2026年9月19日土曜日

天気のことわざ

                                            

 新聞の読書欄に天気に関する本が複数紹介されていた。図書館にあるかどうか、ホームページを開いてチェックした。

 猪熊隆之『天気のことわざは本当に当たるのか考えてみた』(ベレ出版、2023年)があった=写真。

 著者は気象専門会社を経営する山岳気象予報士だとか。パラパラやると、子どものころから耳にしてきた天気のことわざが取り上げられていた。

 「猫が顔を洗うと雨」とか、「カマキリが高いところに卵を産みつけるとその冬は大雪」などのことわざに対する評価が5つの「★」で表示される。2つとも★1つ、つまり根拠はない、という評価だった。

 大人が口にするのを聞いて、すっかり刷り込まれたことわざがある。それを3つほど、評価と合わせて紹介する。

 「ツバメが低く飛ぶと雨」。根拠として2説があるようだ。A説。ツバメが食べる蛾やハエなどは、空気が湿ると翅に水分が付いて重くなり、高く飛べない。結果としてそれを追うツバメも低く飛ぶ。

もっともらしい説だが、と著者は言う。虫の翅には非常に多くの細毛があり、雨粒すら弾く。それより小さな水蒸気が、虫が飛べなくなるほどくっつくのだろうか――。

日本の夏は晴れていても湿度が高い。夏のツバメはいつも低いところを飛んでいるかというと、そうでもない。

B説。虫は気圧や湿度の変化などから「雨が近づいたな」と感じたら、葉っぱの裏側にすぐ隠れられるよう地面近くを飛び、それを追いかけるツバメも低く飛ぶ。これも断言できない。★はともに3つだが、B説はそれなりに信ぴょう性がありそうだとか。

「朝焼けは雨、夕焼けは晴れ」。日本の上空は夏を除いて偏西風が吹いている。高気圧や低気圧はそれで西から東へと進む。

朝焼けは東の空に雲が少なく、水蒸気が多いときに起きる。しかし、雲が多いときにも起きる。

羊雲や鱗(うろこ)雲が多いと朝焼け・夕焼けになるが、天気が崩れることも多くなる。西の空の場合はその後も好天が続く。夏や冬は、このことわざは通用しない。

★は3つ。当たることもあるが、はずれることもある。美しい朝焼けはその後の空の変化に注意が必要だそうだ。

「暑さ寒さも彼岸まで」。東日本から西日本までは秋分の日を過ぎると、真夏日はほぼ出現しない。その意味では当たっていた。

が、温暖化や都市のヒートアイランド現象が進んだ現在、仙台市など東北地方では当てはまるものの、関東以西では、10月上旬でも真夏日になることが珍しくなくなった。関東から西日本では★3つ、北日本・北陸・長野県は★4つだとか。

さらに温暖化が進むと、このことわざの該当地域は北へ、標高の高いところへと移動するかもしれないという。

このところ曇雨天が続いて、一日に何度も天気予報をチェックする。間もなく秋分の日。早くも寒さを感じるようになって、晩酌(焼酎)は水ではなくお湯割りが増えた。

2026年9月18日金曜日

異常な長雨

                   
 8月下旬から曇雨天が続いている。きのう(9月17日)のように晴れる日もあるが、朝起きて空を見上げると、鉛色の雲が全天を覆っている。やがて降ったり、やんだりを繰り返す。まるでカンボジアの9月のようだ。

14年前のシルバーウイークに、同級生と一緒にベトナムとカンボジアを旅行した。雨季の終わりに近かった。傘をさしてアンコールワットやバンテアイスレイなどの遺跡を見学した=写真。

