2026年8月29日土曜日

清張デビュー前の作品

                                            
   松本清張(1909~92年)の名前の読みは、「せいちょう」ではなく「きよはる」だった。

「松本清張」はペンネーム、「清張」の読みは「せいちょう」と思っていたが、そうではなかった。本名である。「まつもときよはる」である。

 清張デビュー作「西郷札」の前に、「志和隆晴」名で「ある盗賊の話」が、「松本寛隆」名で「百八煩悩」が、いずれも朝日新聞西部本社発行の「朝日ウィクリー」に掲載されたことを、8月2日付の朝日新聞が伝えている=写真。

 清張はデビュー前、朝日西部本社の工務局関係社員だった。たまたま賞金目当てで懸賞小説に応募し、入選したことから作家の道に入った。

 私が本を読む楽しさを知ったのは15歳のとき。高専に入って最初の夏休み、帰省して読みふけったのが清張の『点と線』だった。

 新幹線が導入される前の鉄道を題材にした長編推理小説で、東京駅ホームの4分間の空白をついた時刻表のトリックに強烈な印象を受けた。

当時、すでに売れっ子の作家、ベストセラーの小説だったが、ほかの作品はそんなに読んだ記憶はない。

清張原作のテレビドラマはよく見た。ドラマの一覧をチェックしていたら、「ゼロの焦点」「黒革の手帖」「けものみち」「鬼畜」などを思い出した。

拙ブログには2021年2月23日夜、BS日テレで「松本清張スペシャル・鬼畜」を見た、とある。

「火曜サスペンス劇場1000回突破記念作品」で、主演は若いときのビートたけしだった。これと同じように再放送、再々放送がいくつもあるようだ。

今はBS11で毎週金曜日午後6時45分から放送されている「サスペンス『松本清張シリーズ』」を見ている。28日は「黒の回廊」だった。

テレビで「鬼畜」を見た年の正月、イタリアに住むカミサンの友達からメールが届いた。イタリア中道左派の日刊紙「ラ・レプッブリカ」の切り抜きが添付されていた。

松本清張を紹介する記事で、見出しに「シムノンに似た日本のサスペンス作家」とあった(知人の翻訳による)。

シムノンは「メグレ警視」で知られるフランスの作家ジョルジュ・シムノン(1903~89年)で、清張とは同時代の人間だ。

イタリアの友達は、シムノン同様、清張を「サスペンス作家」と書いてきた。「推理作家」とは違うのか。ネットに当たると、ウィキペディアはサスペンスとミステリ・推理小説を区別していた。

サスペンスは現実に基づいた人間の起こす物語、ミステリや推理小説は推理を楽しむ物語、だそうだ。

さて、朝日の記事にあるペンネームだが、「志和」は清張の母親の生まれた村の地名で、「隆晴」は清張の三男の名前と一致するという。「松本寛隆」の「寛隆」には言及がなかった。

 「隆晴」はなんと読むのか。「せいちょう」にならって「りゅうせい」? それはないだろう。としたら、「たかはる」である。そうか、そうだ。きっと、そうに違いない。一気に親近感がわいた。

2026年8月28日金曜日

新聞の書籍広告

                                         
 オールドメディアの指標といえば、新聞は発行部数(新聞社が公表)、テレビは視聴率だろう。どのくらいの世帯・人間が新聞を読み、テレビ番組を見たか、というときの目安になる。

テレビの視聴者はC(チャイルド=4~12歳)、T(ティーン=13~19歳)、それ以上は男女のM(メール)・F(フィメール)を冠したM1・F1(20~34歳)、M2・F2(35~49歳)、M3・F3(50歳以上)に区分される。

