2026年8月17日月曜日

タバコ畑・上

                                 
 民俗研究家結城登美雄さんの訃報に接して、図書館から『山に暮らす海に生きる――東北むら紀行』を借りて読んだ話を前に書いた。

 本は「東北点描」「山に暮らす海に生きる」「都市の忘れ物――分校のある風景」「市(いち)から始まる」の4章立てだ。

 福島県内の分を拾うと――。「カラムシ」(昭和村)「宿場町」(下郷町)「ひな流し」(三島町)「ソバの町」(山都町)「椎茸栽培」(熱塩加納村)「コウナゴ干し」(新地町)のほかに、「タバコ畑」(船引町)が紹介されている。

 秋田市の無明舎出版から本が出たのは1998年。その後、山都町と熱塩加納村が喜多方市と合併して、新・喜多方市になった。

船引町も、田村郡の三春、小野両町を除く常葉・滝根・大越3町、都路村と合併して、田村市船引町になった。

結城さんは船引町の美山(みやま)地区を訪ねて、タバコ生産農家を取材する=写真。

「美しい山の畑を見つけた。標高七〇〇メートルに近いタバコ畑」で、耕作者は集落で一番若い農業者である。

両親が切り開いた六反歩の畑を受け継ぎ『なんとか八ケタ(一千万円)の収入を得たい』と傾斜地を開墾して二町歩に広げ、五年前にその目標を達成した」

結城さんは美しい山の畑に感じ入る。「農民はすばらしい自然のデザイナーだ。日当たりを考え、水の流れ、風の通り道を計算し、秋から冬には山の落ち葉を集めて腐葉土を作る」

そして、何代にもわたって築かれた農の基盤、労働の積み上げと知恵の厚みに圧倒される。

それだけではない。仕事の合間に近くの川でイワナやヤマメを捕り、庭先で自給野菜、小麦を育てて自家製のウドンを楽しむ。

私はこの美山地区と同じような風景が広がる隣町(常葉)で生まれ育った。家は床屋だが、周りは農家が多かった。

一筋町を出ると、川筋には水田が、山麓には畑が広がっていた。畑はほとんどが葉タバコで占められていた。

町の子どもとはいえ、タバコ畑を見ながら育った。小学校の高学年になると、夏は農家の畑の小屋でタバコはさみ、冬はその家でタバコのしを手伝い、小銭をもらった。アルバイトである。

堆肥枠の腐葉土にはカブトムシが卵を産んだ。夏になるとカブトムシが孵った。常葉にムシムシランドができたのは、こうした環境・背景があったからだ。

「タバコ畑」の紀行文を読みながら、少年時代の夏と冬のあれこれを懐かしく思い出した。

結城さんの「取材をおえて」や「あとがき」を読んで強く心に残ったのは、「都市の基準や市場原理だけで中山間地をとらえてはいけない。それは、東北を個々の現場からとらえ直せ、ということでもある」。

そして、次の言葉を反芻する。「都市で暮らす私たちの食糧は、これらの人々の自然との闘いに支えられて成り立っているのである」

私が中山間地にこだわるのもここにある。出身地でもある。ただただ中山間地を知ってほしい。それだけのことだが。

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