雨季の終わりだからこそ雨が激しく降る。曇っては雨、やんでは青空がのぞくものの、すぐまた雨になる。

傘をさしていても衣服がたちまち雨にぬれ、汗と混じってびしょびしょになった。カンボジアは「雨の国」だった。そして、暑かった。

日本も夏は高温多湿になる。が、カンボジアは別格だ。とにかく雨が多い。日本の秋の長雨に、つい「カンボジア並みではないか」と気が滅入る。

それだけではない。いわきの平地では春・夏・秋のあと、ちょっと寒い秋になり、そしてまた春がくる。

浜通り南部のマチは冬がないに等しい。あっても短い。阿武隈高地生まれの人間は若いころ、そんなふうに思ったものだ。

それに加えて温暖化が進み、このごろは四季から二季、いわば乾季と雨季に向かいつつあるのではないか、という懸念をぬぐえない。いよいよカンボジアの9月を思い出す。

秋の長雨が農作物に影響を与えている。田んぼに機械を入れられるかどうか、いつ稲を刈ったらいいか、農家では苦慮していることだろう。

県紙によれば、農作物の一部に生育不良がおきている。畑の土が乾かないため、冬野菜の苗の植え付けが大幅に遅れている。根腐れも例年の2倍に及ぶそうだ。

夏野菜のキュウリは収量が大幅に減り、トマトも日照不足と低温のために色づきが遅れ、株の衰弱が懸念されるという。

夏井川渓谷の隠居の菜園で地ネギの「三春ネギ」を栽培している。きのうのブログにも書いたが、何年か前からネギ苗は浅く植えて高く土を寄せる方式に替えた。

深く植えると長梅雨のときに地下水位が上がって根腐れを起こす。現に起きたことがある。その予防のためでもある。今のところ、ネギは元気に育っている。

ついでながら、というか、これはアンコールワットにまつわるおまけ――。同遺跡は真西を向いて建てられている。春と秋の彼岸の中日、尖塔の真後ろから朝日が昇り、真ん前の密林のかなたに夕日が沈む。

秋分の日にはちょっと早い9月18日、専用バスでアンコールワットの夜明けを見に行った。雲が垂れ込めていた。尖塔の朝日は見られなかった。

同じ日の午後、雨に降られながらアンコールワットの内部を見学した。やがて夕刻になり、雨はやんだものの、雲にさえぎられて夕日は拝めなかった。

晴れればアンコールワットの朝日は観光客を喜ばせ、夕日は遺跡の神仏たちを慰めるはずだったが……。

シルバーウイークを前に、そんなことを思い出した。カンボジアはこの時期、やはり雨が多いことだろう。

2026年9月17日木曜日

間引きネギ

         
 夏井川渓谷の隠居の庭で地ネギの「三春ネギ」を栽培している。三春ネギは初夏に種を取って秋にまき、翌春に苗を定植して秋・冬に収穫する。2年サイクルである。

何年か前、天候不順で不作になり、種を切らした。そのことをブログに書くと、田村市の実家の兄から電話がかかってきた。春になってネギ苗が店頭に並ぶころ、確保しておく――。

春、実家へ行って苗をもらい、その足で隠居の庭に定植した。翌年、何本か残したものからネギ坊主を収穫し、乾燥させて種を採った。

 その後は普通に定植・収穫・採種・播種のサイクルを重ねていたが、去年(2025年)は手を抜いたために苗の生育が思わしくなかった。

結局、苗が未熟なままで終わり、食べることもなかった。種も採れなかった。このため、冷蔵庫に保管していた前年の残り種を秋にまいた。ネギの種は冷蔵庫で保管すれば2年は持つ。

 失敗の理由ははっきりしている。苗床に雑草が生えても、ほったらかしにしておいた。追肥もおろそかにした。

その反省から追肥、もみ殻敷き、草引きをちゃんとやったら、苗が大きく元気に育った。

鉛筆より太くなった苗を100本ほど定植した。苗床にも同じくらいの数が残った。定植苗よりは育ちがイマイチだが、その後も追肥と草引きをしたら、それなりに育った。

畝の方は秋・冬用、苗床の方は「夏ネギ」にして食べよう――そう決めて、ときどき苗床の間引きをしている。

ネギは寒さが増すにつれて糖分を蓄えるから、加熱すると甘くなる。加えて、三春ネギはやわらかい。

まだ気温が高めに推移しているので甘みはない。が、ほのかな香りとやわらかさがある。

ジャガイモと三春ネギの味噌汁は、昔からのふるさとの味で、私には一番のごちそうだ。

田村地方では月遅れ盆のころ、一度掘り起こして畝を斜めに切って植え直す。雨が降るとすぐ地下水位が高くなる。浅く斜めに植えて根腐れを防ぐ。この作業を「やとい」という。

