3月ももう3分の2が終わる。この10日間は震災から丸5年の11日をはさんで、毎日、ばたばたと過ごした。日曜日(3月13日)、朝。庭へ出ると、青空に魚の骨のような雲があった=写真。巻雲のなかの「肋骨雲」というやつだろう。
変な雲が現れるとすぐ「地震雲?」と騒ぐ向きもあるが、純粋に雲の形を楽しめばいい。巻雲は最も高い空にできる。そこに強風が吹いているとき、魚の骨のような雲になることが多いという。この雲も少しZ状に巻いている。
久しぶりだな、雲をながめるのは。人は人に最も感動するが、雲にも、庭の花にも、夕日にも慰められる。そういえば――朝晩、家の上空を鳴きながら通過するハクチョウの声を聞かなくなった。越冬地の夏井川(平・塩~中神谷)から姿を消したのは、1週間前だったか。あの年は川を溯上してきた津波に驚き、飛び立ったまま戻ってこなかった。それ以来の早い北帰行だ。
3月にしては晴れて暑くなったおととい(3月17日)、わが家(米屋)に近所のおばさんがやって来た。楢葉町から原発避難中の親類が近くに住む。奥さんが避難直後からわが家へ顔を出すようになった。ご主人は家にこもりっきりだった。そのご主人が正月、病院で亡くなったという。奥さんもこのところ足が遠のいているので、知らなかった。
知らせを聞いて、とっさに「原発事故関連死」という言葉が思い浮かんだ。楢葉町は昨年(2015年)9月5日、避難指示が解除された。ご主人も希望がわいて元気になるかと思っていたが、かなわなかった。
原発避難後、病気や体調の悪化などで死亡した、いわゆる「震災関連死(原発事故関連死)」は福島県で2031人(3月14日現在の県統計)と、事故から5年たった今も増え続けている。原発事故さえなければ、楢葉のこのご夫婦もふるさとで平穏な日々を営んでいたはずだ。ご主人が死期を早めることもなかったはずだ。
避難してきた当初は、ご主人も近所まで来たからと店に顔を出すことがあった。ときどきは注文を受けて品物を届けることもあった。
それが――。ご主人は、楢葉では土いじりを楽しむ毎日だったが、避難先ではその土がない。知った人もいない。ストレスがだんだん蓄積されたのだろうか。いつか家にこもって、たびたび楢葉への帰還を口にするようになった。奥さんの介護の苦労が年ごとに増えていった。
ご主人の「死因」ははっきりしている。ある日突然、ふるさとと生きがいを奪われたのだ。その日から「死」へと転がっていったのだ。原発がなければ……。けさは暖かい春の雨が降っている。
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