2019年3月22日金曜日

隣組の班長事務費

 年度末になると、市から区内会に「隣組長・班長事務費」が振り込まれる。1世帯当たり年間400円。今年度(2018年)、わが区には310世帯が加入している。総額は12万4000円だ。
 隣組の数は30。前期と後期で班長が代わる隣組もあるので、事務費の支給対象者は40人ほどになる。少ない人で1200円、多い人では6800円。これを茶封筒に入れて渡すわけだが、区内会の責任者になったばかりのときにはそこまでの作業に思いが至らず、振り込まれた金額を単純に大きい札で引き出した。

 今回の金額でいうと、12万円を1万円札で、残り4000円を千円札で。金融機関から引き出す分には簡単でいいが、いざ班長さんごとに計算して封入しようという段になって、たちまち作業がストップした。

千円札がない。百円硬貨がない。1万円札を千円札に換えるにしても、家の中で換金可能なのは2万円くらいだ。あとはどうする? 1万円札を持って近くのコンビニへ買い物に行く。集金に来た人に1万円札を出す。それでも千円札が不足している。カミサンの力も借りて、何日かあちこちを駈けずり回って、ようやく全員に支給額を振り分けることができた。

この大失敗に懲りて、最近は紙幣と硬貨の数量を指定して下ろす。今回は千円札86枚、五百円硬貨46枚、百円硬貨150枚にした=写真。結果はあらかたうまくいったのだが、最後は百円硬貨が中心になってしまった。読みが少し甘かった。千円札はあと5枚、百円硬貨はその分少なくてもよかった。それでも封入作業は1時間もかからずに終了した。

“班長手当”は区の総会当日、会場でじかに渡す。総会は慣例で3月最後の日曜日と決まっている。今年度は3月31日で、年度最終日と重なった。主に班長さんが出席する。その日に手当を支給するのは、人を集めるための歴代区長さんの知恵だろう。

2019年3月21日木曜日

図書館レファレンスサービス

 いわき市立図書館のホームページが3月にリニューアルされた。いわき民報が3月16日付でそれを報じている=写真。「ふむふむ」と読み始め、最後に「おおっ」となった。
 記事では、前半でホームページの新機能を紹介し、後半で総合図書館がレファレンス協同データベース事業への貢献で7年連続、国立国会図書館から礼状を贈られたことを伝えている。レファレンスサービスの一例として、「『蒸しかまど』(昔の炊飯器のようなもの)は、いわきで発明されたと聞いた。本当なのか知りたい」を取り上げていた。

「蒸しかまど」は高度経済成長期の前、阿武隈の山里では一般的な炊飯道具だった。私が子どものころ、火の番をさせられた。その思い出や、昔の平町が製造の中心地だったことなどを、拙ブログで書いた。知る人ぞ知る(ということは知らない人が圧倒的なのだが)、ローカルな道具だから、もしかして――。

さっそく図書館のホームページを開く。左側に「いわきの豆知識~レファレンス事例集~」がある。そこをクリックすると、<レファレンス協同データベース>があらわれる。最初のページの最下段に「蒸しかまど」が載っていた。

事例作成日は去年(2018年)の7月27日。質問を受けて調べ、次のように回答している(実際はもっと厳密な書き方だが)。

昭和7(1932)年1月13日付「常磐毎日新聞」に「小鍛式極東ムシカマド製造」の広告が載る。同10(1935)年6月29日付の同新聞に「平町特産のムシ竈製造」の記事が載る。広告から特許情報プラットフォームにあたると、昭和5(1930)年に製造主である経営者が特許・実用新案を出願し、認められたことがわかった。

結論は、「『蒸しかまど』は『いわき』で発明されたとは言えませんが、『いわき』で製品として特許をとり、製造販売されていました」。「発明」の有無については「未解決」で、「江戸時代や明治時代に使われていたことがわかる文献等は見つかりませんでした。どなたか、文献をご存知でしたら、教えてください」と呼びかけている。

常磐毎日新聞の広告と記事は、私が蒸しかまどに関してブログで取り上げた“古新聞”でもある。よくそこまでたどり着いたものだと思いつつ、「回答プロセス」を読むと、こうあった。――蒸しかまどについてさまざまな文献を調べたが、見つからなかった。グーグルで「むしかまど いわき」で検索し、ブログ「磐城蘭土紀行」から新聞の記事を知った。

