2016年3月21日月曜日

彼岸の中日

 きのう(3月20日)の春分の日。専称寺の裏山に浮かぶ夕日を寺のふもと近くから見た=写真。時間は午後4時40分ごろ。場所によっては本堂の真後ろに見える。ふもとではなく、本堂の裏で見たら、もっと厳粛な気持ちになったのではないだろうが。
 まずは22年前の拙文(1994年3月9日付いわき民報「みみずのつぶやき」=本堂を照らす夕日)から――。

「浄土宗の名越派本山・専称寺。この本堂は秋・春の彼岸の中日、裏山に沈む夕日が本尊の後光になるように設計されたのではないか、という話を聞いた」「浄土宗には阿弥陀三尊来迎図がある。三尊は人の臨終に際して現れ、安心して西方浄土へいらっしゃい、と誘う。それを絵にしたのが来迎図」だ。

「専称寺の裏山は竹林だが、尾根は鞍部になっている。その鞍部に沈みつつある夕日を見に行って驚いた。話の通りに本堂を照らしていたのだ。板壁をはずしたら本尊の阿弥陀如来に後光が差すに違いない。/観念の西方浄土と現実の寺とをつなぐ見事な工夫である」

 歴史研究家の故佐藤孝徳さんに教えられた。彼の著書『専称寺史』(1995年刊)にも「本堂裏山は西方に日が没するのを、彼岸中日になると本堂で拝することができる『山越阿弥陀(やまごえあみだ)』のようになっている」とある。夕日を見に行ったのは、春分の日の半月前だった。秋・春分の日だけ「照らす」なんてことはありえない。そのころ、夕日が阿弥陀如来に“化身”する。
 
 去年(2015年)秋。夏至や冬至、春分・秋分といった1年の節目の日の太陽の光によって聖地が結ばれる現象・配置があることを知った。研究者の内田一成さんと話して、考える幅が広がった。

 専称寺は本堂がやや北に向いているので、夏至の日に朝日がまっすぐ本堂にさしこむのではないか、という。で、秋分の日や冬至の日没時、夏井川の左岸堤防から対岸の専称寺を見た。時間が合わなかったり、見る角度が違っていたりして、日没点はよく確認できなかった。
 
 今年は2月下旬から、「専称寺の夕日」を見るようにしてきた。その結果と、きのうの夕日の位置から、裏山から夕日が本堂を「照らす」のと、裏山に「沈む」のを分けて考えるべきだと思った。22年前に見たときには、裏山に「隠れる」ことはわかったが、鞍部に「沈む」ところまでは確かめていない。「沈む」に近いのは冬至のときかもしれない。
 
 ついでながら――。2012年9月の秋分の日近くに、カンボジアのアンコールワットを訪ねた。遺跡は正面が真西を向いている。秋・春分の日には、三つある尖塔の中央から朝日が昇り、参道の延長線上に夕日が沈む、ということだった。
 
 旅行中は雨季で、曇雨天だったために太陽を拝めなかったが、乾季の今は観光客が荘厳な夜明けに立ち会って感動しているかもしれない。きょうのアンコールワットは晴れ、最高気温38度の予報だ。けさも感嘆の声に包まれたのではないか。
 
 もうひとつ、ついでながら――。專称寺は、東日本大震災で本堂が「危険」、庫裡が「要注意」と判定され、ふもとの総門も大きなダメージを受けた。いずれも国の重要文化財に指定されている。現在は総門がほぼ修復され、本堂の解体・修復作業が進められている。

 このため、一般の立ち入りは制限されているが、おとといときのう、中腹の梅林が開放された。今年は早めに梅の花が満開になった。本堂が落成したら、「観梅と夕日観賞」ができるか。

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