらしく、すぐ地震だと知る。かすかだが、長い揺れが続いた。とっさにいわき市の、そして原発の様子が気になった。震源は茨城県南部、筑西市で震度5弱だった。

帰宅してそのときの様子を聴くと、「怖かった」という。「心配になったけど、テレビで震度2と知ってホッとした」「なに言ってんの、心配ならなんで電話をくれなかったの」。地震の怖さは一人でいると倍になり、夫婦でいると半分になるらしい。

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