それだけではない。地上部は葉が天に向かって真っすぐ伸びるので、「曲がりネギ」になる。ネギにとってはストレスだが、これがさらに甘みを増す。

若いころは隠居の庭でもこの「やとい」をやった。しかし、地元のおばさんの話では、まっすぐのネギにするだけ、という。体力が落ちたことを理由に、今では浅く植えて高く土を寄せるやり方に替えた。

この土寄せを怠ると、少し強い風が吹いただけで根元から倒れるものが出てくる。8月、9月と、草引きと追肥を兼ねて土を寄せると、あらかたは元に戻った。

苗床も事情は同じ。こちらは密集しているので、この秋の種まき前には間引きを終わらせる。

9月13日には苗床の三春ネギを20本近く収穫した=写真。スーパーなどで売っているネギと遜色はない。しばらくは買わなくて済む。

翌日夕方、近くに住む「孫」夫婦が顔を出したので、カミサンが何本かお福分けをした。余分にあれば、こういうこともできる。

2026年9月16日水曜日

「エリー」はどこに

                                 
 日曜日には夏井川渓谷の隠居へ行く。途中、平地(小川町三島)の夏井川で残留コハクチョウの「エリー」=写真(7月26日撮影)=に、胸の中であいさつをする。「おっ、いたな。がんばれよ」

 9月6日は地区の市民体育祭があって隠居行きを断念した。13日は水量が多かったものの、大水というほどではなかった。

 エリーは? 県道小野四倉線(兼国道399号)沿いの岸辺にも、竹林が伐採された上流にも姿がない。

 8月30日はどうだったか。隠居までの様子、隠居での作業などをメモした「週記」を見ると、エリーについての記述はなかった。いたかどうか、どうも記憶がはっきりしない。

 そこへ9月14日、「白鳥おばさん」からハガキが届いた。白鳥おばさんは毎日、県道からガードレール越しに、直下の浅瀬に寄ってきたエリーにえさをやる。ハガキには「残念なお知らせです」とあった。エリーの姿が見えなくなったという。

 8月29日の夕方、えさをやりに行ったときには、羽をバタバタやったりして元気だった。

 が、翌30日の夕方には姿がなかった。おなかがすいていないのかなと思って、その日はそのまま帰った。

 前にも2~3日してヒョッコリ出てきたときがある。しかし、もう10日も姿を見せないという。ハガキの消印は「8.9.10」。9月10日から4日たっていた。

 今では5年前になる。1羽のコハクチョウがやはり羽をけがして残留した。白鳥おばさんは「エレン」と名付けて毎日えさをやった。これが始まりだった。

 エレンは翌年も残留した。ある日、大水になって下流の梨選果場あたりまで流される。真夏にはしかし、姿が見えなくなったと、白鳥おばさんから連絡が入った。

 エレンはどうやらけがが癒えて飛ぶことができるようになったらしい。そのへんの顛末を拙ブログで振り返る。2023年秋のことである。

――ハクチョウがわが生活圏に現れた。それを告げるブログに「エレンは、今はどこにいるのだろう」と書いた。

そのブログがいわき民報に転載された。すると、年末に白鳥おばさんから電話がかかってきた。「エレンが戻ってきた。ずっと見てきたので間違いない」

それから正月になり、1月も終わりに近い28日、県道で久しぶりに白鳥おばさんと会った。エレンがどこにいるか教えてもらう。

コハクチョウのくちばしは根元が黄色くて先の方が黒い。黒い部分に比べたら、黄色い部分は半分以下だ。

上のくちばしが付け根まで黒いタイプもいる。エレンがそうだ。しかも、その付け根の黒い部分に黄色い斑点がある。

あとでエレンが単独でいたときの写真を見ると、同じところに黄斑があった。この黄斑が、私のなかではエレンである決め手になった。なんという奇跡だろう――。

今年(2026年)も間もなく北から仲間がやって来る。エレンがそうだったように、エリーも飛べるようになって仲間と合流できたらいいのだが……。姿が見えなくなった今、再びの奇跡を待つしかない。

