2026年9月4日金曜日

ビロードモウズイカ

                                           
  意識して「道端ウォッチング」をしているわけではない。山中の林道を行くと、道の両側から背の高い草が「うらめしや~」をしている。

 こういう植物は運転の邪魔になるので、草に触れないよう道の中央を走ることになる。対向車がいないからこそできることだ。

 新しい切り通しはもちろん、平地の道路でも縁石のすき間から草が生えてくる。時に車の側面に触れることがある。茎がのびて花が咲くと、なんという花なのか気になる。

 それでわかったのがオオキンケイギクやフランスギクなどの侵略的な帰化植物だ。この時期はシンテッポウユリが群れ咲いている。

同じ帰化植物のビロードモウズイカはわが生活圏に突然現れた、という印象が強い。最初に気づいたのは10年くらい前だろうか。

夏井川渓谷の隠居の近く、磐越東線と並走する県道小野四倉線の道端に生えていた。

肉厚で毛深い大きな葉を地べたに広げて越冬し、夏には1メートル以上も花茎をのばして、先端部分に黄色い小花をいっぱい付ける。

 セイタカアワダチソウみたいに群生するわけではない。渓谷ではなぜかそこに1本だけ偶然に生え出た、そんな印象だった。

 それから何年かたって、いわき駅の東方、イトーヨーカドー平店が解体されて更地になり、常磐線わきの2階建て駐車場も消えて、長い裸地ができた。

 4年前の5月末、ロープで仕切られた駐車場跡地を見ながら車で通ると、大きな緑のかたまりが点々と生えていた。

緑のかたまりは夏井川渓谷の道路沿いで見た変な形の植物と似ている。ここは名前を突き止めないと……

「葉が大きく分厚い/背が高い/草』で検索すると、ビロードモウズイカが出てきた。画像はまさしく渓谷で見たものと同じだった。

そのあとしばらく姿を見ないと思っていたら、今年(2026年)夏、渓谷から平の平窪に下りてきたら、道端に長い茎を伸ばして黄色い花を付けているビロードモウズイカに出合った=写真。

この植物はゴマノハ科モウズイカ属で、ヨーロッパが原産だという。日当たりのよい、攪乱された土壌を好むそうだ。

 しかし、ほかの植物の陰に入ると耐性がない、耕起されると生き延びられない、ということで、農作物には大した害はないらしい。

 種子は10年以上、時に100年以上もの間、発芽能力を保つのだとか。山火事になってほかの植物が消えた焼け跡に、突如、ビロードモウズイカが芽生えたりするという。

 道端では渓谷で1本、遠く離れた平窪で1本と、単独で生えていたが、旧ヨーカドー駐車場跡地では大量に発生していた。

 ヨーカドー跡地には複合商業施設(ペッペ)が開業し、駐車場跡地はペッペに出入りする車道になって、ラウンドアバウト(環状交差点)に接続している。ビロードモウズイカの種は再び車道の下で深い眠りに入ったか。

 平窪のビロードモウズイカは、ほぼ1カ月後も細い先端部が黒ずんだままだった。花もほんの少し付けていた。けっこうな寿命らしい。

2026年9月3日木曜日

出穂期

                               
   稲田の上を揺れ飛ぶカイト(凧)のタカを見たのは8月中旬=写真。夏井川渓谷の隠居へと、いつもの田んぼ道を進んでいたときだ。

 「そうか、水稲は出穂(しゅっすい)期に入ったんだ」。水稲の生育サイクルはよくわからない。が、同じ田んぼ道を何十年も通り、同じ風景を眺めているうちに、なんとなくそんな時期に入ったことを感じるようになった。