3・F3層は、中高年でも後期高齢者の「団塊世代」が大きな塊をなしているとみてよい。実際、この世代は新聞もよく読む。

元ブンヤの習性で、わが家では週刊を含む新聞4紙、月刊の『常陽藝文』を購読している。

テレビ番組はむろんそうなのだが、M3・F3層が好んで読む新聞の広告にも苦笑させられることが多い。前に書いたブログの一部を要約・再掲する。

――このごろはカミサンに引っ張られて、宵のうちからBSで時代劇を見ることがある。

すると、筋肉痛や神経痛、手足のしびれなどに効くなんとか薬品、といったCMがやたらと目に付く。

こちらにも心当たりがあるので、つい身を乗り出して見る。番組が終わってから30分以内に電話をかけてください、あるいは初回限定でいくらいくらまで安くなります……

ほかにも医療保険、介護サービス、カツラ(ウイッグ)など、シニア向け商品のCMが目に飛び込んでくる。

BSの時代劇をCMから逆にたどると、ターゲットとなる視聴者はM3・F3のシニア世代ということになる。

新聞も、県紙・全国紙問わず、シニア向けの広告が目に付く。先に紹介したような医薬品のほかに、さまざまな通販広告が載る。

テレビか新聞かは関係がない。新聞もすっかり高齢者が「コア読者」になってしまったようだ――。

このごろはどういうわけか、新聞を広げるとすぐ、記事下の書籍広告に目がいく。いちおう記事の見出しには目をやる。そのあと本の広告をじっくりチェックする。

 気になる本は、すぐ図書館にあるかどうかを確かめる。あって「貸出可」なら借りに行く。「貸出中」なら戻ってくるのを待つ。

 先日もそうやって広告をチェックしていると、『高専――戦後日本のエンジニア養成』という文字が目に飛び込んできた=写真。

 おっ、高専の歴史に関する初めての本ではないか! 中公新書である。著者は龍谷大学の手嶋泰伸准教授(日本近現代史)で、福井高専で教鞭をとった経験がある。

 高専は青春と人生の出発点ともいうべき場所だった。ここでのさまざまな出会いから、エンジニアとは真逆のブンヤの道を歩むことになった。

 本は出版されたばかりだから、図書館にはない。そんなことより、これは買って手元に置いておくべき書物である。

というわけで、ラトブへ行ったついでに、3階のヤマニ書房で購入した。2日で読み終えた。実体験を客観化するとこの本の骨子になる。踏み込んだ感想はまたいつか。

2026年8月27日木曜日

わが家は猛暑日

                                
 8月25日は早朝、雲一つない青空だった。6時半に接骨院へ行くと、ラジオから天気予報が流れてきた。小名浜の最高気温は31度の予想だという。

 沿岸部でそうなら、内陸の平では35度を超えるのではないか。きょうは「猛暑日」覚悟か――。実際、わが家の茶の間ではそうなった。

 朝から風に熱がこもっていた。いつもとは違う。8月7日は立秋、23日は暑さが収まることを意味する処暑だったが、それはしかし暦の上の話だ。

 今年(2026年)の夏は、暑いことは暑くてもゲンナリするほどではなかった。南向きの茶の間で、ガラス戸を開け、扇風機を回して仕事をしているのでわかる。

8月第2週後半から第4週後半まで、連日、かなりの量の「文字読み」をした。酷暑が続くと、体がボーッとしてきて「やってられない」状態になるのだが、今年はそれがなかった。

庭の「蝉時雨」も8月に入ると日増しに大きく、うるさくなった。処暑を過ぎても、それは変わらない。ただただ仕事に集中するだけ、である。

25日は、接骨院から帰ると「朝活」をすませ、10時過ぎには銀行と図書館へ出かけた。

カミサンも同行した。「暑いから台所には立ちたくない」というので、昼食用のサンドイッチなどを買って戻った。

とにかく暑い。暑くて「茶の間にはいられない」と思った。そう感じたのは今季初めてだ。

テレビのわきにあるデジタル時計を見ると、気温はとっくに30度を超えている。午後1時44分には、ついに「35.0度」になった=写真。暑さはその後も続き、夕方4時半にはピークの35.3度に達した。

福島地方気象台のデータでは、この日の小名浜は最高気温が30.8度、山田が33.8度だった。

「猛暑日」には蚊の活動が鈍くなるのか、蚊取り線香がなくても大丈夫だった。セミたちも同様、酷暑にゲンナリしたらしく、蝉時雨の音量はいつもの半分くらいだった。

この暑さの中、南相馬市に住む高専の後輩がやって来た。震災後、私たちも関係するシャプラニールが被災地支援に入り、いわきで交流スペース「ぶらっと」を運営した。そのとき、スタッフの1人として雇用され、知り合った。