2026年9月15日火曜日

目指すは循環型ライフスタイル

                                               
   いわき市の「広報いわき」9月号などで知った、新しいかたちのリユース(再利用)拠点である。

「ジモティースポットいわき」という。9月10日午前11時、内郷高坂町大町地内にオープンした。

 広報いわきによると、市とジモティー(本社・東京)がリユース協定を結び、それに基づいて同スポットいわきが設けられた。

 拠点の運営は、音楽やイベントの分野で活動しているソニックプロジェクトの関野豊代表取締役が担う。

ジモティーは都道府県や市区町村といった地域ごとの情報をやりとりできるウェブサイト「地元の掲示板ジモティー」を運営している会社だという。

同時に、ネットのジモティーをリアルに体験できる店舗型のリユース拠点を、フランチャイズ方式で全国各地に展開している。

たまたま10日朝、カミサンが「ジモティースポットいわきへ行こう」というので、いつものようにアッシー君を務めた。

それまでまったく頭になかったので、急いで場所を確かめ、新聞やネットから情報を集めた。

リユース拠点、つまりは店である。店は既存の建物をリユースしたものだった。オープンしたばかりとあって、店内の商品棚はガラ空きだった。

スタッフからチラシをもらった=写真。市のホームページやチラシに従ってリユースの流れを簡単に記す。

いわき市民なら、家庭で不要になった家電、楽器、ゴルフ用品、子ども用品、スポーツ・レジャー用品、食器、衣類、本、CD、ペット用品などを、予約なしで持ち込める(ただし、身分証明書が必要)。

扱わない品物もある。リサイクル家電の4品目(冷蔵庫・冷凍庫、洗濯機・衣類乾燥機、エアコン、テレビ)のほか、マットレス、マッサージ器具などで、なんでもいいわけではない。

無料で引き取った不要品は、再利用品として販売、あるいは無料で譲渡される。まだ使える不要品を捨てずに地域内でリユースする流れを構築するのが狙いという。

オープン直後、旧知の関野さんとおしゃべりをしている間にも、ベビーカーその他の不要品が次々に持ち込まれた。主婦にとっては待望のリユース拠点がオープンした――そんな印象を受けた。

リユースされる品物の値段はどうか。古い額縁があった。値札はまだ付いていなかった。

カミサンは古着回収のザ・ピープルとも関係しているので衣類はピープル、古本類は国際NGOのシャプラニール(本部・東京)、それ以外はジモティーへ、という考えのようだ。

9月13日には市役所駐車場の回収ボックスへ、知り合いから家に届いた古着類8袋を運んだ。

リユースの機会の拡大、拠点の誕生――これもアッシー君をして、あとから知ったことではある。

2026年9月14日月曜日

アレチウリに覆われる

                                
   連日の曇雨天である。日照時間が少ない。稲や野菜は大丈夫か。そんな心配をしながら、夏井川渓谷の隠居へ出かけた。9月13日、日曜日朝のことである。

前の週は市民体育祭があって行けなかった。2週間ぶりということもあるのだろう。県道小野四倉線のガードレールが、ところどころ「緑のマット」に覆われていた=写真。これには驚いた。

アレチウリだ。この時期、侵略的帰化植物であるアレチウリがつるを伸ばし、葉を広げて、そこにあるものを覆い尽くす。同じ日本のつる植物であるクズさえ覆われて日光を遮られる。

ガードレールにとどまらない。今にも地面をはい出して道路をなめようか、という勢いだ。

7年前の2019年9月中旬、アレチウリについて書いたブログがある。年数はプラス7年にして要約・再掲する。

――この時期、全国至るところで見られる現象かもしれない。夏井川の堤防を行くと、アレチウリに覆われたところがある。

アレチウリは北米原産の1年生のつる性植物だ。日本では1952年、静岡で発見されたのが最初だという。

夏井川のアレチウリに気づいたのは2008年秋だった。覆われた植物は日光を遮断され、やがて枯れる。アレチウリが侵略的な植物、といわれるゆえんだ。

 この17年、秋になって遠出したときにアレチウリの有無をチェックしてきた。夏井川流域では渓谷、川前、小野町(夏井の千本桜)……。至るところに繁茂している。上流も下流もない。

