「大熊で『ジイ』に会う」といっても、私ではない。カミサンだ。大熊町から近所に避難していたお年寄りのことである。身内から「ジイ」と呼ばれていたので、私たちも「ジイ」と呼んでいた。
そのジイが2019年秋、同町の大川原(おおがわら)地区にできた復興住宅に引っ越した。
もともとの家は帰還困難区域の中にある。町内にはそれを告げる看板が立つ=写真。町へ戻るとき、「自分の家に帰るわけではない」といっていたのが忘れられない。
引っ越してから11カ月後。なにかの用事でいわきに来た。カミサンが家の前でばったりジイに会った。家に招き入れ、お茶を飲みながら帰還後の話を聞いた。
写真2枚を置いていった。1枚は復興住宅の前に植えられたヒマワリの写真だった。いわきでもそうしていたように、「花咲かじいさん」ぶりは健在のようだ。
ジイとは別に、やはり近所で避難生活を送っている女性とカミサンが昵懇(じっこん)になった。
ある日、女性の車に同乗して、カミサンが大熊町を訪ねた。女性の家はジイと同じように帰還困難区域にある。
女性の用事がすんだあと、2人で大川原の復興住宅にジイを訪ねた。カミサンがジイと再会するのは4年半ぶりだ。
最初はピンとこなかったようだが、平の避難先の話をすると思い出した。家の中に招かれ、近況を報告し合った。
カミサンから聞いた話で「ついに」と思ったことがある。車の運転免許を返納したという。
平から大熊へ戻ってからも、常磐道を利用していわきへ買い物に来た。前に平で会ったときにはこんな話をしていた。
「車がないとどこへも行けない。運転免許を更新したばかり。さすがにもうダメ、といわれるかと思ったが、あと3年は大丈夫」と笑った。
そのころ、拙ブログでおおくままちづくり公社が発行した「大川原マップ」に触れていた。
――大熊の大半はまだ帰還困難区域、そして事故を起こした1Fの周辺、国道6号から東側はあらかた中間貯蔵施設だ。
町の西部と中部の南半分、中屋敷(ちゅうやしき)・大川原地区だけが避難指示を解除された。
大川原地区復興拠点はその中のほんの一部、山麓線と常磐道の間にはさまれた小さなエリアにすぎない。
その時点での大熊の復興の流れを「年表」風に振り返ると、2019年3月31日、常磐道大熊ICが開通。同4月10日、中屋敷・大川原地区の避難指示が解除。同5月7日、大川原の復興拠点にできた町役場新庁舎が業務を開始。
2020年3月5日、JR大野駅周辺の避難指示を解除、一部地域の立ち入り規制が緩和される。常磐線浪江―富岡間が開通、9年ぶりに全通するのに併せ、大野駅も同14日に再開した――。
今回もジイからお土産をもらった。100歳を超えてもかくしゃくとしているという。その意味では、免許返納は「一大決心」だったのだ。
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