2009年9月3日木曜日

45年ぶりの写生会


自宅近くの神谷公民館で月2回開かれている市民教室「基本のえんぴつ画」が5カ月目に入った。10月に終了する。

先生から出される課題が少しずつ複雑になってきた。カットグラスやナスなどの模写ならなんとかついていけたが、目の前にある樹木や風景をスケッチするとなると、〈難しい〉〈そこまでのウデがない〉ことを痛感する。それでも我流で挑戦するしかない。

ウデがないのだから、細かいところはグシャグシャやってごまかす。先生はそのグシャグシャさえもほめる。いや、全員をほめる。

元学校の美術教諭、そして小・中の何校かで校長を経験して退職した女性だ。小学校長のとき、連絡を受けてあるクラスの担任と会い、先生たちの研究授業のための材料(コラム)をつくったことがある。コラムに基づいて先生が授業を展開するという面白い経験をした。

しかし、それと「えんぴつ画」教室は無関係。キノコのスケッチ力をつけたいと思っていたときに、案内チラシを見たら、講師はそのときの校長先生だった。

写生会は「基本のえんぴつ画」の仕上げのようなものだろう。台風11号が東海上にそれたおととい(9月1日)、公民館の周辺という条件でスケッチに出かけた。目指すは平六小そばの、旧大場医院。建物が和洋折衷なのか変わっている。診療所は小道をはさんだ南側、北側にあるのは病舎=写真=か。とにかくどちらかの建物を描きたかったのだ。

小・中学校の写生大会の記憶が強く残っている。たとえば、小4。校庭から見える町並みも、田んぼも、山も、空も、全部描こうとして失敗した、と思った。そのとき、よそのクラスの先生に言われた言葉がある。「うまく描こうと思わないこと。下手でいいの」

中3のときにも同じ経験をした。寺の境内から見える風景を全部描こうとして失敗した。画用紙を破いた。それから近くの文房具屋へ走って画用紙を買い、制限時間ぎりぎりになって、寺の建物、それも濡れ縁と天井、板壁だけの絵を描き上げた。

以来、45年ぶりの写生会。この二つの経験が、あれもこれも描きこまないように教える。が、いすまでは思いが及ばなかった。以前から「えんぴつ画教室」を受講している人は、携帯いすでゆったりスケッチしている。こちらは小・中生と同じジベタリアンだ。

1時間ほどでは細部まで描ききれない。次回に仕上げることになった。先日、思い切って色鉛筆とクレヨンを買った。色を染めてみようか、などとちょっぴり欲が出てきたのも、自然のなりゆきか。

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