2025年7月12日土曜日

トンチンカンの日々

                                
   50代のころはいずれそうなるだろうが――というヨユウで読んでいた。江戸時代中期に生きた尾張藩士で俳人の横井也有(1702~83年)の狂歌である。

  「皺はよるほくろはできる背はかがむあたまははげる毛は白うなる」「手は震ふ足はよろつく歯はぬける耳は聞こえず目はうとくなる」

毎朝庭に出る。あるとき、白い点が目に入った。クチナシだ=写真。白いのはクチナシの花だけでいい。狂歌を読んだあとにはそんな心境になる。

後期高齢者になった今はゲンジツとしてこの狂歌が刺さる。頭髪から始まって、目、耳、歯、そして足と、老化が止まらない。

 若いときから右耳の聞こえがよくなかった。それが昂(こう)じたのか、このごろは人と話をしていて、右耳に手のひらを当てたくなるような衝動に駆られる。

 亡くなった義弟がそうだった。隣家に聞こえるほど音量を上げてテレビを見ていた。私はまだそこまではいっていない。通常の音量だが、少し上げたくなる気持ちはある。

 テレビだけではない。聞こえの悪さのほかに、「誤認」によるトンチンカンも増えてきた。

 拙ブログに残っている記録をみると、南米の「イグアスの滝」が「イグアナの滝」になり、「スーラー野菜湯麺(タンメン)」が次の日には「ソーラー野菜湯麺」に変わっていた。

 いずれもカミサンからけげんな顔をされ、すぐ言い間違いを指摘されて、「アハハ」と笑ってお茶を濁した。

「ダイソー」を「ダイユー8」と聞き間違えたこともある。車を走らせるとすぐ、カミサンから「方向が違う」といわれた。

カミサンの「口」が頭と違ったことをしゃべり、私の「耳」が勝手に言葉を解釈したのかどうか、そのへんはよくわからない。

先日もトンチンカン問答が起きた。私が会議で外出中、高校1年の孫が父親とやって来て、カミサンに告げたそうだ。

「あした、桜丘(おうきゅう)祭だって」。「桜丘祭」とは高校の文化祭の名称だ。男女共学になる前は女子校で、カミサンも、カミサンの母親も、孫の母親もそこで学んだ。

カミサンにとっては懐かしい母校の文化祭である。「行くからね」と、アッシー君の私に伝えたのだった。

ところが、私にはそれが「アシ、オッタ」と聞こえた。孫はサッカーをやっている。練習か試合中にけがをしたのか!

私が眉を吊り上げ、目をむいて大声を出したために、カミサンがびっくりして復唱した。「あ、し、た、オウ、キュウ、サイ」。

それを聞いて安心し、大笑いになった。トンチンカンは笑い飛ばすしかないのだ。

トンチンカンがもたらす笑いは老夫婦にとって天の恵み――。まど・みちおさんが103歳で出した詩集『百歳日記』(NHK出版生活人新書、2010年)のなかで、そんな意味の詩を書いていた。

先日は「オロナイン」を「オロナミン」と言い間違えて笑われた。カミサンもラッキーセブンにひっかけて、「平成7年7月7日」と言う。「令和、ね」。お互い様なので、やんわりと訂正してやった。

2025年7月11日金曜日

熱中症警戒アラート

                          
   6月最後の日曜日(29日)。平地の平から夏井川渓谷の隠居へ向かうと、あちこちに「7月の花」が咲いていた。ネムノキである。

沿道では暦が7月に替わると決まってネムノキが満開になる。すると、隠居の庭にあるネジバナも――。7月最初の日曜日(6日)。ねじれたピンクの花がやはり、庭に咲いていた=写真。

東北南部は、梅雨入りが発表されたとたん、真夏のような猛暑が続いている。薄曇りの日でさえジメジメして暑い。扇風機をかけても室温は連日30度を超える。

7月9日には今年(2025年)初めて、福島県に「熱中症警戒アラート」が発表された。

この日は朝9時、区内会の会計さんと2人で地域の事業所を回り、8月末に開かれる地区市民体育祭への協力をお願いする予定でいた。

ところが、突然の熱中症警戒アラートである。予定に入れたからといって、猛烈な炎天下、1時間も歩き回ると体調を崩しかねない。救急車の世話にならないよう、急きょ、会計さんに連絡して一日順延を決めた。

