大津波に襲われたいわき市平豊間・薄磯・沼ノ内3地区の集落が、1軒1軒地図帳のなかに再現されたのは2013年秋だった。いわき地域学會の前代表幹事山名隆弘さんらが立ちあげた「プロジェクト傳」や、多摩美大環境デザイン学科研究室などが協力して「失われた風景」を<町図絵>として再現した。
知人の家がある(津波で流されたり、地震で壊れたりした)。復興住宅が建設されたところは、山が海をさえぎる水田だった。前浜の磯には、漁師の口承地名(塩屋埼灯台の前はウスイソ・タチネ・アカゲイ・ナカマワリ・フダラクなど)が付いている――昔の家並み(世帯主のほかに屋号のある所はそれも)を「見える化」したからこそ、失われたなりわい・暮らしにも思いが至る。
あさって(3月4日)まで、いわき駅前のラトブ6階・産業創造館企画展示ホールで「ふるさとの記憶
ふくしま特別展」=写真(チラシ)=が開かれている(NHKなど共催)。こちらは<町図絵>の立体版だ。家並みや地形が3次元化され、世帯主などの情報が透明板に書き込まれてびっしり立っている。
いわき市久之浜町と、原発避難を余儀なくされた相双地区の富岡・大熊・双葉・浪江・小高や新地の町並みが再現された。金曜日(2月26日)に見に行った。避難者と思われる人がそれぞれの町の立体地図に見入っていた。
私は、やはり見知った町(久之浜)に足が向いた。孫たちの、もう一組の祖父母が住む家(たまたま残った)がある。津波とその後の火事で消えた旧道沿いの家並みがある。上の孫が祖母に連れられて買い物に行った店が、その並びに立っている。一人も犠牲者を出さずにすんだ海辺の幼稚園もある。磯には名前が付いている(胸の中で笑ったり、泣いたり、立ちすくんだり……)。
その裏返しが、行ったこともない、あるいはただ通過しただけのまちの“ジオラマ”だ。同じ浜通りでも、知らない空間は<見える化>されてもピンとこない。生活者の意識はそんなものなのだろう。とすると、それよりもっと遠くに住む人たちには、福島県はすでに意識から消えている。そんな思いもよぎった。
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