地域の会合で農家の人と話すことがある。問わず語りの話から、5月は田植え、秋は刈り入れ、その間の8月は稲の花が咲くとき、というくらいのことは知っている。

大手メーカー・クボタのホームページに「クボタの田んぼ」がある。これを参考に、8月の田んぼの様子を頭に入れる。

――田植えをしてから早稲(わせ)では約50日、晩稲(おくて)では約80日後に穂が出る。

その田んぼで一番早い穂を「走り穂」、田んぼの半数の茎が出穂する時期を「出穂期」という。

稲は出穂後に葉で光合成をしてブドウ糖をつくり、穂に送り込んで貯める。これがやがて「米」になる。

穂が出ると、稲は全精力を穂に集中する。摂取した養分は米をつくるために注がれる。

このため、根が弱体化してくる。根の働きを助けるためには、田んぼの水を換えて根に酸素を補給したり、有毒ガスを取り除いたりする必要がある――。

稲は穂を出すとすぐ開花・受粉し、ほどなく籾(もみ)の中に胚(はい)ができる。胚ができると養分をデンプンにして、胚乳として籾に蓄える。

初期の胚乳はミルク状で、スズメはこれを非常に好む。くちばしで籾を押しつぶし、胚乳を吸い取る。このあたりもネットに教えられた。

さて、ダミーといえば案山子(かかし)である。これは昔からなじんでいる。それに、鳴子、防鳥ネット、きらきら反射して光るテープも記憶にある。

自分のブログで確かめると、6年前の8月20日早朝、同じ地区の田んぼ道でスズメの大集団に遭遇した。数は100羽前後で、人間が驚いて車を止めてしまうくらいの圧力があった。

そのちょっと前には、別の地区の田んぼで案山子を見た。今思えば、スズメは胚乳狙い、案山子はもちろんスズメ対策だ。

今年(2026年)も、この食害対策としてダミーのタカが田んぼに吊るされた。風が吹くと、いかにもタカのように左右に揺れ動く。

同じ日、隣の地区の田んぼには、翼を閉じて動かないダミーのカラスがいくつも吊り下げられていた。

スズメにしろ、カラスにしろ、最初はダミーに恐れをなすらしい。が、だんだん慣れてしまうのだとか。

1週間後、また同じ田んぼ道を通ったら、風がないためにダミーのタカたちは背中を垂直にしてじっとしていた。

2026年9月2日水曜日

再び通行止めに

                               
   川風を受けながらサイクリングを楽しもう――。わが生活圏を流れる夏井川の堤防で、7~8月、自転車通行のための整備工事が行われた。

堤防天端のアスファルトを一部更新し、路面標示をして土手には防草シートを張り付ける、というものだった。

 工事期間中は通行止めになる。マチからの帰り、堤防を利用して「夏井川ウォッチング」をしている人間には、工事が終わるまで楽しみはおあずけだ。

 日曜日は、立て看板に「休工中」のシールが張られる。つまり、通行が可能になる。で、その日は意識して堤防を通るようにした。

 すると面白いもので、川を、河川敷を、集落側の畑をながめると、「ずいぶん緑が濃くなったな」、そんな感慨がわいた。

 工事期間が過ぎて、立て看も撤去されたあと、リバーウォッチングを再開した。が、アスファルトは新しくなったものの=写真、自転車の「走路」を示す太く青い「矢羽根」が路面にはない。防草シートもどこに張ったのかわからない。

釈然としない気持ちでいると、また市役所から電話がかかってきた。再度、堤防を通行止めにして工事をするので、回覧資料を配ってほしい――。

届いた回覧資料には、7月15日付で7月21日~8月10日施工予定の回覧をしたが、「資材搬入の遅れや施工箇所の調整等により、施工期間が延長となりました」とあった。

つまり、1回で予定の工事ができなかったため、残りの工事を実施する、その間堤防は通行止めになる、ということだった。

「資材搬入の遅れ」とくれば、これはもう「ハハン」である。ホルムズ海峡封鎖の影響がここにも及んだか(むろん理由は分からない)。

ホルムズ海峡封鎖以来、世界経済が混乱に陥った。同じ商品でも値上がりした、値段は変わらないが数が減った、大きさが小さくなった、といった声を聞く。

日用品同様、建築資材なども影響をもろに受けているのではないか。新築現場ではそれこそ資材不足から工期の延長、建築費の高騰問題が起きているようだ。公共工事も事情は同じだろう。

前回(7月15日)から1カ月半。今回は9月1日付で隣組に回覧を配った。回覧資料には通行規制の期間と場所、工事内容を一覧にした地図が添えられている。

それによると、場所は東日本国際大のふもとから六十枚橋までだが、工区によって路面標示だけ、路面標示と防草シート張り付けと異なるため、通行止めの期間も一様ではない。

国道6号夏井川橋~六十枚橋は9月1~24日、上流の塩~中神谷は9月8~25日、ほかはその間の5日間、あるいは8日間だ。

鎌田から夏井川橋までを利用する私のような場合は、9月25日までは日曜日以外通れないことになる。

例年、9月後半には遡上するサケを捕獲するヤナ場が夏井川に設けられる。対岸の山崎側には、ヤナに接続して生け簀もできる。工事が終わるころには季節がめぐり、ヤナ場もできていることだろう。