 警戒アラート当日の9日。早朝5時に起きて窓を開けると、すでに空は青い。隣の駐車場に止まっている車は、早くも朝日を反射していた。

 恐ろしい明るさ――。そんな言葉が頭に浮かんだ。そして、「よかった、一日延ばして」とも。

事業所回りを予定していた朝9時台のアラート予報は「厳重警戒」だった。年寄りが外出するような状況ではない。

毎年協賛金のお願いに回っているので経験的にわかるのだが、ちょっとすくんでしまうような日射量だった。

雪国には「雁木(がんぎ)づくりの商店街がある。台湾には建物の1階部分をくり抜き、歩行者が通れるようにした「騎楼(きろう)」がある。

雁木は冬の雪対策だが、夏は日よけにもなるという。騎楼も雨(台風)だけでなく、日よけも兼ねる。

いずれにしても、日よけがあって、風が吹き抜けるスペースが欲しい。家の前にそれがあれば、一日そこで過ごしてもいい。

そう思うくらいの酷暑が続く。実際、9日はべらぼうな暑さになった。外出するなら日傘を、なんてことも考えた。

 さて、一日順延をした10日だが、起きると曇天で、茶の間の室温も30度を割っていた。

朝9時台のアラート予報は、「厳重警戒」よりは1ランク低い「警戒」だ。「警戒」では、運動や激しい作業をする場合、定期的に、そして十分に休息をとる、というのが留意すべきことのようだ。

 風は東から吹いていた。涼風である。しかし、国道を歩きながら事業所を回ると、汗がにじんでくる。ざっと4千歩、1時間。曇天、涼風でもくたくたになった。いや、その程度ですんだ、というべきか。

ルーティンはルーティンとして、自分たちの年齢・体調(というより回復力)を考えれば、一日順延で「大正解」だった。

2025年7月10日木曜日

手書きの効用

                                              
   東日本大震災の1年前だった。マチの商店会とラジオ福島が共催して、平・一町目のT1ビルでチャリティーセールを開いた。

文房具店のブースでは万年筆の無料診断が行われた。ちょうどいい機会なので、インキの出が悪い万年筆を診てもらった。

ペンドクターが問診をしたあと、「これはソフトペンですから、力を入れたらインクが途切れたり、二重になったりします」といって、古くなったペン芯を交換し、カートリッジインキを1本差し込んでくれた。

 すると、万年筆が生き返った。すらすら字が書ける。交換した部品も、カートリッジインキも無料だという。

悪いので、ブルーの12本入りカートリッジインキを買った。こちらもチャリティー価格で100円引きだった。

その後何度かカートリッジインキを買い替えた。それが切れたので、先日、同じ文房具店へ買いに行った。12本入りはどこにも見当たらない。しかたがない、5本入りを3箱買った=写真。

それからほどなく、全国紙にメーカーの全面広告が載った。斎藤孝明明治大学教授が「手書き」を大切にする理由をつづっている。

キャッチコピーにそれが出ている。「書くことで、先人の精神を/身体に刻む。それが学びです」

ほかに、「手書きの文字が伝えるのは/単なる『情報』だけではない」「自分で知識を“捕まえ”にいく、/能動的な行為に意味がある」とも。

「身体に刻む」ことの重要性は、体験的にわかる。拙ブログに書いた文章を再構成して紹介する。

――アナログ人間である。その人間がデジタル社会のなかで何を心に留めているかというと、メモは「手書き」で通すこと、これだけ。

書くということは、自分の脳内に文字を浮かび上がらせ、腕から手、指へと伝え、鉛筆あるいはボールペンを使ってそれを紙に記す、きわめて肉体的な行為だ。その行為の繰り返し、経験が体に蓄積されて次に生かされる、と私は思っている。

