2018年1月19日金曜日

久之浜から魚が届く

「この4倍の魚をもらったの」。いわき市久之浜町の知人がスズキ・イシモチ・カナガシラ・カレイを持って来た。半分を近所の知人におすそ分けした。残ったのはスズキ1匹、イシモチ1・カナガシラ4・カレイ3匹=写真。カナガシラは近所の知人が頭を取ってくれた。
 写真を撮ったのは、久之浜の知人からもらった量の半分、知人が地元の人(たぶん漁師)からもらった量の8分の1、ということになる。知人の家に届いたのは写真の8倍はあったわけだ。

 知人は量が多すぎておすそ分けに悩んだ。で、たまたま亡き夫も本人も同僚だった私を思い出したのだろう。それで4分の1はさばける、と。

 近海魚は久之浜――が、いわきの北部・平あたりの定番だった。平の飲み屋街、田町や白銀町、その周辺でも久之浜産の魚を売りにしている店があった。私らも久之浜産の魚を目当てに飲み行くことがあった。

 久之浜に限らない。東日本大震災に伴う原発事故が、そんな食文化を断ち切った。それから7年。除染や自然減衰も含めて、いわきの魚や米、野菜は問題がないことがわかってきた。年齢が年齢だからなんでも食べる、ではなく、うまいから食べる、に変わってきた。

 そんななかで届いた魚だ。スズキは刺し身にしよう。そう決めたが、おすそ分けした人から、刺し身よりは焼いた方がいいというアドバイス。

 うろこを取る・頭を切って内臓を取り出す・三枚におろす――。震災前、広野町の歯科医師さんが沖で釣ったスズキを、奥さんがときどき持ってきてくれた。で、三枚におろして、刺し身にすることを覚えた。それを思い出しながら、さばいた。

 バター炒めにしてもらった。西洋流にいうと、ソテーか。淡泊で、上品な味。出刃包丁で中骨をバキッバキッと刻んだものをあら汁にしてもらう。これまた淡泊で上品な味だ。

 行きつけの魚屋さんから、前はカツオのあらをよくもらったものだ。が、スズキやカナガシラ、ヒラメのあらをもらったあとは、はっきりカツオ以外のあらなら――というふうに変わった。
 
 まず、晩酌にスズキのソテーが登場した。次の日はイシモチ・カナガシラのから揚げ。連日はさすがにきつい。うまくてもきつい。きょう(1月19日)はカレイの煮つけか。

2018年1月18日木曜日

戊辰戦争と目明

 いわきでの戊辰戦争について、小名浜の「二ツ橋の戦闘が東西両軍の勝敗の大勢を決した観」があると、考古・歴史に詳しい八代義定(1889~1956年)が書いている。
 八代の論考や短歌・俳句作品を収めた『残丘舎遺文 八代義定遺稿集』(菊地キヨ子・八代彰之編、2001年)を読んでいたら、西軍は平潟上陸以来、作戦が巧妙を極めた、西軍の勝因は諜報機関の利用活用よろしきを得たことによる、というくだりに出くわした。

 その秘密を解く鍵を握った――と、八代は書く。「それは西軍の参謀堀直太郎と小名浜在住の若松鉄五郎父子の関係であります」として、堀ら西軍から小名浜の目明(めあかし)・鉄五郎父子に贈られた賞金や賞状など4種類の史料を紹介している。史料には、官軍のために探索・道案内に尽力した、という意味のことが書かれている。

 鉄五郎とその子・明(妙)五郎(のち誠三郎)は、作家吉野せいの曽祖父と祖父だ。昨年(2017年)10~12月、いわき市立草野心平記念文学館で開かれた企画展「没後40年記念 吉野せい展」では、小名浜の生家や誠三郎の関連写真が紹介された。

 写真は①「若松(旧姓)せい生家 いわき市小名浜下町 昭和30年代」②「せいの祖父若松誠三郎の顕彰碑『北辰真武一刀流師範/若松誠三郎源尚之翁碑』地福院常福寺 いわき市小名浜 戊辰戦争の折、誠三郎は、目明役だった曽祖父鉄五郎とともに活躍した」③「若松(旧姓)せいと兄真琴 大正10年」――などで、誠三郎は剣術使いとして知られていた。

 新藤謙『土と修羅 三野混沌と吉野せい』(たいまつ社、1978年)には、曽祖父は「目明し鉄五郎」と呼ばれた侠客肌の男で、官軍の奥州征討の際、道案内を務めた。祖父・誠三郎も同行した。誠三郎は剣術を学び、のちに道場を開いている。門弟は数百人を数えた、とある。若松家の史料や八代の小論「戊辰戦争」には目を通していなかったようだ。
 
 誠三郎は江戸で千葉周作門下の小栗篤三郎に学んだ。この線から鉄五郎父子が西軍の手引きをするようになったのではないか、と八代は推測する。「若松父子が生前発表すれば勤皇家として格別の沙汰があったと思われるのでありますが、是非善悪は別として、異郷の人に土地の情報を提供したという点に遠慮があって、遂に生涯この事を他に漏らすことをしなかった」のだろうという。
 