2026年9月1日火曜日

手書きにこだわる

                                            
   もうだいぶ前になる。歴史研究家の小野一雄さん(小名浜)から、吉村昭記念文学館のお土産をちょうだいした=写真。

吉村昭と妻の作家津村節子が愛用した原稿用紙をノートにしたものである。文章を書き続けるように、という含意だろう。

折も折、文科省が全国の教育委員会や高校を対象に、2030年度以降に採択する教科書の形態を調査した。

8割前後が紙とデジタルを組み合わせたハイブリッドが望ましいと回答した。ハイブリッドでも特に低学年の国語の場合は、紙を重視する割合が顕著だった(朝日新聞)。

紙の教科書で学び、紙の新聞と本を読み、紙のノートに文字を記して育った。記者になってからはわら半紙の原稿用紙に記事を書いてきた。

 20世紀の終わりごろ、新聞の編集組版システムが一新された。ニュースの原稿は「書く」から「打つ」に変わった。

「新聞記者」が「新聞打者」になった結果、パソコンを介したデジタル技術に頼り切って、人間の脳は退化するのではないか、という恐れを抱くようになった。

 その危惧をつづったブログがある(2021年10月15日付「新聞打者の落とし穴」)。要約して再掲する。

――書くということは、自分の脳内に文字を浮かび上がらせ、腕から手、指へと伝え、鉛筆あるいはボールペンを使ってそれを紙に記す、きわめて肉体的な行為だ。その行為の繰り返し、経験が体に蓄積されて次に生かされる、と私は思っている。

「書く」ことをやめ、外部に映る漢字を「選ぶ」だけの新聞打者になった結果、漢字がどんどん自分の脳からこぼれ落ちていった。

外部の脳(パソコン)に文章の処理を任せるようになってから、本来の脳はすっかり書くことから遠ざかった。

人間の脳は、使わなければ退化する、パソコンやスマホが普通になった今、人間の脳はこれから小さくなっていくのではないか、といった危惧を抱かざるを得ない――。

 それを避けるために、意識して実践しているのが手書きのメモ。パソコンのわきにA4判のメモ用紙(コピー用紙の裏面など)を常備している。朝から夜寝るまで、見たこと・聞いたこと・感じたこと・考えたことをメモし続ける。

日常を記録することで、日常に埋もれているニュースを掘り起こすこともできる。一種の自己鍛錬として、これを20年近く続けている。

特に、就学前の子供の場合は「書く」ことが大事になる。電脳よりナマの脳、つまりは「紙とペンで書くという運動能力が、文字を読む能力とも深くかかわっている」(アンデシュ・ハンセン/久山葉子訳『スマホ脳』=新潮新書)という。