私は、パソコンを「外部の脳」、自分の脳を「内部の脳」と区別して考える。キーボードをたたいて、外部の脳に文章の処理を任せるようになってから、内部の脳はすっかり書くことから遠ざかった。

人間の脳は、使わなければ退化する、パソコンやスマホが普通になった今、人間の脳はこれから小さくなっていくのではないか、といった危惧を抱かざるを得ない。それを避けるために、意識して実践しているのがメモ(日録)の手書きだ。

「書く」ことをやめて、外部に映る漢字を「選ぶ」だけになった結果、漢字がどんどん自分の脳からこぼれ落ちていく。

書く習慣が薄れると考える力も衰える。アナログ人間だからこそわかるデジタル文化の落とし穴といってよい――

万年筆のカートリッジインキを買い、斎藤教授の文章を読んで、あらためて手書きの効用を胸に刻む。

2025年7月9日水曜日

早くもヤマユリの花が

                                  
   自分の「原風景」にはちがいない。が、幼いころの記憶にとらわれていると、現実を見失ってしまうのではないか。毎年、ヤマユリの花を見ながら、そんなことを思う。

阿武隈高地のほぼ中央、田村市の山里で生まれ育った。夏休みになると、毎日、大滝根川で水浴びをし、館山の奥の雑木林で「おっかけっこ」をした。ちょうどそのころ、林道ではヤマユリが咲き出す。

梅雨が明ける。夏休みが始まる。青空に入道雲がわく。それと前後して、ヒマワリではなくヤマユリが大輪の花を咲かせる。私の小学校時代の夏の原風景だ。

それが今はどうだ。夏井川渓谷でも7月の声を聞くと、すぐヤマユリが咲く。温暖化の影響か、開花時期が早まっている。

ちょうど1年前、渓谷のヤマユリについて、ブログにこんなことを書いた(2024年7月9日付)。

――7月7日はいつものように、夏井川渓谷の隠居へ出かけて土いじりをした。といっても、体感ではこの週末で最も暑かった。

畑の日陰を求めて穴を掘り、生ごみを埋めると、もう息が上がった。15分で作業を中止し、早々に隠居を離れた。

どうやら内陸部に行くほど気温が上昇したようだ。あとでデータを確かめると、中通りでは猛暑日のところが相次ぎ、浜通りでも隠居から近い阿武隈山中の川内村は36・7度だった。

こんな暑さの中で土いじりをすること自体無謀だが、一方では「ヤマユリが咲いているはず」という期待もあった。

小川町の平地ではすでに咲き出し、渓谷でもつぼみが白く大きくなって開花する寸前のものがあった。

籠場の滝の近くまで進むと、まだ小さくあおいつぼみが散見された。その先、少し開けたところで一輪、ヤマユリが咲き、かたわらでつぼみが大きく白くなっていた――。

今年(2025年)も去年と全く同じ状況になった。7月6日の日曜日、籠場の滝を過ぎると、渓谷で最初のヤマユリの花に出合った=写真。

2年前の2023年は、7月9日が日曜日だった。ブログによると、夜明けに雨が降ったあと、曇ったり晴れたりしながら気温が上昇した。朝、夏井川渓谷の隠居へ出かけたが、風がそよとも吹かない。これはこたえた。

この年は植物の目覚めが早かった。いや、その年も、というべきだろう。渓谷の「花ごよみ」が早まっている。

4月のアカヤシオが3月に咲き、5月のシロヤシオが4月に咲く。ヤマユリも咲き出すのは7月後半だったが、近年は7月前半に開花することが多い。

やはりこの年も9日には咲いていた。渓谷はその週半ばには「ヤマユリ街道」になったことだろう。

ブログによれば、これまで渓谷で最も早く咲いた日曜日は7月8日(2018年)だ。今年はそれをさらに2日早く更新したことになる。とにかく早い。そして、暑い。暑い。暑い。

2025年7月8日火曜日

日曜夕方の楽しみが……

                                
 予想もしなかった「知らせ」だった。日曜日の夕方、いつものように魚屋さんへ刺し身を買いに行くと、店主が目の前の棚に置いたファイルを見せながら、「7月25日で店をやめます」