 賞状が八代によって紹介された背景には、八代がせいと吉野義也の結婚を仲介したこともあるのではないか。若松家としては八代への信頼が厚かった、それで史料を提供した、ということがいえるのではないか。いずれにしても、目からうろこのような史料にはちがいない。

2018年1月17日水曜日

凍土は5センチ

 夏井川渓谷の隠居に小さな菜園がある。辛み大根と三春ネギ=写真=が収穫のピークを迎えた。ところが……。暖冬気味とはいえ、渓谷の最低気温は氷点下になる。「小寒」の今、表土から5センチほどがカチンカチンに凍っている。
 ネギを収穫するために、スコップを溝に差し込もうとすると、はね返される。そこをガチャガチャやって凍土にスコップをグイッと入れる。やっと土が割れる。でも、土は固まったままでほぐれない。

 三春ネギは、田村地方では曲がりネギにする。夏井川渓谷の牛小川ではどうか。私は生まれ故郷の例にならって曲がりネギにしていたが、まっすぐのネギにするという。

 そのためには、溝を深く掘って白根を長くする。ところが、わが菜園では溝を深くすると、雨の多い年には根腐れを起こしやすくなる。曲がりネギが合っているのだが、定植し直すのが面倒だ。まっすぐのネギにするため、溝を浅く、盛り土を高く、というやり方に変えた。
 
 すると、厳寒期の今、盛り土のかなりの部分が凍土化した。溝にスコップを入れて土を起こしたら、ネギを芯にした独楽(こま)のように土のかたまりがついてきた。それをまたスコップを使って割り、ようやくのことでネギを取り出した。

 空いたうねには生ごみを埋める。ところが、凍土を掘り起こすのは容易でない。たまたま盛り土をしたままになっていたところにスコップを入れたら、グサッと入っていった。今回は生ごみを埋めることができたが、「大寒」になると、凍土はさらに7センチ、10センチと厚みを増す。そうなると、鶴嘴(つるはし)で凍土を割るしかない。

 三春ネギはまだ50本ほどある。この際、3分の1は採種用に越冬させるか。春にネギ坊主が15個もできれば、かなりの種が確保できる。種が多いほど安心感が広がる。昨秋まいた種は芽生えこそよかったが、モグラ道ができてかなり枯れた。波がある。それをならすためにも種は多いい方がいい。

2018年1月16日火曜日

ハクチョウの数が最大に?

 いわきで越冬するハクチョウは、1月中旬にピークを迎えるのではないだろうか。日本野鳥の会いわき支部もこの時期、全国一斉ガン・カモ調査に合わせてハクチョウの数を調べる。
 2年前、知人から同支部の会報「かもめ」とともにガン・カモ調査の結果が送られてきた。ハクチョウを含むガン・カモ類の総数は3808羽、前年(2015年)は6959羽、前々年は6386羽。前年より「大幅に減少した。これは山野の鳥と同様に温暖化の影響と思われる」とあった。

 いわきのコハクチョウの越冬地は、南部・鮫川の沼部、北部・夏井川の平窪(平)・三島(小川)・塩(平)の4カ所。2016年の野鳥の会のカウントでは、沼部80羽、平窪167羽、三島79羽、塩171羽の計503羽だった。前年の668羽、前々年の704羽に比べると、漸減している。

 土曜日(1月13日)、夏井川渓谷へ行った帰り、同川の3カ所のハクチョウ越冬地を巡った。といっても、岸辺に立ってカウントしたわけではない。対岸の県道、橋の上、堤防から写真を撮って、あとでパソコンに取り込み、概数を調べただけだが。いつも実際の数より20羽前後多かったり少なかったりする。

 で、おおざっぱな把握だが、三島・130羽くらい、平窪・200羽くらい、塩・150羽くらい=写真=とみた。

 平窪では2009年以降、えづけを自粛している。というのは、2008年の晩春、十和田湖畔や北海道の野付半島、サロマ湖畔で、北帰行途中のハクチョウが死んで見つかり、鳥インフルエンザウイルスが検出されたからだ。
 
 今シーズンも師走の下旬に平窪ではネットが張られ、看板が立てられた。フェイスブックにアップされた看板の文章には、フンを踏まない・パンなどをあげない・強風時にはマスクをする・帰宅後はうがいと手洗いを――とあった。距離を保ってハクチョウと向かい合うのが一番、ということだろう。

2018年1月15日月曜日

白菜が高い

 いわき市小名浜大原の徳蔵院できのう(1月14日)、「大観音大護摩祈祷初大祭」(初観音)が開かれた=写真。境内では同時に、フリーマーケット「かんのん市」も開かれた。毎年、カミサンがシャプラニール=市民による海外協力の会のフェアトレード商品を展示・販売する。
 わが家からお寺までは、国道6号常磐バイパスを利用して20分くらいだろうか。前はカミサンと荷物を送り届けて帰宅し、ころあいをみて迎えに行ったものだが、このごろは市の終わりが早くなった。時間も燃料も無駄なので、帰宅せずに寺の駐車場でそのまま待機するようにしている。