「蒸しかまどはいわきで発明されたのかどうか」という質問も、了解できた。図書館が事例を作製する8日前、ブログで「蒸しかまど」に関してこんなことを書いた。蒸しかまどは、平町で“発明”されたかどうかはともかく、昭和初期から高度経済成長期まで、燃料の安さと家事の簡素化で暮らしに貢献した」。質問者はこれに反応したらしい。

 ネット情報は玉石混交とよくいわれる。私は現役のころは、地域新聞でコラムを書いていた。辞めてからは「ネットコラム」と称して、この10年以上、ほぼ毎日ブログを書いている。だから、たまにこうして“文献”的な扱いを受けるとうれしくなる。

 いわき地域学會の仲間が、「考古学ジャーナル」2018年10月号に「地域史のなかの近代考古学――いわき市の事例から」というタイトルで、「暮らしの諸相」のなかで蒸しかまどを取り上げていた。末尾の参考文献のひとつに拙ブログの「『平町特産』の蒸しかまど」が載っている。これも、ブログを文献として扱ってくれた事例で、ありがたく思っている。

 ブログでは紹介ずみだが、その後知った蒸しかまど情報を追加しておく。昭和13(1938)年1月27日付磐城新聞の広告で、当時、いわきを代表する問屋、釜屋商店が写真付きで「石山式 石綿ムシカマド」の広告を載せている。

きょう(3月21日)は春分の日。午前中、カミサンの実家へ行き、昔、蒸しかまどでご飯を炊いた両親の墓に参って、蒸しかまどがレファレンス事例に加えられたことを報告しよう。

2019年3月20日水曜日

リサイクル業者ではないけど

「15日の午後、用がある? なければ、小名浜へ一緒に行って。要らなくなった物をもらってくるから」。先週の金曜日、車のトランクをカラにして、アッシー君を務めた。
若い知人一家が祖父の住んでいた家に入ることになった。断捨離で祖父の衣類やシーツ、食器類などがいっぱい出た。フィットのトランクと後部座席に積めるだけ積んだ。炊飯器と掃除機も。

 シャプラニール=市民による海外協力の会が「ステナイ生活」を展開している。いわきの「ザ・ピープル」が古着のリサイクルを手がけている。カミサンはどちらにも関係している。拙ブログで確認しただけで、震災前は3回、震災後は6回、リサイクル活動に駆り出された。先週で10回目だ。

 断捨離で引き取った物は、2009年2月の場合、古着や食器、ベンチ、自転車、コーヒーミル、かつお節削り器、梅漬け用の甕、いす、自転車タイヤの空気入れ、風呂のかき回し棒、火ばしのほか、かけや、ミニショベル、ハンドスプレー、三本熊手、剪定ばさみといった園芸用具、将棋盤のように厚い鉢物の木の盆、レンガ、アロエの鉢などに及んだ

車で何往復もした。これが今までで最大のリサイクル協力だった。食器類は新しくリサイクルカフェを開く人がいたので、そちらへ回した。

震災後の2011年4月。カミサンの幼なじみの家が解体されることになり、断捨離を終えたあと、残った着物についてカミサンが形見になるもの、リサイクルに回すもの、捨てるものと分けて、リサイクル用の着物を引き取った。私は本箱を二つもらった。冷蔵庫や洗濯機は、津波の被害に遭い、避難所で暮らしている知人がいたので、連絡すると要るという。後日、それらを運び出した。

2011年7月には、双葉郡広野町まで遠征した。カミサンの知人の家は大規模半壊の判定を受けたうえに、原発事故の影響で家族全員が避難した。たちまち空き巣に入られた。捨てるしかないという古着を10袋ほど持ち帰り、ザ・ピープルのリサイクルに回した。

 わが家はザ・ピープルのリサイクルショップのひとつになっている。古着を必要とする人が買いにくる。不要になったからと持ってくる人がいる。本類は知り合いの若い古本屋に連絡すると、安い値段で引き取りに来る。食器類も含めてたまったおカネをシャプラニールに送る。

 今回は一往復だけで済んだ。後部座席とトランクから出すと、四畳半の部屋がいっぱいになった=写真。

これが、翌日午前にはあらかた片付けられた。衣類はほとんど、知人が経営する小規模多機能型在宅介護施設に引き取られた。利用するお年寄りの尻ふき用になる。食器類は100円、200円といった値段で店頭に置くと、いつか数が減っている。ごはんはさっそく、小名浜の炊飯器で炊いたという。前の炊飯器が小さいうえ、一部がおかゆっぽくなってしまう。いいときに代替品が手に入った。