びっくり仰天、とはこのことだ。父親が死んだときよりショックだった。あのときは、夜更けに実家から電話がかかってきた。連休を利用して泊まりに行き、わが家へ戻って5時間後のことだった。

「あのあと、じいちゃん(父親)の具合が急に悪くなって駄目だったの」と、義姉が沈んだ声で告げた。その義姉も今は彼岸へ渡った。

ざっと40年、日耀日の夕方は刺し身と決めて、車で5分ほどの魚屋さんへ通い続けた。息子さんが当主になってからだけでも30年がたつ。

65歳。私よりは一回り若い。が、体調が万全ではなくなった。腰痛が年々、悪化してきたという。

それを聴いて、カミサンが応じた。「ウチ(米屋)と同じ」。カミサンの実家は何代か続く米穀店だった。幕末にはお城(磐城平城)で食べる米を精米していたそうだ。

 それが去年(2024年)の10月末、米の新年度に合わせて廃業した。理由は魚屋さんと同じ。当主である義弟の腰痛悪化だ。

歩いて行き来できる範囲にあった商店(雑貨屋・八百屋・床屋など)が、もう何十年も前から次々に廃業し、いつの間にか道路沿いには空き家・空き地が目立つようになった。

その流れがわが家にも、そして行きつけの魚屋さんにも及んだ。創業から70年。まず親類に伝え、取引業者に連絡したあと、順次「お得意さん」に知らせることにしているという。

日曜の夕方はカツオの刺し身、カツオがないときにはあるもので、そして最近はカツオやタコ、ヒラメなどの刺し身の盛り合わせを楽しむ。

しかも顔を見てから、冷蔵庫からネタを出し、マイ皿を受け取って刺し身を作り、盛り付けてくれる。

6日はカツオをメーンに、タコ、ホタテ貝、皮付きアイナメ(たぶん)が並んだ=写真。ホタテ貝はサービスだったかもしれない。

カミサンは毎日、何を作ろうかと頭を悩ませている。それが、日曜の夕方だけはおかずを考えなくていい。その意味では、かけがえのない日曜日の食文化、至福のひとときでもあった、

閉店まで、日曜日はあと2回。問題はそのあと、どうするかだ。車で5~10分の近所といえば、スーパーしかない。鮮魚コーナーにはパックに入った刺し身が並んでいるが……。

これと、これと、これ。マイ皿に刺し身を盛り付けてくれるような、融通の利く店が近くにはないものか。

2025年7月7日月曜日

残留のワケは?

                                          
   いわき市小川町三島地内の夏井川に、ハクチョウが1羽残留している。そのことを6月14日付のブログに書いた。

いわき民報には6月23日付「朝刊発・磐城蘭土紀行」として転載された。これは、その子にえさをやっている「白鳥おばさん」からのアンサー(手紙)である。

今までだと、白鳥おばさんから自宅の店舗(米屋の支店)に電話がかかってきた。去年(2024年)の秋に廃業し、店の電話を取り外した。

それで連絡がつかなかったのだろう。そのことにも触れながら、ハクチョウが残留した経緯をつづっている。その前に拙ブログを要約・再掲する。

 ――2021年の春、1羽がけがをして三島に残留した。毎日えさをやっている白鳥おばさんは「エレン」と名付けた。

その年の11月、白鳥おばさんから電話がかかってきた。エレンが飛べるようになったという。

でも、エレンは春が過ぎてもとどまった。翌年には北へ帰った。その年の年末、白鳥おばさんから電話がかかってきた。「エレンが戻ってきた。ずっと見てきたので間違いない」

そして今年、また1羽が残った=写真上1(4月20日撮影)。けがをしていて飛べないのだろうか。

エレンであってもなくても、ハクチョウが日本の夏を過ごすのはきつい。そのことだけは変わらない――。

 エレンではなかった 白鳥おばさんは、新しい子に「エリー」と名付けた(桑田佳祐の歌に「いとしのエリー」がある。手紙で名前を知った瞬間、そのメロディーが脳内に響いた)。

