シルバーウィークの締めくくりは秋分の日。この日昼前、カミサンの実家の墓参りをした。
月遅れ盆は、甲子園に出場した東日大昌平(いわき)の試合をテレビで見ているうちに、墓参りをする機会を逃した。その不義理をカバーする意味もあって、実家を訪ねる前に墓へ直行した。
20~23日の4日間の天気は、いわきの平では雨・やや強い雨・晴れ・ときどき晴れだった。
前にも書いたが、この4日間に出羽神社の例大祭式典に出席し(20日)、運転免許証更新のための高齢者講習を受けた(22日)。
高齢者講習は21日の予定だったが、大雨予報のために順延になった。21日は、時間的にはフリーになったものの、外は雨。本を読んだり、講習の準備をしたりして過ごした。
連休最終日の23日は、実家で昼食を用意するというので、その時間に合わせて墓参りをした。
墓地は平の城山の西端から下好間にまたがる「寺町」の一角にある。いつもは寺の山門内側のスペースに駐車するのだが、先行車が2台あった。
境内からちょっと離れたところに寺の駐車場がある。そこに初めて止めた。一帯は丘陵地で、坂を上って山門に入り、また石段を上って墓に行く。これだけで息が切れる。
面白いことに、どこへ行ってもヒガンバナが満開だった=写真上1。8月後半からの天候不順で例年より開花が遅れ、秋の彼岸に合わせるように、墓地の土手を、寺の庭を赤く彩っている。
墓の花立てに水をやったり、先祖の戒名を読んだりしては、ヒガンバナの赤をながめた。
そのなかで目に留まったのが墓の前、小道のそばに無造作に集められた江戸時代の墓石だ=写真上2。
高さはおよそ70センチ、厚さは15センチくらいだろうか。正面は風化していて、戒名あるいは仏様のレリーフ、どちらがあったかはわからない。むろん、それとはまったく違ったものだったかもしれない。
側面には没年月日(だろう)が彫られていた。ひとつは「明和九 壬辰 七月初七日」、もうひとつは「文化六 己巳 四月二十九日」と読める。
明和9年は西暦1772年、文化6年は同1809年である。間に37年の隔たりがある。同族の墓石とは言い切れないし、墓がどこにあったかも不明だ。
それはともかく、江戸時代にはすでに多くの墓があったことがわかる。当時の墓制、墓石の形態はどうだったのか。寺の歴史は?
わからないことがあると調べてみたくなる元ブンヤの習性が作用したらしい。2つの年月日が脳内を漂い出した。