2017年11月19日日曜日

原子力防災実動訓練

 帽子にマスク、マフラー、手袋。バッグには資料とカメラ――。6年8カ月前に東北地方太平洋沖地震が発生し、いわき市平から40キロ北の福島第一原発で事故が起きた。双葉郡ではその日に避難が始まった。私らも震災から4日目の昼、西へ一時避難をした。その記憶がよみがえる。
 きのう(11月18日)、平地区のうち草野・神谷・夏井全行政区を対象に、原子力防災実動訓練が行われた。
 
 朝8時、市貸与の防災ラジオが自動的にオンになり、FMいわきへの割り込み放送が始まる。
 
 訓練放送であることを強調したあと、「福島第二原発の事故が悪化し、本市まで放射性物質が飛散する可能性があることから、国から平地区のうち、草野・神谷・夏井の全23行政区に対して『屋内退避指示』が発令されました。不要な被曝を防ぐため、自宅などの建物の中に退避してください」。同じ内容の防災メールも届いた。
 
 1時間後にはさらに、国から空間線量率上昇に伴う「一時移転指示」が発令されたため、住民は一時集合場所へ集合を――という内容の割り込み放送が行われた。

 区役員8人に民生委員が加わり、①防災ラジオ放送を受けての情報伝達訓練(区長~役員~班長から地区民へという想定)②屋内退避訓練③一時集合場所への車による移動訓練④仮想避難所へのバスでの移動訓練――に取り組んだ。
 
 役員会の会場として利用している県営住宅集会所を一般の住宅に見立て、一時集合場所の小学校体育館へ移動するまでの待機時間を利用して、ミニ防災講話も開いた。いちおう私も「防災士」の資格を取った。『防災士教本』に基づいて、「災害と流言・風評」について話した。

 平成24(2012)年11月、福島県地域防災計画でいわき市が「UPZ(緊急時防護措置を準備する地域)」に指定された。同地域は原発からおおむね30キロ圏内で、冷温停止状態の2Fがこれに該当する。それに基づき、2年間、連絡網の確立と避難方法の確認のための図上訓練が行われた。

 市原子力災害広域避難計画によれば、わが区の避難先は、南が茨城県牛久市、西が新潟県南魚沼市。いわきの南部アリーナをその避難先に想定した実動訓練だった。アリーナの体育館へ入る前に、バスと避難者のスクリーニングが行われた=写真。1Fが事故をおこしたとき、避難先でスクリーニングを受けたことを思い出す。

 訓練の締めくくりに市長が講評した。「原子力災害はいつ自宅に戻れるかわからない。貴重品を持ち出したか」。資料とカメラはバッグに入れたが、印鑑や預金通帳、薬手帳、保険証などは忘れた。ぬかった。

2017年11月18日土曜日

きょうは行事が三つ

 1カ月余り前、シャプラニール=市民による海外協力の会に、カミサンがシャプラニールいわき連絡会としていくらか寄付をした。その領収書が届いた=写真。バングラデシュ洪水とロヒンギャ難民の緊急救援募金呼びかけに応じた。シャプラのいいところは、寄付金の使い道が透明で、寄付者に報告があることだ。会設立時からこれは変わっていない。 
 そのシャプラの7回目のいわきツアー「みんなでいわき!2017」が、きょう(11月18日)とあす、開かれる。

 シャプラは東日本大震災後、いわきで5年間、被災者支援活動を展開した。その経験を踏まえて、今回は震災後、交流が生まれた津波被災者(平薄磯)と原発避難者(双葉町)からこれまでの思いを、さらに農の現場(小川)で生産者から生の声を聞く。また、食(平、四倉)を通じていわきを感じてもらうという。泊まるのは常磐の温泉旅館。夜、そこへ合流する。
 
 その前にやることがある。朝8時から正午までは、行政区の役員が参加して原子力防災実動訓練が行われる。防災ラジオなどによる屋内退避指示を受けての連絡・退避訓練、避難指示を受けての一時避難場所への移動とバスによる仮想避難所(南部アリーナ)への移動・スクリーニングなど、こちらはスケジュールが決まっている。
 
 それが終わったら、いわき地域学會の市民講座(午後2時から市文化センター)が待っている。講師は地域学會幹事で、いわき市立美術館長兼宇都宮美術館長の佐々木吉晴さん。「参加型市民文化と社会への寄与――アメリカの美術館が生まれた背景」と題して話す。原田マハの小説『デトロイト美術館の奇跡』(新潮社、2016年)を読んだばかりなので、個人的にはいいタイミング、いいテーマになった。