  きのう(3月19日)は、近所に住む原発避難中のおばあさんが茶飲み話に来た。帰りになにか買っていったようだった。

2019年3月19日火曜日

「乙女」のうしろに「熊」がいた

 いわき市平市街の西方に、南から湯ノ岳~天狗山~三大明神山~二ツ石山が屏風のように連なる。広葉樹が葉を落としている今、杉の人工林が青黒く浮き出ている。
 湯ノ岳の斜面に「座った乙女の横顔」を連想させる杉林がある。その写真と文章を去年(2018年)5月23日と、今年2月14日のブログにアップし、フェイスブックにも載せたら、内郷の知人からコメントが入った。

内郷では「熊林」と呼んでいる。つまり、乙女ではなく熊。小学校の時には、この熊林を抜ける遠足があって、子どもたちがよく遭難した――という。「どう見ても熊でしょ。乙女には見えません」。でも、私には、どう見ても熊には見えない。

2回目も同じように、「内郷では、ここをクマ林と呼んでいます。私の祖父の代からそう呼んでいます」。「まあ、見方は人それぞれ、ということで」と返事をしたものの、釈然としなかった。

 先週の土曜日(3月16日)朝、小川町へ行く用事があって、平商業高校前を通って平・中塩の田んぼ道に出た。西方の山の屏風があらかた見渡せる。一番左側に乙女がいる。ほかには……。ん、乙女のうしろ(北側)に熊らしい輪郭を持つ杉林があった=写真。アイヌの熊の木彫りに似たかたちで、よく見ると「しっぽ」まで付いている。

 もしそれが知人のいう「熊林」だとしたら(間違いないと思うのだが)、湯ノ岳には乙女も熊もいたのだ。それが分かっていれば、議論がすれ違うこともなかったし、釈然としない思いになることもなかった。乙女と熊――なにか物語がつくれそうな組み合わせではある。

2019年3月18日月曜日

渓谷の区の総会

 夏井川渓谷の小集落、牛小川は9世帯で隣組=行政区を構成している。きのう(3月17日)午後、Kさんが物置を改造した“談話室”で総会が開かれた。週末だけの半住民の私も参加した。
 県道とJR磐越東線をはさんで家がかたまっている。谷側の隠居から山側の“談話室”までは歩いて5分ほどだ。途中、谷側の空き地にフキノトウが群生していた=写真。人の土地だから写真を撮るだけにとどめたが、隠居の庭なら摘んでふきみそかてんぷらにする。線路敷にはセイヨウカラシナらしい菜の花が。ウグイスも「ほけきょ、ほけべきょ」と小声でさえずりの練習をしている。その年の初さえずりを、平地ではなく渓谷で聴くのは初めてだ。

 総会は短時間で終わり、すぐ懇親会に移った。私は隠居に泊まらず街へ戻るので、ウーロン茶をすすりながらよもやま話を聴いた。やがてというか、いつものようにというべきか、話はサバイバルグルメ”に移った。

いずれも東日本大震災の前、人によっては子どものころの記憶が披露された。「アナグマはうまい」「ハクビシンは肉がやわらかすぎてまずい、焼いたらいいかも」。イノシシは、震災後は原発事故のせいで食べることができない。しかし、各地に罠猟を続ける人がいる。「〇×さん(牛小川の人ではない)は、年間100頭も捕った」。びっくりして、思わず言葉が出た。「手にした報償金の額がすごいんじゃないの」

いわき市のホームページで今年度(2018年度)のイノシシ捕獲報償金制度を確かめたことがある。報償金は①「鳥獣捕獲等許可」の場合、1頭当たり1万2000円(別途、市鳥獣対策協議会から成獣・最大8000円、幼獣・最大1000円を交付)②「狩猟」による捕獲の場合は成獣2万円、幼獣1万3000円――を支給する、とあった。

対象頭数は2200頭で、農作物や農地への被害を防ぐために、罠猟免許取得者に箱罠の無料貸し出しも行っている。先日(3月15日)、対象頭数まで7頭を残して今年度の受付が終了した。予算がなくなった、ということでもある。