前述の記事によると、デジタル教科書では、動画や音声の再生、グラフ作成機能が子どもの理解促進に役立つと期待される一方、手で書く機会の減少や視力低下が懸念される。

手書きの効用は幼児にとどまらない。シルバー世代は脳活になる。いや、全世代を通じて「モノゴトを考える」ためにも必要な行為だと私は思っている。

2026年8月31日月曜日

手ぬぐい地の夏掛け

                                               
 8月25日のBSプレミアム「美の壺」は、テーマが「手ぬぐい」だった。江戸時代に始まる手ぬぐいの歴史や文化などを紹介した。

 「なるほど」と思ったのは裁断方法である。幅は1尺、長さは3尺。1:3の決まった比率で手ぬぐいがつくられる。

 日曜日には夏井川渓谷の隠居の庭で、首に手ぬぐいを巻いて土いじりをする。汗をぬぐうのが第一だが、ブユやアブ、蚊に刺されるのを防ぐ虫よけの意味もある。

 手ぬぐいは、その点では実用品である。しかし、図柄には作者の個性や美意識が現れる。

「美の壺」では新たなデザインや、落語家の真打昇進記念のオリジナル手ぬぐい制作に密着していた。

 見終わると、カミサンが手ぬぐいを何枚か縫い合わせてつくった「夏掛け」を出してきた=写真。

 茶の間の座卓のそばにカウチがある。カミサンがときどきそこで横になる。扇風機が効きすぎるときには、この夏掛けを使う。

 二十四節気が立秋から処暑へと移ったとたん、なぜか暑さが戻ってきた。25日には茶の間の室温が35度を超えた。

そんな日は夜も暑い。いや、猛暑日に限らない。夏場は寝室に扇風機を持ち込み、掛け布団は夏用の薄いものに切り替える。

それでも暑いときにはタオルケットか手ぬぐい地の夏掛け1枚にする(そう、タオルケットにならって、「手ぬぐいケット」と言ってみるか)。

蒸し暑い晩は実際、「手ぬぐいケット」だけで十分だ。扇風機は足元にある。足先が冷えないようにケットで覆う。注意するのはそれだけ。

カウチ用のケットには覚えがあった。一番上から、福島高専創立15周年記念、飯野八幡宮潮垢離神事、猪狩満直詩碑建立記念、魚の絵、そして最後が平六小校舎増改築落成記念の手ぬぐいである。

魚の絵には「RIE」の署名。近所に住む陶芸家箱崎理恵さんの作品だった。魚なのに英語をしゃべる。AIに翻訳させると、「私は新しい朝がきた場所について考えていた」。そんなことをつぶやいている図柄だ。

 どの手ぬぐいにもなにか思い当たるフシがある。式典に出席したわけではない。が、どこかでつながっていて、その縁でもらったり、届いたりしたようだ。

表か裏かはともかく、反対側にはカミサンの実家の元米屋の手ぬぐいなどがパッチワークされている。二重の手ぬぐいのケットだ。

「手ぬぐいケット」は、一つには再利用、一つには思い出の定着、という意味があるのだろう。

さらには、針仕事自体が自己表現であり、オリジナル作品をつくる喜びが実は一番大きいのかもしれない。

図書館には手ぬぐいに関する本がいっぱいある。興味のありそうなのを2~3冊借りてきた。

それで知ったのだが、今は、幅は変わらないものの、長さが90センチと3尺未満になり、比率は1尺×2尺4寸くらいが一般的なのだとか。

8月29日は急に気温が下がって、「手ぬぐいケット」1枚では体から熱が逃げてゆく。ケットの上に夏布団をかけた。秋を感じる最初の日になった。

2026年8月29日土曜日

清張デビュー前の作品

                                            
   松本清張(1909~92年)の名前の読みは、「せいちょう」ではなく「きよはる」だった。

「松本清張」はペンネーム、「清張」の読みは「せいちょう」と思っていたが、そうではなかった。本名である。「まつもときよはる」である。

 清張デビュー作「西郷札」の前に、「志和隆晴」名で「ある盗賊の話」が、「松本寛隆」名で「百八煩悩」が、いずれも朝日新聞西部本社発行の「朝日ウィクリー」に掲載されたことを、8月2日付の朝日新聞が伝えている=写真。

