50代のころはいずれそうなるだろうが――というヨユウで読んでいた。江戸時代中期に生きた尾張藩士で俳人の横井也有(1702~83年)の狂歌である。
「皺はよるほくろはできる背はかがむあたまははげる毛は白うなる」「手は震ふ足はよろつく歯はぬける耳は聞こえず目はうとくなる」
毎朝庭に出る。あるとき、白い点が目に入った。クチナシだ=写真。白いのはクチナシの花だけでいい。狂歌を読んだあとにはそんな心境になる。
後期高齢者になった今はゲンジツとしてこの狂歌が刺さる。頭髪から始まって、目、耳、歯、そして足と、老化が止まらない。
若いときから右耳の聞こえがよくなかった。それが昂(こう)じたのか、このごろは人と話をしていて、右耳に手のひらを当てたくなるような衝動に駆られる。
亡くなった義弟がそうだった。隣家に聞こえるほど音量を上げてテレビを見ていた。私はまだそこまではいっていない。通常の音量だが、少し上げたくなる気持ちはある。
テレビだけではない。聞こえの悪さのほかに、「誤認」によるトンチンカンも増えてきた。
拙ブログに残っている記録をみると、南米の「イグアスの滝」が「イグアナの滝」になり、「スーラー野菜湯麺(タンメン)」が次の日には「ソーラー野菜湯麺」に変わっていた。
いずれもカミサンからけげんな顔をされ、すぐ言い間違いを指摘されて、「アハハ」と笑ってお茶を濁した。
「ダイソー」を「ダイユー8」と聞き間違えたこともある。車を走らせるとすぐ、カミサンから「方向が違う」といわれた。
カミサンの「口」が頭と違ったことをしゃべり、私の「耳」が勝手に言葉を解釈したのかどうか、そのへんはよくわからない。
先日もトンチンカン問答が起きた。私が会議で外出中、高校1年の孫が父親とやって来て、カミサンに告げたそうだ。
「あした、桜丘(おうきゅう)祭だって」。「桜丘祭」とは高校の文化祭の名称だ。男女共学になる前は女子校で、カミサンも、カミサンの母親も、孫の母親もそこで学んだ。
カミサンにとっては懐かしい母校の文化祭である。「行くからね」と、アッシー君の私に伝えたのだった。
ところが、私にはそれが「アシ、オッタ」と聞こえた。孫はサッカーをやっている。練習か試合中にけがをしたのか!
私が眉を吊り上げ、目をむいて大声を出したために、カミサンがびっくりして復唱した。「あ、し、た、オウ、キュウ、サイ」。
それを聞いて安心し、大笑いになった。トンチンカンは笑い飛ばすしかないのだ。
トンチンカンがもたらす笑いは老夫婦にとって天の恵み――。まど・みちおさんが103歳で出した詩集『百歳日記』(NHK出版生活人新書、2010年)のなかで、そんな意味の詩を書いていた。
先日は「オロナイン」を「オロナミン」と言い間違えて笑われた。カミサンもラッキーセブンにひっかけて、「平成7年7月7日」と言う。「令和、ね」。お互い様なので、やんわりと訂正してやった。