2009年9月2日水曜日

少年と黒柴


朝晩の散歩では、すれ違う人がだいたい決まっている。いつも首からデジカメをぶら下げている。相手はおかしなやつだと思っているかもしれない。

が、あいさつする人・しない人、カメラに興味を持って声をかける人・しない人、向こうからあいさつする子どもと、つられてあいさつする若い親と、すれ違うときの反応はさまざまだ。

そのなかの一人。夕方の散歩時、すれ違ったり、一緒に同じ方向へ向かったりする少年がいる。飼い犬の散歩当番らしい。犬は黒柴。ときどき話をするようになった。

私は、犬も猫も嫌いではない。が、猫かわいがりはしない。猫なら猫一匹、犬なら犬一匹――飼うとすれば、それ。たとえば、猫が二匹以上になると匂いづけ・ひっかき・排せつ・吐き出しと、家の中が汚れて頭をかきむしりたくなる。わが家の現実がそうだ。

そんな私にも犬のはやりすたりは感じられる。黒い柴犬がはやりらしい。少年の家だけではない。わが家の斜め前の家にも、数カ月前に黒柴がやって来た。某政党機関誌の日曜版に連載中の漫画にも登場する。主な登場人物は田舎暮らしを始めた漫画家の夫と妻、妻の両親。そこに、家族の一員として黒柴が加わった。

さて、少年の話。年のころは十代後半。きちんとあいさつができて、素直だ。たまに「きょうは何を撮りました?」と興味を示す。撮ったものがあるときはデジカメのモニター画面を拡大して見せる。「何にも撮ってない。そうだ、黒柴を撮ってやろう」「ありがとうございます」となったのが、きょうの写真。

前に、猫ではなく赤柴の雑種を飼っていたことがある。15年以上生きた。この赤柴を車に乗せて夏井川渓谷の森へ連れて行くと、野性を取り戻した。縄文時代の犬はこうだったのではないか、とよく思ったものだ。この赤柴の思い出が少年の黒柴に重なって、犬をかわいいと思う気持ちがよみがえりそうになった。

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