 終わって午後4時からは、そのまま地域学會の役員会が開かれる。次の行事のための段取りを確認しないといけない。
 
 というわけで、日中、二つの行事をこなしたあと、カミサンと一緒に午後6時からの「みんなでいわき!2017」懇親会に顔を出す。「普通のいわき市民の暮らし」を知ってもらうために、原子力防災実動訓練の話でもしようか。

2017年11月17日金曜日

コミュニティツーリズム

 自称「いわき特派員」だ。半世紀前、15歳で夏井川の水源・阿武隈高地から太平洋岸のまちに流れ着いた。まだ「いわき市」は誕生していなかった。いわきで記者になって以来45年余、今もいわきウオッチングを続けている。その過程で得た仮の結論は、いわきは「3極3層のまち」、あるいは「9つの窓を持ったまち」だ。
 いわきは広すぎて「実像」が見えない。「行政圏」ではなく「生活圏」の連合体としてとらえるなら、実像に近づけるのではないか。その際、水環境=川=流域を切り口にするとわかりやすい。
 
 いわきは、夏井川(人口の極=平)・藤原川(同=小名浜)・鮫川(同=勿来)の3流域でできている(大久川流域も加えることができるが、人口の極があるわけではないので、ここでは夏井川流域プラスαとして扱う)。それぞれの流域にはハマ(沿岸域)・マチ(平地)・ヤマ(山間地)がある。
 
 ゆえに、3極3層、いわきは3つの「合州市」。いわきという四角いジグソーパズルのピースは3×3=9。9つの窓から見える風景は、左右では同じだが上下では異なる。典型が食文化と植生だ。
 
 そんなことを思い浮かべながら話を聴いた。おととい(11月15日)夜、いわき駅前のラトブ6階・いわき産業創造館で「まち歩きがまちを変える――コミュニティツーリズムの可能性を探る」が開かれた=写真。講師は堺市や大阪市でコミュニティツーリズム(「まち歩き」)を事業化した観光家陸奥賢(むつ・さとし)さん(39)。
 
 略してコミツーは「地元の人による地元の人のための観光」だという。地元の人がガイドし、地元の店でものを買ったり食べたりする。つまりは、地元にカネが落ちる仕組みのツアーだ。ガイドには「ヒストリーだけでなくライフも語ってもらう」ともいう。土地の歴史だけでなく、ガイド自身の人生も盛り込むことで、ツアー客はその土地の歴史・暮らしを具体的に受け止めることができる。
 
「大阪あそ歩(ぼ)」では、300のコースがマップ化されている。基本は2~3キロ・徒歩で2~3時間のコースだという。

 私が属しているいわき地域学會では年に1~2回、歴史や考古、自然などに触れる「巡検」を実施する。11月23日には、来年(2018年)の戊辰戦争150年を前に、「笠間藩神谷陣屋と戊辰の役」と題して、神谷公民館発着で陣屋跡や周辺の慰霊碑などを見て回る。こちらは同じ「まち歩き」でも「まな歩」に近い。

「あそ歩」は「ライトに、ゆるやかに」が基本だという。「おなはま学歩(まなぼ)」は、それにならった「やわらかい巡検」だろう。ま、楽しみながら地域の価値を再発見するという意味では、「あそ歩」と「学歩」、地域学會の「巡検」に違いはない。硬くやるか、軟らかくやるか、手法が違うだけだ。

 地域学會の巡検は今回で58回目だ。いわきを知るための単行本や報告書も出している。街なか・郊外を問わず、地質・考古・歴史・民俗・文学・その他で「あそ歩」のコースをデザイン・再構成するくらいの蓄積はある。

いわきのハマの人間はいわきのマチやヤマを知らない、ヤマの人間はマチやハマを知らない、マチの人間はヤマもハマも知らない――というのが実態だろう。インバウンド(訪日外国人旅行)は、いわきではむしろ外国人の前に市民のためにある。そのために有効なのが域内観光=コミツー、とみることもできる

2017年11月16日木曜日

電動剪定

 わが家(米屋の支店)の生け垣は、昔は義父が自宅(本店)から通って手入れをしていた。義父が亡くなってからは、たまにしか剪定しなくなった。主に常緑のマサキが植えてある。剪定が甘かった一本は、2階の物干し場の柵と同じ高さまで枝葉が伸びた。
 自分でいうのもなんだが、私は庭の草むしりや生け垣の剪定といった“庭仕事”には向かないようだ。「花より野菜」の実利派で、菜園の草むしり、土いじりなら喜んでやる。

 いつになっても腰が重いままなので、結局はカミサンが生け垣を剪定するようになる。今年(2017年)は近所の知り合いから“電動高枝バリカン”を借りてきた。面白いように“散髪”できる。2~3日、ヒマを見つけては電動バリカンを動かし続けた=写真。

