もう10日ほど前になる。フランス人女性写真家ら4人を勿来関文学歴史館へ案内した。「ふくしまの歌人」展が開かれていた(5月17日まで)。福島県信夫郡瀬上町(現福島市瀬上町)生まれの門間春雄(1889~1919年)と、交流のあった伊藤左千夫、結城哀草果などの短冊、斉藤茂吉の歌碑拓本が展示されている。
春雄は、山村暮鳥のネットワークのなかで知った。忘れられた歌人でもある。暮鳥は大正元(1912)年、日本聖公会の牧師として平町に赴任する。同時に、文学の伝道師としても活動する。同3年5月には文芸雑誌「風景」を創刊するが、それに春雄が散文詩「鏡」を寄稿した=写真。
創刊号には三木露風、前田夕暮、室生犀星、白鳥省吾ら、文学史に名を残す詩・歌人の作品のほか、磐城平地方の文学青年の作品、県内の春雄の作品が載る。中央と地方の詩人らが同じ器のなかで作品を発表するという刺激的な修練の場でもあった。このとき暮鳥は30歳、春雄は25歳。中央の詩・歌人も夕暮31歳から省吾24歳までと、暮鳥と同世代で若かった。
文歴の展示パネルによれば、春雄は醤油醸造業を営む家に生まれ、31歳で夭折するまで、歌人として活発に活動した。長塚節に傾倒し、節の死後は斎藤茂吉に学んだ。夏目漱石・河東碧梧桐らとも交流があった。
いわきの詩風土は暮鳥から始まる。暮鳥がまいた詩の種が芽生え、花開いた。いわきの詩風土をテーマに語ることは、暮鳥とその仲間を語ることでもある。春雄は、その点では客人のようなものだが、暮鳥のネットワークを語るときには欠かせない。別の意味でも要注意だ。公民館から市民講座の要請があってレジュメをつくるときなど、漢字変換に失敗して「門間」が「門馬」になる。
ネットで検索しても、(皆無ではないが)暮鳥と春雄の関係は見えてこない。現に、福島県立図書館の「レファレンス事例詳細」では、春雄と暮鳥の関係文献は紹介されていない。文歴の春雄パネルに暮鳥が出てこないのはそのためだろう。事前にわかっていれば、情報提供くらいはできたのに。
「暮鳥圏」の人々を調べていくとおもしろい。第5号(大正3年10月発行)には、福島県安達郡石井村(現二本松市)生まれの歌人、並樹(木)秋人(1893~1956年)の短歌作品「合掌」が載る。箱根町に彼の歌碑がある。ヒメハルゼミは箱根町の天然記念物だが、昭和22(1947)年、同町湯本の早雲寺境内で秋人が発見したのがきっかけだった。
単に好奇心から調べているだけだが、そのことが思ってもいなかった次の調べを引き出す。なにかの役に立つかどうかは二の次。「暮鳥圏」はまだまだ謎に満ちている。
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