店の一角に「かべや文庫」がある。そこで主にカミサンと近況を報告しあった。茶の間よりはしのぎやすい。そこでしばらく冷たい飲み物を口にしながら過ごした。

彼女が帰って茶の間に戻ると、また熱気に包まれた。晩酌を早めに始める。ポットには氷を入れた水。冷蔵庫から取り出したチーズはたちまち軟らかくなって、今にもとろけるのではないかと思われた。

それからほどなく、カミサンから声がかかる。「夕焼けがきれい!」。家の前に出ると、西空に幾重にも雲がたなびき、夕日を受けて赤く染まっていた。

酷暑の締めくくりは赤い夕焼け雲――。これだけで少し焼酎の量が増えた。翌日もまた「猛暑日」に迫る暑さだった。

2026年8月26日水曜日

隠居の危険な生き物

                              
   8月23日の日曜日は朝早く、夫婦で夏井川渓谷の隠居へ出かけた。土いじり(夏場は草引きが中心)をするのは3週間ぶりだ。

その1週間前の16日は、早朝、月遅れ盆の「精霊(しょうりょう)送り」が行われた。終わって隠居へ出かけ、台風被害がないのを確かめてとんぼ帰りをした。カミサンは「片付けがあるから」と家に残った。

下の庭も、上の庭もきれいになっていた。お盆を前に、集落のKさんが見かねて草を刈ってくれたのだった。

そのまた1週間前の9日は夫婦で郡山市立美術館を訪ね、帰りにほんのちょっと、隠居に立ち寄った。

それから3週間。たまった生ごみを畑に埋めたあと、ネギのうねに土寄せをした=写真。カミサンは? ネギのうねと旧苗床のそば、県道との境の土手際に植えてあるアジサイの手入れを始めた。

土寄せが終わり、旧苗床から大きくなったネギを収穫した。まだまだ夏の暑さは続く。土いじりは朝のうちの1時間。そう決めたとおりに切り上げて隠居へ戻ると、カミサンが台所でなにやらやっていた。

「手袋の上からハチに刺されたの」。それですぐ隠居に戻り、刺されたところを指で押して毒を出し、水に流していたのだという。

2度目ではないか! 20年ほど前、やはり隠居の坪庭で草むしり中に、キイロスズメバチに手を刺された。

やけどをしたような痛み収まらないので、磐城共立病院(現いわき市医療センター)の救命救急センターへ連れて行った。

「今度刺されたら、すぐ救急車を呼ぶように」。ドクターにいわれていた。怖いのはアナフィラキシーショックである。

刺されてからすでに30分はたっている。前回よりは刺され方が浅かったという。それもあるのか、体調の急変はなさそうだ。

まずは平地の小川に戻り、コンビニで軟膏を買って塗ることにした。すぐ雨戸を閉め、風呂場の水を止めて坪庭に伸ばしていたホースを引っ込め、隠居をあとにする。

日曜日である。行くとすれば救命救急センターだ。保険証(資格確認書)を取りに家に戻ったが、体調に変化はない。

どうやらアナフィラキシーショックは回避できたようだ。一晩様子を見て、翌日、念のためにマチの皮膚科医院で診てもらう。

「大丈夫でしょう」ということで、とりあえずかゆみ止めの薬と、炎症を抑える軟膏を処方された。

隠居では、私がムカデに刺されたばかりだった。ムカデに刺されたとき、台所で水を流しながら、ムカデの毒を押して流した。それを見ていたから、カミサンもハチに刺されるとすぐ台所に駆けつけた。

マチなかのわが家の庭でさえ、キイロスズメバチやアシナガバチが飛び交っている。大自然から間借りをしているような隠居の庭は推して知るべしだが、つい「造園好き」の一面が出てしまったのだろう。