草刈りが行われる土手はさすがに目立たない。放置された土手では、在来の植物があっという間に「緑のマット」で覆われる。

個人としては、せめて自分の家の周りだけは生やさない、生えたら引っこ抜く、と決めている。

でないと、家まで覆いつくされる。日よけになっていい、なんて悠長にかまえていられるほどつつましい植物ではないのだ――。

渓谷のアレチウリについてもブログで書いていた。それによると、2009年秋、牛小川で初めてアレチウリに気づいた。

隠居の対岸のやぶをアレチウリの葉が覆い、つるがそばの2本の高木まで伸びていた。

長い柄のついた小鎌で根元からつるを刈り払った。そのあと、気になって集落を巡ったら、廃屋と公衆トイレ跡の間にアレチウリが葉を広げていた。地元の人間が草刈りをしているから、まだその程度ですんでいるのかもしれない。

 そして今、2026年――。隠居からマチへ下りたあと、夏井川の堤防を利用して帰宅した。

実は朝も堤防を通った。堤防は今のところ、休日以外は通行止めだ。自転車通行のための路面標示と防草シートの張り付け工事が行われている。その進行状況を確かめたかったのだ。

一部では工事が済んでいた。通行止めの区間に限っていえば、アレチウリには気づかなかった。

ちゃんと見れば、間違いなくある。すぐ消えるような、そんなやわな植物ではないのだ。それをあらためて思った。

2026年9月12日土曜日

『種をまく人』

                                              
  いわき駅前の再開発ビル「ラトブ」に総合図書館が入居している。先日、本を返しに行ったら、「子どものフロア」にリサイクル図書のコーナーが設けられていた。

 リサイクルに回された児童図書が何十冊(いや、それ以上だろうか)も箱に入って並んでいた。

 本の背表紙をながめているうちに、『種をまく人』の文字が目に留まった。手に取って表紙の絵を見ると、既視感がある=写真。

 ところはアメリカ・オハイオ州のクリーヴランド。貧民街の一角にごみ溜めがある。その空きスペースにベトナム難民の女の子・キムが豆の種をまく。それが物語の始まりだ。

 表紙のイラストだけではなく、最初のキムの話にも記憶があった。間違いなく前に読んでいる。

リサイクルに回ったのであれば、ぜひ手元に置きたい。「これっ」。カミサンに見せると、カミサンが用紙に書き込んで受付に本を持って行った。

 廃棄する代わりに市民に提供された図書館のリサイクル図書を何冊か持っている。

 1つは伊藤始・杉田秀子・望月武人著『五日市憲法草案をつくった男・千葉卓三郎』(くもん出版、2014年)で、著者はいずれも教員経験者だ。児童向けの本で、漢字にはすべてルビが振ってある。

昭和43(1968)年、色川大吉東京経済大学教授とゼミの学生らによって、東京都のほぼ西端、あきる野市五日市の旧家の土蔵から「五日市憲法草案」が発見された。その経緯と草案起草者千葉卓三郎(1852~82年)の足跡を記した本である。

もう1つ。絵本の「やめて!」は表紙で男の子が叫んでいる。絵本には爆撃機・戦車・兵士・犬を引き連れた警官・不良少年が登場する。空爆・市街での発砲・弾圧・いじめに「やめて!」だった。

『種をまく人』はしっかりしている。ハードカバーなのだが、とても薄い。約95ページ。普通の本の3分の1くらいしかない。

キムが豆の種をまいたのは、農民だった亡父をしのんでのことだ。アパートの住人のアナはルーマニア出身で、そのキムを見るために望遠鏡を買う。

アナから電話をもらったウェンデルは学校の用務員で、アナの頼みでキムに会う。そして、畑をつくるために土を耕し始める。

グァテマラ移民の子のゴンサーロは、英語を話せない伯父さんの世話をする。伯父さんは国で農業を営んでいた。その伯父さんがウェンデルと一緒に土を耕すようになって生気を取り戻す。

リオーナは空き地で土を掘り返している人たちを見て、花を植えたくなり、市当局に掛け合ってごみを一掃させる。

以下、サム、ヴァージル、セヨン、カーティス、ノーラ、マリセーラ、アミール、フローレンスの話が続く。

アメリカの都市の、貧しい移民が流れ着いた街の一角の、どうしようもないごみ溜めが、少女のささやかな行為をきっかけに、人種・民族・言葉を越えてつながり、美しい菜園に生まれ変わる。土地の再生とコミュニティ創造の物語である。