2009年1月16日金曜日

社会保険事務局から電話


おととい(1月14日)、家で仕事をしていたら、カミサンが電話の子機を持って来た。「福島社会保険事務局だって」。若い女性が「先日、厚生年金支給の手続きをされましたね」と言う。「したけど、何か」

ここから面白くなった。地元の平社会保険事務所ではノーチェックだったが、会社に入る前の記録があるという。あって当然だ。めんどくさいからほうっておいたが、21歳のとき、大阪万博の駐車場で3カ月ほどアルバイトをした。そのとき、厚生年金保険料の個人負担分を天引きされていた。

電話の向こうで、記録とこちらの記憶があっているかどうか、探りを入れているのが分かる。最初は20歳前後の建築作業員のときのことしか思い浮かばない。「霞が関ビルとか京王プラザホテルとかの高層ビル建築現場で働いたけど。ん、駐車場? あっ、大阪万博だ」

大阪万博は昭和45(1970)年3月14日に開幕した。終幕は半年後の9月13日。そこの駐車場でアルバイトをした。おじが東京で駐車場を経営する会社に勤めていて、近所の下宿で2カ月以上もくすぶっていた私に大阪行きを勧めたのだった。

そのころのことを思い出すと気持ちが高ぶる。時代のキーワードはロックアウト・投石・機動隊・催涙ガス・カルチェラタン……。個人的には東京漂流・「現代詩手帖」への投稿・パスポートを持った沖縄渡航、そして就職のための断髪。その折り返し点あたりにエキスポ(万博)と大阪生活があった。

記録と記憶が重なったことを確認して、電話の女性は「年金の記録に加えます」。願ってもないことだ。私の場合は、なんとなくもやもやしていたものが行政当局のチェックですっきりした。

団塊の世代はあのころ、そんなアルバイトを普通にしていたのではないか。3カ月ほどだったが、40年前の記録が残っていて年金に加算される――青空に浮かぶ綿雲=写真=のような、ほっかりした気分になった。

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