 自分で庭を造るほどの父親の血を引いたのか、カミサンは庭師的な仕事が嫌いではないらしい。生け垣剪定の仕上げに、自分では手が届かないから1階の窓枠に立って屋根にかかったビワの枝葉をのこぎりで切ってほしい、という。それだけを手伝った。

 のこぎりを使うとすぐ息が切れる。ビワの太い枝を切りながら、思い浮かんだ文章がある。吉野せいの『洟をたらした神』の<かなしいやつ>だ。せいの夫・吉野義也(三野混沌)の盟友・猪狩満直が、菊竹山の夫婦の小屋を訪ねる。上がり端にあったのこぎりを手に取るなり、満直は大笑いする。「何だい。これで何が切れる!」。「ああ、息だけが切れんな」と、混沌かせいかはわからないが、即妙の答えが返ってくる。

 先日見た映画「洟をたらした神」では、せいが返答したことになっている。原文の流れからは、そうはとれない。1歳年上の満直を「みつなおさん」ときちんと呼んでいたせいが、「ああ、息だけが切れんな」というだろうか。せいなら「はい、息だけが切れます」、あるいは「ええ、息だけが切れんのよ」だろう。混沌が「あ・うん」の呼吸で満直の言葉に応じたのだ。

 11月に入ると、ミノウスバ(蓑薄翅)という、胴体が黒とオレンジ色、翅が半透明の小さなガが、マサキの枝先に産卵する。越冬した卵は、春の終わりごろに孵化して新芽を食害する。すでに産卵期は過ぎた。剪定が効いたのか、ざっと見たかぎりでは枝先にミノウスバの卵は見当たらない。

2017年11月15日水曜日

「いわきの図書館」展

 図書館から受けた恩恵は計り知れない。新聞記者時代、週に3回、1面下のコラムを担当したことがある。持ちネタなどすぐ尽きる。今ならインターネットで簡単に「キーワード検索」ができるが、1980~90年代は直接、本を手に取って確認するしかなかった。締め切り後の図書館通いがほぼ日課になった。今もその習慣が続く。
 新聞コラムを書いていたときもそうだが、私は「テーマ」ではなく「キーワード」を決めてブログを書く。そこからいろいろ妄想する。どこに着地するかはわからない。
 
 きょうの場合は「『いわきの図書館』展」だ。11月6日にラトブ5階のいわき市立総合図書館企画展示コーナーで「いわき総合図書館 開館10周年記念企画展『いわきの図書館』」が始まった=写真(企画展の資料)。それに触発された。
 
 始まりはいつも単純だ。飲み屋で仲間や知らない人と話しているうちに、これはと思った言葉(キーワード)に出合うことがある。割りばしの袋にそれをメモする。そうしないと、翌日には忘れている。現役のころは、キーワードを記した紙切れがシャツの胸ポケットに10~20枚は入っていた。使えずにすり切れてしまった紙切れがある。新聞記事ももちろん切り抜いておく。夕日や雨、風、鳥、花、キノコ、野菜などからも刺激を受ける。

 さて、総合図書館の前身はいわき市文化センターにあった中央図書館だ。図書館展の資料によると、平の図書館は昭和23(1948)年8月開館の「平市公民館図書部」が始まり。やがて“間借り図書館”から「いわき市立平図書館」に成長し、中央図書館を経て総合図書館になる。
 
 資料にはほかに、地区図書館や移動図書館の歴史、戦前のいわきの図書館、終戦1年後に開館した民間の「お城山の図書館『海外協会佑賢図書館』」を紹介している。総合型図書館構想が生まれた経緯、東日本大震災のときの様子にも触れた。佑賢図書館は知らなかった。
 
 自宅にいながらよく利用するのは、図書館のホームページだ。なかにいわきの新聞や地図、絵はがきなどを収めた「郷土資料のページ」がある。キーワード検索はできないが、新聞は年月日がわかれば一発で読める。これまでにずいぶん世話になった。大正の関東大震災・昭和の日中戦争といわき、といった切り口で調べ物をするのに有効だ。
 
 詩人の田村隆一は「<昨日>の新聞はすこしも面白くないが/三十年前の新聞なら読物になる」と書いた。30年どころか、100年前の新聞は立派な史料になる。誤字・脱字も含めて。
 
 カツオの刺し身、じゃんがら念仏踊り、市立図書館――。これは、私のなかの「いわき三大自慢」だ。ホームページの地域新聞をキーワードで検索できるようになると、自慢のレベルはさらに上がる。

