2009年10月13日火曜日

立ち枯れ松


直径1.5メートル以上はあろうかという赤松が松くい虫にやられ、立ち枯れたままになっている。葉が枯れ始めてから何年になるだろう。

夏井川渓谷に松くい虫が押し寄せたのは、今となってはずいぶん前だ。無量庵に通い始めたのが14年前。当時から赤松は、様子がおかしかった。ということは、その前から松くい虫にやられていたのだ。

幹は赤い色をした亀甲模様――それが、生きた赤松の普通のすがた。立ち枯れる過程は、じっと見ていたわけではないから分からないが、記憶ではこんなふうだ。

枝先に生えている松葉がところどころ“茶髪“になる。それが次の年あたりから広がる。茶髪はやがて消える、つまり葉が枯れ落ちるのだ。すると、亀甲模様の赤みも同じように薄れ、はがれ落ちる。何年かあとの姿は枝も幹も白い「卒塔婆」。

夏井川渓谷の赤松は、ほとんどが「卒塔婆」になったと言っても過言ではない。なかには冒頭に記したように、しらちゃけた大木が、なにかモニュメントのように空を突き刺している。

いつも行ったり来たりする道にも、谷側に1本、山側に1本、立ち枯れた赤松の巨木がある。その立ち枯れ巨木を最初に見たときには、いずれ根っこから倒れ、地響きを上げて往生するのだろうと思っていた。そうではないのだ。

台風で倒れるのはたいがい生きた木、ないし半分は死にかけても生きている木。なぜか。夏井川渓谷はV字谷だから土壌は薄い。大風になぶられると、根こそぎやられる。根回りが直径5メートルはあろうかという倒木を見て、そのすごさにうなったことがある。

立ち枯れの“太郎松“のそばを、いつも足早に通り過ぎる。一気にボキッときたらたまらない。そんな不安からだが、枯れ切った大木は生の木とは違った軽さがあるらしい。内部がオガクズのようにスカスカになってしまう。かろうじて堅い外皮が内部を遮断して見せないだけ。その幹がところどころ、強風に遭って上部から裂ける。

そうして枯れた“太郎松“は少しずつ丈を縮めてきた。先日の台風でも、上部の幹が折れて小道をふさいだ=写真。それを見て、昔、非現実的な終末を思い描いたことが恥ずかしくなった。死んでも生きるのだ、という草野心平の詩にあるヤマカガシの生き方が思い出された。

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