暮れの12月25日、磐城共立病院の敷地内に新病棟のいわき市医療センターが開院した。屋上にヘリポートがある。開院初日にさっそく使用された。

福島民報によると、小川町上平地内の山林で70代男性がイノシシにかまれ、両足に重傷を負った。男性は持っていた棒のようなものでイノシシを駆除した。夕刊のいわき民報には、消防の要請によって、福島県立医大からドクターヘリが飛来し、男性を浜通り南部の受け入れ病院である市医療センターへ運んだ、とあった。

 私はそのとき、こんな想像をしてみた。人里に近い山中には、イノシシ捕獲用の箱罠がある。男性はそれを確かめに行った。行くと箱罠にかかっていて、「棒のようなもの」で仕留めようとしてけがをしたのではないか、と。

 牛小川は、現場からはかなり離れている。が、住民は同じ小川地区のネットワークのなかで詳細を知った。「棒のようなもの」が何なのか、なんとなくわかった。地方自治体のホームページにも例示されている。箱を使わない罠猟の捕獲法のようだった。

足をはさまれたイノシシにかまれないよう、長い棒のさきについた輪っかで「鼻くくり」をする。次いで、もう一方の足をしばって動けないようにする。最後は、やはり長い棒状の電気とどめ刺しを使う。「棒のようなもの」とはこれらのことで、その手順が狂ったのかもしれない。命にかかわる大けがだったという。

 さて、総会の集まりでは集落の守り神「春日様」の祭りの日を決める。渓谷がアカヤシオ(岩ツツジ)の花で彩られる日曜日、というのが慣例だ。今年(2019年)は4月14日に行われる。私も参拝・直会(なおらい)に参加する。

2019年3月17日日曜日

本の選び方

 もう10日余り前のことだが、晩酌しながらEテレの若者番組「沼にハマってきいてみた」を見ていたら、「学校の図書館で本のタイトルでしりとりをする」遊びをやっていた。番組側が呼びかけたら、ある学校の学生からアイデアが出されたそうだ。
『かがみの孤城』『海辺のカフカ』『学校崩壊』『意地』『シーイング―錯視 脳と心のメカニズム』『傀儡子(くぐつし)の糸』……。しりとりで選んだ本が並ぶ=写真。村上春樹の『海辺のカフカ』以外は、作者もジャンルもわからない。が、自分の好みの世界から飛び出して、今まで興味も関心もなかった分野に足を踏み入れる――という意味では、ときに有効な手段かもしれない。

“しりとり本”ではないが、ここ数カ月、キノコが登場する本を図書館のホームページで調べ、借りては読み、借りては読み、を繰り返している。自然科学系のキノコ本はわきに置いて、人文系の文学・美術・民俗・古典などに目を通している。

3月に入ってからは、嵐山光三郎『頬っぺた落とし、う、うまい!』、田久保英夫『生魄(せいはく)』、ニコライ・スラトコフ『北の森の十二か月』(上・下)、西村寿行『霖雨の時計台』、南木佳士『神かくし』、ジュール・ヴェルヌ『地底旅行』、高樹のぶ子『彩月 季節の短編』、小川洋子『薬指の標本』その他を手に取った。

今まで知らなかった作家、知っていても読んだことのなかった作家がほとんどだ。20歳前は行きあたりばったりの乱読だったが、50年たった今は、乱読は乱読でもキノコがキーワードになっている。それでもまだ一部しか読んでいない、という思いが強い。

“しりとり本”が音(おん)で連なるアナログ的読書だとすると、“キノコ本”はデジタル的読書だろうか。たとえば、句集。作句順によるもの(アナログ的)と、季語によるもの(デジタル的)とがある。“キノコ本”は後者に近い。

きのう(3月16日)、用があっていわき市立草野心平記念文学館へ出かけた。壁面にいろんなポスターが張ってある。世田谷文学館で開かれている「ヒグチユウコ展CIRCUS(サーカス)」のポスターに、キノコらしいものが描かれていた。

家に帰って検索したら、今や人気沸騰中のイラストレーターらしい。主に猫やキノコを描く。人間の足を持ったベニテングタケ、同じく柄がだんだんタコの足に変わるベニテングタケ、頭がアミガサタケのカエルなど、妖しげな生きものたちが画面に躍る。現実と空想がまじりあった画風が人を引きつけているようだ。

森に入るとキノコ目になる。キノコがあればすぐ目に留まる。今は森の中ではなく、街や屋内でもそれらしいものがあると確かめてみたくなる。ヒグチユウコという人を、遅まきながらそうして“発見”した。水玉の画家草間彌生もまた、キノコ派ではなかったか。