2017年11月14日火曜日

落ち葉掃き機関車

 日曜日(11月12日)の昼前は、快晴ながら風が強かった。それでも、夏井川渓谷には紅葉目当てのマイカーが続々とやって来た。JR磐越東線江田~川前駅間にある錦展望台周辺がビューポイントだ。地名で言うと、いわき市小川町上小川字牛小川(正確には、線路と道路をはさんで谷側は字川上になる)。
 すでにカエデ以外の広葉樹は紅葉のピークを過ぎ、カエデが紅葉の見ごろを迎えていた。錦展望台の近く、県道沿いにアマチュアカメラマンが狙うカエデ群がある。路上駐車が絶えなかった。

 正午まであと30分――というころ、たまたま隠居の前の道路に出たら、対岸の紅葉を眺める人たちとは別に、カメラを江田駅寄りのトンネルの方に向けている“撮り鉄”が何人かいた。そばの牛小川踏切の警報機が点滅している。正午近くを走る普通列車はない。観光客を乗せた臨時列車か?

“撮り鉄”を入れて列車を撮ろう、そう決めてカメラを向けていたら、やがて踏切の遮断桿(かん)が降り、ゆっくりとディーゼル機関車が現れた=写真。単独だ。拍子抜けした。「DE 10 1124」の何が“撮り鉄”を引きつけるのか。

 ネットで調べてわかった。「落ち葉掃き」用の機関車だった。日曜日の福島民報に、「県内の鉄道は11日、強風や落ち葉による列車の車輪の空転でダイヤが乱れた」という短報が載っていた。磐東線は大丈夫だったようだが、この1週間で渓谷の広葉樹はだいぶ葉を落とした。それが、風で線路に降り積もらないともかぎらない。で、落ち葉掃き機関車の出動となったのだろう。

 なにかあると、県内外から“撮り鉄”が現れる。“撮り鉄”はどうやって臨時列車の情報を得るのだろう。情報を共有できる撮り鉄コミュニティというものがあるのか。それはそれとして、「落ち葉掃き機関車」はどうやって落ち葉を掃くのか。機関車から空気を噴射する? “知り鉄”がいたら教えてほしい。

2017年11月13日月曜日

「真実」と「しんじつ」

 吉野せい賞はいわきローカルの文学賞だ。今年(2017年)は40回の節目の年。おととい(11月11日)、市立草野心平記念文学館で表彰式が行われた。
 昼前に文学館へ行き、表彰式のリハーサル=写真=を見たあと、受賞者と会食した。表彰式では、5人の選考委員を代表して選考結果を述べた。

 表彰式のあと、福島県立博物館長赤坂憲雄さんが「吉野せいの世界」と題して記念講演をした。作品集『洟をたらした神』の<あとがき>に、「貧乏百姓たちの生活の真実」と「底辺に生き抜いた人間のしんじつ」が出てくる。漢字の「真実」と平仮名の「しんじつ」の使い分けに触れながら、赤坂さんは持論を展開した。
 
 勝手に解釈するなら、「貧乏百姓たちの生活の真実」の先にはプロレタリア文学がある。しかし、せいは農民文学でもプロレタリア文学でもない「底辺で生き抜いた人間のしんじつ」の世界を描きたかったのではないか、ということらしい。
 
 せいは赤坂さんのいうように、「真実」と「しんじつ」を使い分けていたのだろうか。実際に『洟をたらした神』の作品に当たってみる。
 
 まず、「真実」。<鉛の旅>=わが子にむしゃぶりついて母親が大泣きする「実に生々しい真実の出征風景を見た」、<夢>=「夢の中での真実の形」、山村暮鳥と三野混沌(せいの夫・吉野義也)との交流は「真実の出来事ではあった」、<信といえるなら>=「遠くから力を貸してくれた一人一人の真実の友情」、「人間同士の心の奥に流れ合う凄まじい信頼」を指す「真実の果実の味」。
 
 <老いて>には「それも真実、これも真実、その何れにも私は湖面のようなしずけさで過ぎたいと切に希(ねが)う」とある。
 
「しんじつ」はどうか。<麦と松のツリーと>=「国を挙げての存亡の糧作りと噛みつかれると、戦果のでたらめ放送にもしんじつに耳を傾けて信じ込み、出征した身近な男たちの血みどろな戦場を想い、戦死者の俤(おもかげ)を胸に浮かべる」。「真剣に」とか「本気になって」とかの意味で「しんじつに」を使っている。大本営発表のラジオ放送を無批判に受け入れる人々――の姿が思い浮かぶ。

 <あとがき>の世界では「真実」と「しんじつ」を使い分けても、<本文>の世界では「真実」をそのまま多用している。『洟をたらした神』の世界が面白いのは、こうして新たな視点を得て何度も調べ直しができることだ。