2009年1月31日土曜日

伊達な宝物


仙台市博物館=写真=の目玉展示物は伊達家寄贈の文化財だ。仙台市は伊達正宗が立藩した仙台藩62万石の城下町。その殿様が代々受け継いできた文化財を保管・展示・研究するため、昭和36(1961)年、仙台城の三の丸跡地に博物館が開館した。

仙台藩の表高は62万石といっても、実高は100万石を超えていた。台所事情が悪いはずはない。展示の史料・文物に圧倒された。正宗が愛用したというきらびやかな具足(甲冑・鎧・兜)がある。胴にポシェットが付いているのを、案内ボランティアと思われる女性に教えられた。ちり紙と血止めの薬草を入れていたという。

ついでに、「なんで『ちり紙』なのかというと、紙を漉くときに『ちり』(かす)が出ます。それを捨てずに洟をかむ紙を漉いたんです。それで『ちり紙』といいます」。

仙台藩62万石、磐城平藩10万石(最初の鳥居家の時代)。その実力差を感じさせられるような施設の質量だった。

宮城県美術館も大きかった。いわき市美術館の比ではない。開催中の「ライオネル・ファイニンガー展 光の絵画」を見、常設展と西隣に併設されている佐藤忠良記念館をのぞいた。3つを丹念に見たら1時間では足りない。最後は疲れて早足になった。

ライオネル・ファイニンガー(1871―1956年)はドイツ系移民の子としてニューヨークで生まれた。渡欧し、新聞に諷刺画(カリカチュア)を描いて人気を博した。パリでキュビスムに出合い、光に満ちた半抽象的な絵画を描くようになる。

プリズムを通したような、分光された家と空、澄んだ色づかい。誰かもこんな絵を描いていたな――。スペインにいるいわき出身の画家阿部幸洋がとっさに思い浮かんだ。行きつくところまで行くと画家は「光の絵画」を描くようになるらしい。

さて、せんだいメディアテークも含めて仙台の市立博物館、県立美術館の3施設を視察しながら思ったのは、いわき市美術館の狭隘さと、宙に浮いたいわき市の総合博物館構想だ。

「ハコもの」としての博物館建設はおそらく財政的な問題があって無理だろう。とすれば、総合博物館的な機能をどう持たせるか。美術館増築と併せて検討すべきではないか、と考える人もいる。そのへんが議論の出発点になるのだろうと、あらためて思った。

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