いわき駅前の総合図書館で常設展「デザイナー鈴木百世(ももよ)
知る人ぞ知るいわき人」が始まって半月余り。
11月8日に展示コーナーをのぞくと配布資料が積んであった。これが欲しくて、図書館へ行くたびにコーナーに足を運んだ。
これまで何度か拙ブログで鈴木百世について触れてきた。そのたびにこのグラフィックデザイナーと、彼の創案した「じゃんがら人形」のその後を知りたい、という思いが強まった。
常設展には「じゃんがら人形」の写真が展示されている。その解説に、昭和36(1961)年、現在の上皇上皇后両陛下が小名浜で行われた放魚祭に臨席した際、郷土工芸品の「じゃんがら人形」(13人組)が桐のケースに収められて献上された、とある。
拙ブログではそれには触れず、去年(2024年)11月7日に亡くなったカミサンの弟の遺品の中に5人組の「じゃんがら人形」があったことを紹介した。
資料を読みながらひらめいたことがある。当時のいわき民報に「じゃんがら人形」のことが書いてあるかもしれない。
図書館のホームページから「郷土資料のページ」に入り、昭和36(1961)年5月下旬から6月上旬のいわき民報をチェックすると、5月29日付の3面にあった。
「皇太子ご夫妻へ“じゃんがら人形”
鈴木恭代さんの力作を平市が献上」という見出しで経緯が紹介されている。
恭代さんは百世の妻で、昭和27(1952)年、亡き夫が考案した「じゃんがら人形」の制作を再開した。
平市が、皇太子と美智子さまの来市の折、この「じゃんがら人形」の献上を決め、恭代さんに発注した。
資料の末尾には参考資料の一つとして、昭和62(1987)年7月7日付のいわき民報(縮刷版)も紹介されている。
電子化されたいわき民報は昭和57(1982)年までしかない。図書館で縮刷版に当たると、「『じゃんがら人形』秘聞」と題する猪狩勝巳さん(炭田研究家)の寄稿文が載っていた。
猪狩さんは「常磐炭田鳥瞰図」を入手して、初めて作者の鈴木百世を知った。百世の長男は当時、内郷公民館長をしていた。
地元に優れた工芸家がいたことを記録にとどめなくてはと考え、長男から聞いた話を交えて百世の経歴を紹介した。
猪狩さんはこのなかで、「じゃんがら人形」の原材料などに触れている。百世は赤井・好間から出る良質の粘土で素焼きの人形をつくり、泥絵の具で着色した。
戦後、恭代さんが制作を引き継ぐ経緯も伝えている。いわき民報と平市商工課から復活の要請を受け、悩んだ末に制作再開を決めたという。
まずは既存の「じゃんがら人形」を借りて、石膏でかたどりをし、1年をかけて再生に成功する。この民芸品制作は、恭代さんが老齢で制作を打ち切るまで続けられた。
義弟が購入したのは、制作最終期の昭和50年代の終わりごろだろう。義弟の遺品をきっかけに、命日からほどなく疑問が解けたことになぜかホッとしている。