2009年9月8日火曜日

魚と大シケ


魚屋さんが「カツオのひやまはすぐにはできない、つくるのに30分はほしい」というので、カミサンがあらかじめ電話を入れたら、「きょうは売り切れ」。カツオがないのだという。年に一度くらいはこういうことがある。しかたない。サンマの刺し身に切り替えた。

なぜ量が少ないのか。海が安定していて、海水温が変化しないからだという。それが直接の原因なのかどうか、魚屋さんは台風の話をした。

最近は台風が上陸しない。上陸すれば、近海は大シケになる。すると、海がかき回されて海水温が変化する。風呂を沸かしたときにかき回すと、上のお湯と下の水が混じり合って温度が変化する。原理は同じだ。シケのあとはそれで、いろんな魚が捕れる。台風は、さわればたたる怖い神には違いないが、いい土産を置いていくありがたい旅人でもあるのだ。

年に3回くらいは、神様が“かんまかし棒”を持って海をかき回していたのが、どうしたのだろう、最近は――ということのようだ。海=写真=も「見えざる手」に触れられていて、時に優しく、時に激しくゆさぶられる。凪のときもあれば、大シケのときもある。それで海のいのちが維持されているのだろう。

話を聞いているうちに、井上靖の「十月の詩」という詩を思い出した。
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はるか南の珊瑚礁の中で、今年二十何番目かの颱風の子供たちが孵化しています。

やがて彼等は、石灰質の砲身から北に向って発射されるでしょう。

そのころ、日本列島はおおむね月明です。刻一刻秋は深まり、どこかで、謙譲という文字を少年が書いています
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台風の見方が少し変わった。歓迎すべきものではもちろんないが、自然の猛威を静かに受け止め、やり過ごせば、ちゃんと恵みがある、という経験則が漁業者にははたらいている。こういう自然観を大事にしたいものだ。

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