ハチ類が活発に動き回る時期でもある。隠居の中にはムカデが、庭には蛇がいる。土いじりは楽しいが、危険な生き物もひそんでいる。そのことをまた「痛感」した。

2026年8月25日火曜日

医師作家夏川草介

                               
   ざっと1カ月前になる。「あさイチ」に作家の夏川草介が出演した。本業は医師で、しかも若い。老人医療を主題にした小説も書いているとかで、がぜん興味がわいた。

1978年に大阪で生まれた。信州大学医学部を卒業後、長野県内の病院で地域医療に従事しているという。

 2009年、『神様のカルテ』で第10回小学館文庫小説賞を受賞し、作家としてデビューした。

この作品は本屋大賞の2位にもなり、150万部を超える大ベストセラーになったそうだ。

 夏川草介というペンネーム自体、作家がらみだ。夏目漱石の「夏」、川端康成の「川」、「草」は漱石の「草枕」から、そして芥川龍之介の「介」。しゃれたネーミングから「くたばってしめえ」の「二葉亭四迷」を思い出した。

年寄りの了見の狭さというか、若いころに愛読した作家は年がいってもそのまま受け入れるが、大人になったあとに出てきた作家には、なかなか興味がわかない。

近年登場した作家は、名前は知っていても作品は読んだことがない、というケースがほとんどだ。

年下の元同僚が井坂幸太郎(1971年~)や星野智幸(1965年~)を読んでいると聞いて、作家と作品は時代と世代によって違うことを痛感した。

先日亡くなった東野圭吾もその一人。『クスノキの番人』を読んで、人間と人間の間に巨樹を媒介させたところに新しさを感じたが、彼の作品が広く若い人に読まれているのを知ったのは死を伝えるニュースで、だった。夏川草介も若い人には人気がある。

医師で作家といえば、久坂部羊がいる。こちらは71歳。認知症をテーマにした小説『老乱』を読んだのは6年前。久坂部は年齢も近い。

認知症や老人医療などは、もはや自分自身の問題でもある。これからやってくる、あるいはもう始まっている世界を知る上でも興味・関心がある。

その興味から夏川作品を読んでみることにした。いわき市立図書館のホームページを開くと、16冊の本があった。翻訳を除く14冊の大半が「貸出中」か「予約中」になっていた。これだけでも人気作家であることがわかる。

「あさイチ」に出演した日の朝、図書館にはたまたま「貸出可」が2冊あった。3日後の月曜日に借りに行くと、書架にはない。すでに「貸出中」になっていた。一歩遅れた。

かろうじてティーンズコーナーに『本を守ろうとする猫の話』と「君を守ろうとする猫の話』があったので、これを借りた=写真。猫が人間の言葉を話す。そこから物語が展開する。

超人気の『神様のカルテ』シリーズは出納書庫にあるが、デビュー作はやはり「貸出中」になっていた。これも「あさイチ」効果か。

毎年8月は「文字読み」の仕事が入る。今年は軽いタッチの夏川作品を頭において、連日、文字読みをした。

夏川草介は息子たちよりはずっと若い。彼のほかの作品はおいおいと。そう、老いては子に、いや若い人に従え、である。

2026年8月24日月曜日

誤嚥が怖い

                                 
 日ごろキャンバスと「対話」している親友の画家が「声を出して本を読んでいる」という。

 理由を聞いて納得した。医師から誤嚥(ごえん)を予防するために、のどの筋肉を鍛えるようアドバイスされた。

 実は私も同じ理由で、そばにある本でも、ブログの原稿でも、声を出して読んでみないとなぁ――と考えていたところだ。

食事をしていると、ときどき食べ物が気管に詰まりそうになる。味噌汁=写真=でもそうなる。

あるときは激しくせき込んだ。いつものせき込みならすぐやむが、このときはちょっとてこずった。やっぱりのどの筋肉が衰えているのだろう。

 いくら脳活=ブログの文章を書いているといっても、無言の行に変わりはない。親友の画家は独り身に戻ったから、しゃべる相手がいない。私もカミサンを相手に、「あれ」「それ」で用をすませている。「おしゃべり」には縁遠い。