 ハクチョウたちは春の彼岸までに北へ帰ったあと、3羽が残った。首にまだ灰色の部分が残る幼鳥が、「仲間とのいざこざ」からか飛べなくなり、親鳥が10日ほど子どもの様子を見守っていた。が、気温が上がってきて、飛べない1羽を残して北へ帰った。

エレンのときと同じように、白鳥おばさんは国道の護岸の上から、対岸でじっとうずくまっているエリーに声をかけた。エリーは、くず米をまくとやってきて食べるようになったという。

そして、これは手紙の最後にあった「ビッグニュース」だ。6月下旬、ここにコウノトリが現れたという。そのイラストが描かれていた=写真上2。

コウノトリは去年8月、野鳥の会いわき支部が夏井川河口域でツバメのねぐら入り観察会を開いたときに、近くの水田で目撃されている。それとはたぶん、別の個体だろう。

7月1日、なんという偶然か、いわき市立草野心平記念文学館がSNSで三島のコウノトリの写真をアップし、それを観光まちづくりビューローが共有していた。

それだけではない。文学館では急きょ、7月11日からコウノトリと残留ハクチョウをテーマにした「小さな企画展」を開くという。

 エリーちゃんのほかに、(出合えるかどうかはともかく)コウノトリも、小さな企画展もと、バードウォッチングの対象が一気に広がった。

2025年7月5日土曜日

車と花とネコ

                                
 隣家は空き家になって、売りに出された。関西に住む娘さんが年に何回か帰って来る。そのつどカミサンにあいさつをし、情報交換をする。

 ある日、造園業を営む近所の人が来て、隣家の庭木の剪定をすることになったという。娘さんから頼まれたのだろう。

 わが家の庭と違って、隣家の庭は岩石と松の木やツツジなどを組み合わせた日本庭園風の造りだ。

 その庭の木が放置されて乱雑に枝を伸ばし、地面を雑草が覆っている。プロがそれを2日がかりで「整髪」した。

 勝手に生えてきたフヨウは根元から切り取られた。そばに排水マスがある。これを壊す心配があるのだろう。

 南隣の家とはブロック塀で遮られている。塀のそちら側は物置で、その前に軽自動車が止まっている。

車のそばにキョウチクトウが植わってあり、早くも白い花を咲かせた。ところが、車にその花が落ちてこびりつく。ご主人は隣家の庭がきれいになったあと、キョウチクトウの枝を剪定した。

花が車の屋根にこびりつくのは、わが家も同じだ。前はプラムとイボタノキ。そして、今は花の終わったあとの青柿だ=写真上1。これがしょっちゅう車の屋根に落ちる。

まだ3センチほどだが、秋に向かって実が肥大するにつれて、車に当たる音が大きくなる。

で、青柿が目立つようになると、車を止める位置を変える。理由は青柿のほかに、もうひとつ。

庭に車のタイヤの轍(わだち)ができている。雨が降ると、そこに水がたまる。車の前輪と車体に泥が付く。それがいやで、震災まで物置があったところに止める。

こちらは南向きで、もろに日が当たる。夏にはハンドルが直射日光でやけどするくらいに熱くなる。それを避けるためにハンドルにタオルを掛けておく。早くも6月中旬に「アチッ」となった。

しかし、そこにも轍ができて、雨が降ると水がたまるようになった。梅雨空には両方の中間、ツワブキの群生に突っ込むようにして、斜めに車を止める。

ここも直射日光を浴びる。車を運転するときには、すぐ窓を開ける。するとたちまちヤブカが現れる。

梅雨に入ったとたんの猛暑で、タイヤの轍が乾いたのはいいのだが……。上には青柿、そして直射日光もあって、車を止める場所がなかなか決まらない。

ある日、日が西に傾いたのでいつもの場所に止めると、ネコのシロが現れて車の屋根の上で横になった=写真上2。

このネコはなにをするにも「わがもの顔」のところがある。「君臨」するのが好きらしい。

つい「コラッ」と言いたくなるのだが、「ネコだぞ」ともう一人の自分がたしなめる。結局、放っておく。ネコも暑いのだ。