 3年前から同じ平・神谷に住む知人が「かんのん市」に参加するようになった。白菜などを売る。ちょうど山間地から買って、漬けた白菜が切れる時期だ。今年(2018年)もカミサンに頼んでおいたら、よその人に買われたあとだった。1玉200円だったという。

 昨秋の長雨と台風の影響で冬野菜の生産量が減り、店頭価格がべらぼうに高くなっている。白菜は1玉700円近い。4分の1株でも200円以上する。で、「かんのん市」で先を越されたからには、遠回りしてでも直売所で白菜を買わねば、という気になった。

 知っている直売所は平藤間の田んぼの一角にある。そこを訪ねると、小さな玉の白菜が二つあった。1玉200円だという。通常なら100円程度の小玉だが、大きくて安い白菜が手に入るような状況ではない。買ったら、小さい大根1本をおまけにくれた。一瞬、ミニ野菜の世界に入り込んだか、と思わないでもなかった。

2018年1月14日日曜日

しぶき氷はまだ赤ちゃん

 元日以来、2週間ぶりに夏井川渓谷の隠居へ出かけた。
「西高東低」の冬型の気圧配置が続いている。日本海側では大雪、太平洋側はカラッ風の晴天。いわきが「サンシャインいわき」と胸を張るのは、この冬の日照時間の多さによる。

 二十四節気でいえば、今は「小寒」(1月5~19日)。次が「大寒」(1月20日~2月3日)だ。いちだんと寒さがきつくなる。

 隠居があるのはV字谷の小集落。何枚か田んぼがある。それを潤すために、夏井川の支流・中川から集落の田んぼ~夏井川へと用・排水路がのびている。どのくらい寒いかは、この水路を見ればわかる。きのう(1月13日)見たら、枯れ草にしぶき氷ができていた=写真。

 気温が下がる夜間、枯れ草に付いたしぶきが凍り、肥大し、やがて針のようになったのだろう。氷はまだ半透明だ。氷の赤ちゃんだ。
 
 本流の夏井川でみごとなしぶき氷が見られるのは篭場の滝。ここ何年かはしかし、暖冬気味のために氷の壁が少ししかできない。
 
 東日本大震災が起きた2011年は厳冬だった。1月中旬なのに岩盤がしぶき氷で厚く、広く覆われていた。パソコンに写真を取り込んだら、走査型電子顕微鏡で何かを見ているような印象だった。

 隠居の対岸の森の中に「木守の滝」がある。「大寒」に入ると、この滝の氷をかち割って持ち帰る。夏の行事に6月30日の「氷室開き」がある。それまで冷蔵庫に保管しておくのだ。およそ5カ月がたって暑さがつのるころ、焼酎のオンザロックにする。それもしばらくやっていない。

 さて、この冬はどこまで寒さがきつくなるのか、ならないのか。わが家でもまだ風呂の蛇口が凍って水が出ないということはない。今年(2018年)も暖冬で終わったら、木守の滝の天然氷はお預け、ということになる。

2018年1月13日土曜日

10円切手不足

 きのう(1月12日)の夕方、前日に投函した年賀はがきが郵便局から戻ってきた。紙が張ってあった。「1月8日以降に差し出された場合は、62円です」=写真。よかった、相手に迷惑をかけないですんだ――。
 前の日の夕方、10円切手を張らずに年賀はがきを投函した。晩酌を始めると、カミサンが尋ねた。「年賀はがきは? 10円切手を張らないと」「出しちゃったよ」

 今年(2018年)の年賀はがきは、1月7日まで差し出した場合は額面通り52円でいいが、8日以降は通常はがきと同様、10円切手を張って出さないといけない――頭ではわかっていた。

 11日も、わかっていた。ところが夕方。ふと、家の斜め向かいにあるポストが4時に開けられ、郵便物が回収されることが、頭をよぎった。投函が4時以降になると、配達がさらに一日遅れる。切手を忘れて、あわてて投函したのだった。

 半分は年のせい、半分は風邪で頭がうすぼんやりしていたせいだろう。前にも書いたが、行政区としては実施していない正月様送りが気になって、つい副区長さんに確認の電話まで入れた。

 元日から置き薬の風邪薬を飲み続けたが、さっぱりよくならない。きのう、持病の薬をもらいに行ったついでに、ドクターから風邪薬を処方してもらった。熱があるわけではない。ときどき痰が絡んで咳が出る。で、新たに咳止め・去痰・抗生の3種類を飲みはじめた。

 ともかくも、年賀はがきは戻ってきた。相手方に10円を払わせる失礼をしないですんだ。「風邪は万病のもと」。万病には「意識レベルの低下」の入っている?