 テレビを見ながら、「ああだ、こうだ」いうのはカミサンで、私はスポーツ番組を見ていて「よしっ」とか「うわー」とわめく程度だ。

 年寄りほど誤嚥しやすいと知ったのは、75歳と80歳を対象にした無料の歯科口腔健康診査を受けたときだった。

怖いのは誤嚥性肺炎で、歯周病菌が肺の中に入り込むと炎症を起こす、とあった。飲食物が食道ではなく、誤って気管に入り込むとそうなる。

 原因は老化や脳血管障害などによる飲み込み機能の低下、咳(せき)をする力の低下など、だという。

そういえば、若いときはコップの水をガブガブ飲んだものだが、今は……。

2024年の夏に水の飲み方の変化を実感した。暑いのでコップに氷を浮かべて冷えた水を一日に何回も飲んだ。それを繰り返しているうちに、少しずつ飲み方が変わっていった。

 最初はゴクゴク連続して飲み干すようにしていたのが、いつからかゴクンとひとくちやって、水が食道を下っていくのを確かめるような飲み方に変わった。

 すると、なぜだか知らないが、いつもの水道水なのに「冷たくてうまい!」と感じられた。

 はじめは、のどを潤すだけでなく、内部体温を下げる目的があった。が、「うまさ」を知ってからは、味覚を優先してゴクンとやるようにしている。

 今は、その飲み方が「うまい」からだけではなく、のどの筋肉が衰えたための「自衛」でもあったか、という思いがある。

姿勢も違っていたのではないか。ゴクゴクのときは顔を上げるようにして。しかし、ゴクンはあごを引くようにして。庭で歯を磨くときも、同じ理由で空を見上げないようにしている。

そうなったのはたぶん誤嚥を意識してのことだ、と考えると、納得がいく。その後は、水であれ何であれ、飲み方・食べ方が慎重になった。

 ご飯とおかずはよく噛む。ヤクルトは3口半、つまりゴクンを3回やって、残りをなめるようにして飲む。

 飲み方はそれでいいとして、まずは声出し、音読だ。覚悟はわかった、実行だよ、実行あるのみ――もう一人の自分が冷ややかに言う。

2026年8月22日土曜日

暴風倒木

                                
   日曜日は午後3時を過ぎると、ドライブを兼ねて四倉へ刺し身を買いに行く。月遅れ盆が明けた8月16日は、町の魚屋さんが遅い盆休みに入ったので、ほかの買い物と併せてスーパーへ出かけた。

行きも帰りも旧道(浜街道)を利用した。草野を過ぎて四倉の狐塚に入ると、水田の先に桐の木が立っている。

一面の緑色と桐の木の組み合わせがおもしろくて、車を止めて眺めたり、写真を撮ったりする。

今度も後続車両と対向車両がないのを確かめてチラッと目をやったら、「あれっ! なんだ!」。

桐の木が幹の途中から折れている=写真上1。あの台風15号(8月11~12日)の暴風にやられたか。

平では11日、雨はほとんど降らなかったが、北からの風が吹き荒れた。この日午後5時過ぎには、小名浜で瞬間最大風速25.8メートルを記録した。一時、3千戸が停電したが、これは順次解消された。

この日の雨量は山間地の川前で65.5ミリ、三和で52.5ミリ、平地の平では6.0ミリ、好間は4.0ミリだった。

台風15号そのものが異例のコースをたどった。東の太平洋からやって来て、夜8時ごろ、茨城県に上陸した。

この暴風の影響で、いわき市役所近くの童子町公園(平)では大木が折れた。波立海水浴場では監視塔の屋根と壁が壊れ、結局、解体・撤去された。

以上はメディアで知ったいわきの暴風被害だが、狐塚の桐の木も折損状況からみるとそうだったのだろう。

その2日後の18日、いわき駅前へ行く途中、祢宜町広場のそばを通ったら、いわきPIT側にある公園木が1本、根元から折れているのに気づいた=写真上2。これも、11日の暴風で倒れたのかもしれない。

台風15号のあと、今度は千葉を線状降水帯が襲った。内水はんらんで都市部の道路が冠水し、車両が2千7百台もエンスト・放置された。

こんなことは想定外だった。想像もしなかった。これからはしかし、過去の被害を越えた被害が起きる、それが何度も起きる、と覚悟しないといけないようだ。