2009年10月2日金曜日

和尚さんの葬式


元同僚はいわき市平の里山にある古刹、臨済宗妙心寺派・磐城山忠教寺の住職。先住職のお父上が亡くなって49日目のきのう(10月1日)、津葬(しんそう=本葬)が行われた=写真。生前、あいさつ程度だが、なんどかお会いした。いつも温顔で接してくれた。

私の唯一の不動産と言ってもよい墓(まだ用地だが)がある。海が見えるところに墓を、という思いがあったので、終(つい)の棲家をそこに求めた。私は檀徒でもある。

和尚さんの葬式は、見るのも、参列するのも初めてだ。臨済宗、つまり禅だから、質素を旨とする。さっぱりしたものだった、というのが印象だ。

いわきの臨済宗の寺のお坊さんたちが本堂での津送を仕切った。葬祭屋さんは、寺では裏方だ。いわきには、臨済宗の寺が20前後ある。兼務住職もいる。10人余のお坊さんが参加した。

カミサンの実家(平・久保町)の寺を兼務する、いわきの南端、瀬戸町・龍春寺のお坊さんが司会を兼ねて津葬の説明をした。華美な葬式にしないように、というのが先住職の遺志だったという。読経はともかく、ざっと1時間の式の流れがそれでよく分かった。

導師は3人。それぞれに役割がある。よく知る大久の和尚さんが最初の役割を担った。こういう場だから、通り過ぎるとき、「やあ」なんてあいさつはできない。目も合わせなかった。本人も緊張していたのではないか。

檀信徒総代の弔辞で、お父上がシベリア抑留体験を持つことを知った。国鉄に勤めながら住職を務めたことは先刻承知。私の知っている画家の故広沢栄太郎さん(国鉄OB)もシベリア抑留体験者だ。年齢的には10歳ほどの開きがあろうか。ともに過酷な体験を胸に秘めて生きてきたのだ。

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