2009年1月21日水曜日

勿来八景の話


旧知のいわき市勿来支所長氏から電話が入った。江戸時代に磐城平藩を治めていた内藤家の「殿様」の俳句について教えてくれ、という。教えるほどの知識はない。が、休日は学際集団(いわき地域学會)のなかで江戸時代末期の俳諧を調べてきた。

支所長氏がいう元禄時代の俳諧については、研究している先輩がいる。その先輩の手ほどきで、出羽の国に生まれ、磐城平の山崎村にある専称寺で長年修行し、やがて江戸へ出て宗匠になった幕末の俳僧一具庵一具(1781~1853年)と向き合ってきた。今に続くライフワークでもある。

支所長氏は「一字だけ分からないものがある」と、松尾芭蕉のパトロンだった内藤露沾にからむ勿来の俳句を持ち出した。昨秋、公民館の副館長氏から、「殿様」が中国の「瀟湘八景」をまねて呼んだ「大高(窪田)八景」、今流にいえば「勿来八景」について問い合わせの電話が入った。その延長線上での話である。

きのう(1月20日)午前、いわき駅前の再開発ビル「ラトブ」内にある総合図書館の4、5階を行ったり来たりしながら、元の資料である天理図書館綿屋文庫の『露沾俳諧集 上』(原本の写真版)を開き=写真、その一字と一句の読み・解釈を考えた。崩し字は、私は読めない。が、推測はできる。

  大嶋夜雨
香を焼(た?)く簾の聲も水鶏(くひな)哉 昨非

支所長氏の質問は下の句の「水鶏」の「鶏」についてだった。「何と読むのか」。最初は「鶏」が「鶴」に見えた。「水鶴」という当て字は、しかしどの図鑑・辞典にもない。句の構成からいって「水鶏(くいな)」以外にはあり得ない。その確証を得るために、先輩のもとへ駆けつけたら、一発でけりがついた。「水鶏」でいいという。

ちなみに「勿来八景」は大嶋夜雨のほか、大高朝霞・関田晩鍾・湯嶽晴雪・平潟帰帆・小浜夕照・佐糠落雁・中田秋月である。

昨秋、勿来図書館で「勿来八景写真展」が開かれた。引き続き、勿来支所であさって(1月23日)まで同展が開かれている。その新聞記事を読んでがっかりした。内藤露沾が「俳諧大名」だって!                                   
 
父親の風虎は確かに「俳諧大名」だったが、露沾はついに大名にはなれなかった。新聞に再び間違いが載るようになって、血圧が上がった。

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