何度も書いているので、いささか恐縮なのだが……。早朝に起きるとすぐ糠床、つまり糠味噌をかき回す。一日の最初のルーティン作業だ。晩酌を始める前にも糠床に手を入れる。
夏に朝夕2回(気温が下がれば朝だけ)、糠床をかき回すのは、表面に白い産膜酵母が張らないようにするためだ。
一時、産膜酵母が張らなくても異臭(シンナー臭)がした。食塩を加え、かき回す回数を2回にしたら、収まった。
ところが、漬かったキュウリや大根をビニール袋に入れて冷蔵庫で保管すると、やはり異臭がする。冷蔵するだけではだめなのか。
では、冷蔵庫内にある「真空チルド」はどうか。カミサンのアイデアで、そこで保管するようにしたら異臭が消えた。
よく行く直売所の駐車場にコイン精米所がある。ここからは無料で自由に小糠を持ち帰ることができる。
ある日、カミサンが手に入れた小糠を加えると、糠床が元気になった。それで今は普通に糠漬けを楽しんでいる。
キュウリや大根はもちろんだが、ニンジンも欠かさない=写真。歯ごたえがあって甘い。歯も今のところは大丈夫だ。
暮らしのメリハリのためにも、朝夕の「糠仕事」は欠かさない。かき回しをおろそかにすると、すぐ表面に産膜酵母が張る。
かき回すだけだから苦にならない。ならないどころか、これをやると野菜に味がしみて、いいご飯のおかずができる、晩酌のつまみにもなる――それを想像しながら、糠床に手を入れる。
日常の一コマにすぎないとはいえ、この糠仕事には実用にとどまらない、別の意味も含まれているのではないか。ある日、ふとそんなことを思った。
年金生活者なので、ふだんはこれといった用事はない。たまに会議が入ったり、人に会ったりする。
ときには予期せぬトラブルが起きる。台所の排水管が詰まって水があふれた、時計の電池が切れた……。
そんなときでも、糠床はかき回さないといけない。ストレスが溜まっていようが、疲れていようが、糠床は生きていて、手を抜けば抜いたとおりに反応する。
糠床にはどんなときにも、平静に、冷静に向かい合わないといけないのだ。ストレスや怒りが残っていても、それを一瞬、脇に置いて(あるいは忘れて)、糠床と向き合う。でないと、糠床をダメにしてしまう。
そう、糠仕事のもう一つの効用がこれである。朝夕2回、とにかく気持ちを静めて糠床と「対話」する。
言い換えれば糠床は、かき回す人間を瞬時にニュートラルな状態に切り替える精神安定装置だろうか。
家庭の中のちょっとしたヤボ用から始まって、地震・津波・豪雨(あるいは戦争も含めて)と、糠床を、人間の平穏を乱す出来事には事欠かない。
朝晩、糠床をかきまわして発酵の安定を保つ。日常の小さな平穏こそが大きな平和の基礎ではないのか。このごろは、そんなところまで思いが飛ぶようになった。
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