2019年3月16日土曜日

3月11日の焼菓子

東京五輪が決まる前、2013年9月4日のブログで「東京が安全ならいいのか」というタイトルで次のようなことを書いた。
                        ☆
いわきはハマ・マチ・ヤマの三層構造からなる。いわきを深く知るには、ときどきマチを離れてハマとヤマからマチを見ないといけない――職業柄、そう意識して長年暮らしてきた。中心からは周縁は見えない。見えるのは、周縁が中心に影響を及ぼすとき、たとえば凶作や水害、不漁のときだけだ、とも。

中心と周縁の関係はマスメディアにも内在する。マスメディアの本社がどこにあるかでニュースの価値が決まる。事故を起こした福島第一原発に近いいわき市(地域紙・コミュニティ放送)、福島・郡山市(県紙・ローカル放送)と、東京(全国紙・全国ネット放送)とでは危機感が違う。

全国紙であれ、全国ネットのテレビ局であれ、本質的には東京のローカル紙(局)だ。東日本大震災の初期報道がたちまち福島第一原発事故の報道に切りかわったのは、「東京にも影響が及ぶのではないか」と東京のメディアが恐れたからだと、私には映る。

2020年夏の東京五輪開催をめざす東京招致委員会の竹田恒和理事長(日本オリンピック委員会長)が、福島第一原発から海洋に汚染水が流出している問題で、IOC(国際オリンピック委員会)の委員に対して「東京は全く影響を受けていない」「全く普段通りで安全だ」といった内容の手紙を出したという。ブエノスアイレス共同電で、県紙で読んだ。

私は慢性の不整脈をかかえているので、カッとなるな、興奮するなと常に自分に言い聞かせている。が、これにはカチンときた。メディアだけではない、東京に住む政治・行政・その他組織のトップの本音が透けて見えるではないか。周縁を犠牲にしてなにが東京の安全だろう、なにが五輪招致だろう。
                  ☆
 なぜ6年前の文章を引用したかというと、東京五輪誘致にからむ「贈賄疑惑」が報じられているからだ。雑誌「ジャーナリズム」の3月号を読んだからだ。もっといえば、東京都町田市に住むカミサンの親友から、3月11日の消印で手紙が届き、焼菓子が別送されてきたからだ=写真。

カミサンが親友の手紙の封を切ると、夫婦あてになっていた。カミサンの親友は仙台出身で、18歳のときに仙台の大学でカミサンと出会った。半世紀を超えるつきあいになる。東北への思いは強い

その親友が、NHKの3・11関連番組に触れて書いている。「こうやってたまにテレビでしか見ることの出来ない私達ですが、やはり、忘れていることを思い出させてくれる映像から目を離すことは出来ません」。ナショナルメディアの役割がここにある。

 手紙を読み、焼菓子を食べているうちに、月刊の「ジャーナリズム」3月号をわきに置きっぱなしにしていたことを思い出す。定期購読をしている。月が替わるころ、朝日新聞と一緒に配達員(ミャンマーの若者)が持ってくる。きのう(3月15日)、じっくり読んだ。

 巻頭特集「震災8年、風化、風評、報道されない日常…… 福島を見つめ、伝える」に10人が書き、1人のインタビュー記事が載る。小名浜在住の小松理虔(りけん)さんが「震災8年、忘却と無関心に抗うためにメディアはプレイヤーとして地域の中に」と題して書いている。中央メディア=東京ローカルと、私と同じような認識を持つ若い人がいることをうれしく思った。

 同時に、「大きな主語で語ることなく、小さな固有の声に耳を傾けること。専門知と現場を橋渡しすること。多様な声を聴きながら合意形成を図ること。一人のプレイヤーとして地域や現場に関わること。(略)震災と原発事故を『福島の出来事』ではなく『私の出来事』として考えていくこと」の大切さも説く。その通りだろう。

 焼菓子は、いわきでは食べたことのない食感だった。口に入れると、ほろりととろける。甘さも控えめだ。ときどき3時にお菓子付きで緑茶が出ていたが、この2、3日は紅茶と焼菓子だ。3・11でざわついていた気持ちが、川崎の焼菓子と、小松さんの「東京ローカル」論で鎮まった。けさの県紙は「竹田会長、退任不可避」と報じている。「東京は安全」のウラになにがあったのか。