 清張はデビュー前、朝日西部本社の工務局関係社員だった。たまたま賞金目当てで懸賞小説に応募し、入選したことから作家の道に入った。

 私が本を読む楽しさを知ったのは15歳のとき。高専に入って最初の夏休み、帰省して読みふけったのが清張の『点と線』だった。

 新幹線が導入される前の鉄道を題材にした長編推理小説で、東京駅ホームの4分間の空白をついた時刻表のトリックに強烈な印象を受けた。

当時、すでに売れっ子の作家、ベストセラーの小説だったが、ほかの作品はそんなに読んだ記憶はない。

清張原作のテレビドラマはよく見た。ドラマの一覧をチェックしていたら、「ゼロの焦点」「黒革の手帖」「けものみち」「鬼畜」などを思い出した。

拙ブログには2021年2月23日夜、BS日テレで「松本清張スペシャル・鬼畜」を見た、とある。

「火曜サスペンス劇場1000回突破記念作品」で、主演は若いときのビートたけしだった。これと同じように再放送、再々放送がいくつもあるようだ。

今はBS11で毎週金曜日午後6時45分から放送されている「サスペンス『松本清張シリーズ』」を見ている。28日は「黒の回廊」だった。

テレビで「鬼畜」を見た年の正月、イタリアに住むカミサンの友達からメールが届いた。イタリア中道左派の日刊紙「ラ・レプッブリカ」の切り抜きが添付されていた。

松本清張を紹介する記事で、見出しに「シムノンに似た日本のサスペンス作家」とあった(知人の翻訳による)。

シムノンは「メグレ警視」で知られるフランスの作家ジョルジュ・シムノン(1903~89年)で、清張とは同時代の人間だ。

イタリアの友達は、シムノン同様、清張を「サスペンス作家」と書いてきた。「推理作家」とは違うのか。ネットに当たると、ウィキペディアはサスペンスとミステリ・推理小説を区別していた。

サスペンスは現実に基づいた人間の起こす物語、ミステリや推理小説は推理を楽しむ物語、だそうだ。

さて、朝日の記事にあるペンネームだが、「志和」は清張の母親の生まれた村の地名で、「隆晴」は清張の三男の名前と一致するという。「松本寛隆」の「寛隆」には言及がなかった。

 「隆晴」はなんと読むのか。「せいちょう」にならって「りゅうせい」? それはないだろう。としたら、「たかはる」である。そうか、そうだ。きっと、そうに違いない。一気に親近感がわいた。

2026年8月28日金曜日

新聞の書籍広告

                                         
 オールドメディアの指標といえば、新聞は発行部数(新聞社が公表)、テレビは視聴率だろう。どのくらいの世帯・人間が新聞を読み、テレビ番組を見たか、というときの目安になる。

テレビの視聴者はC(チャイルド=4~12歳)、T(ティーン=13~19歳)、それ以上は男女のM(メール)・F(フィメール)を冠したM1・F1(20~34歳)、M2・F2(35~49歳)、M3・F3(50歳以上)に区分される。

3・F3層は、中高年でも後期高齢者の「団塊世代」が大きな塊をなしているとみてよい。実際、この世代は新聞もよく読む。

元ブンヤの習性で、わが家では週刊を含む新聞4紙、月刊の『常陽藝文』を購読している。

テレビ番組はむろんそうなのだが、M3・F3層が好んで読む新聞の広告にも苦笑させられることが多い。前に書いたブログの一部を要約・再掲する。

――このごろはカミサンに引っ張られて、宵のうちからBSで時代劇を見ることがある。

すると、筋肉痛や神経痛、手足のしびれなどに効くなんとか薬品、といったCMがやたらと目に付く。

こちらにも心当たりがあるので、つい身を乗り出して見る。番組が終わってから30分以内に電話をかけてください、あるいは初回限定でいくらいくらまで安くなります……

ほかにも医療保険、介護サービス、カツラ(ウイッグ)など、シニア向け商品のCMが目に飛び込んでくる。

BSの時代劇をCMから逆にたどると、ターゲットとなる視聴者はM3・F3のシニア世代ということになる。

新聞も、県紙・全国紙問わず、シニア向けの広告が目に付く。先に紹介したような医薬品のほかに、さまざまな通販広告が載る。

テレビか新聞かは関係がない。新聞もすっかり高齢者が「コア読者」になってしまったようだ――。

このごろはどういうわけか、新聞を広げるとすぐ、記事下の書籍広告に目がいく。いちおう記事の見出しには目をやる。そのあと本の広告をじっくりチェックする。

 気になる本は、すぐ図書館にあるかどうかを確かめる。あって「貸出可」なら借りに行く。「貸出中」なら戻ってくるのを待つ。

 先日もそうやって広告をチェックしていると、『高専――戦後日本のエンジニア養成』という文字が目に飛び込んできた=写真。

 おっ、高専の歴史に関する初めての本ではないか! 中公新書である。著者は龍谷大学の手嶋泰伸准教授(日本近現代史)で、福井高専で教鞭をとった経験がある。

 高専は青春と人生の出発点ともいうべき場所だった。ここでのさまざまな出会いから、エンジニアとは真逆のブンヤの道を歩むことになった。

 本は出版されたばかりだから、図書館にはない。そんなことより、これは買って手元に置いておくべき書物である。

というわけで、ラトブへ行ったついでに、3階のヤマニ書房で購入した。2日で読み終えた。実体験を客観化するとこの本の骨子になる。踏み込んだ感想はまたいつか。