2009年9月19日土曜日

夢二の猫


きょう(9月19日)はこれから成田へ向かう。初めての海外旅行だ。同級生6人プラス奥方1人が、スウェーデンに住む仲間の病気見舞いを兼ねてフィヨルドを観光する。還暦記念の第二の修学旅行でもある。帰国するのは25日。というわけで、20~25日まで「磐城蘭土紀行」はお休みといたします。どうぞご寛恕を。
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さて、きのうはネズミの話だったので、きょうは竹久夢二の猫の話をしたい。夢二の代表作といえば、「黒船屋」(黄八丈の着物を着た女性が黒猫を抱いている絵)だろう。

ゆめ・たけひさ(むろん竹久夢二)の〈猫のやうな女〉(昭和3年)というエッセーの冒頭部分にこうある。

「おそらくヴァン・ドンゲンの画(か)く女ほどすぐ猫を連想させる女はあるまい。ドンゲンを黒猫とすれば、ロオランサンは白猫だ。ドンゲンの黒猫にはしつこさが足りない。ロオランサンの白猫にはかはいさが足りない。これは(略)彼と彼女の性情の相違と考へられる」

「黒船屋」の猫を抱く女のポーズは、女の左肩に右足をかけた猫の形といい、黒猫を支える女の右手の指の形といい、マリー・ローランサン(1883~1956年)の「黒猫を抱く女」にそっくりだ。ヴァン・ドンゲン(1877~1968年)の「猫を抱く女」は女が左手を下に添えて白いぶち猫を抱く。猫は正面を向いている。女はいずれも上半身のみで一糸もまとっていない。

「黒船屋」はドンゲンの絵を参考にしたといわれる。が、ローランサンの絵も頭にあったのではないか。夢二のエッセーからは、そのへんの事情が読み取れる。

ドンゲンの描く女は猫を連想させる、それも黒猫。ローランサンのは白猫――「猫のような女」がいるなら「女のような猫」もいるだろう、と見回したら、いた。わが家の雌猫だ。まるで「横たわる裸婦」。よくよく見れば「食っちゃ寝、食っちゃ寝」の豊満さと妖艶さが漂う=写真。目がやや緑色がかっているのも妖しさを誘う。
                  
北欧から帰ると、翌日(9月26日)には野口雨情記念湯本温泉童謡館で、8月に続いて竹久夢二の話をしなければならない。8月は「夢二と福島の人々」を中心に話した。今度は主に世紀末芸術との関連で話を進める。猫の話もする。そのためのレジュメを大急ぎでつくった。行き帰りの機内で目を通しておくことにしよう。

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