土曜日(3月5日)は午前中、いわき市立草野心平記念文学館の事業懇談会に出席した。ついでに、企画展「草野心平のスケッチ」をのぞき、「東日本大震災後に生まれた文学」展を見た。後者は「全国文学館協議会共同展示3・11文学館からのメッセージ」で、いわきと相双地区の詩人7人の作品を展示している。
木村孝夫さん(いわき)の作品もある。木村さんとは、シャプラニール=市民による海外協力の会が運営する交流スペース「ぶらっと」で知り合った。2013年には詩集『ふくしまという名の舟にのって』を出し、翌2014年には「ふくしまという名の舟にゆられて」で福島県文学賞詩の部正賞を受賞した。2015年にも詩集『桜蛍』を出している。たまたま会場で一緒になった。
午後はいわき地域学會の巡検に参加した。オープンデータや著作権などについて学んだあと、実際に平の街を歩いて=写真=歴史的事象や場所などの位置情報を「フィールドペーパー」に落とす方法を学んだ。私はその一部、本町通りの西側、紺屋町~長橋町を歩いた。
大正時代、山村暮鳥がまいた種が芽生え、花が開いた。当時の地域紙によると、同14(1925)年、「平二丁目のカフェータヒラ」で詩の会が開かれている。ところが、同時期の「カフェータヒラ」の新聞広告には「平町紺屋町(住吉屋本店前)」と「平町一丁目横町」のふたつがある。
「カフェータヒラ」は、「二丁目」の記事が正確であれば3カ所あったことになる。狭い街でそんなことがありうるのだろうか。「住吉屋本店」は現「せきの平斎場」の斜め向かいにあったから、「紺屋町」の「カフェータヒラ」は場所が特定できる。
「二丁目」の「カフェータヒラ」は「一丁目横町」(西村屋横町?)のそれではないのか。横町の小道を境に、一町目から二町目に町名が変わったはずだから、「一丁目横町」は「二丁目横町」でもある。「文学カフェ」には少なくとも本店・支店があったことが推測できる。「フィールドペーパー」に落とすにはまだまだ調べが必要だ。
さらに状況を複雑にする記事もある。昭和4(1929)年には、「平カフェー本店」で詩集の出版記念会が開かれた。「カフェータヒラ」ではない。「平(あるいはタイラ)カフェー」で「本店」だ。いよいよ迷路に踏み込んでしまった。
長橋町では性源寺を訪ね、「戊辰役戦没者之碑」や山門の弾痕を見た。山門は磐城平城の門のひとつだったという。西軍の総攻撃を受けて城が落ち、明治になって門が払い下げられ、同寺に移築された。
そんなことを盛り込んだ地域情報がオープンデータ化されることで、街歩きがより面白くなる。アナログ人間にはよく理解できないのだが、デジタル技術を取り入れることで「知る」世界がいちだんと広がることだけはわかった。
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