2009年10月22日木曜日

フロム鉄道


ノルウェーのソグネフィヨルドを船で観光するのに、ベルゲン鉄道とフロム鉄道を利用した。10月19日付の「列車は黙って発車する」でそのことを書いた。ベルゲン鉄道で山岳をかけのぼり、途中のミュールダル駅でフロム鉄道に乗り換え、フィヨルドの港町フロムまで標高差860メートル余を下った。

車窓に展開する荒々しい自然景観もさることながら、難工事の末に開通したフロム鉄道が、やがて国鉄から民営化されて再生した――という話に、むしろ感銘を受けた。そのことを紹介したい。

フィヨルド観光のガイドはベテランのアダチさん、68歳。現地の大学教官だった人だ。専門が地質学とくれば、これ以上の案内人はいない。アダチさんの話が今も耳の奥に残っている。

フロム鉄道は、標高866メートルのミュールダルから同2メートルのフロムまで、距離にしておよそ20キロの急勾配の路線だ。氷河が削り取ったあとの硬い岩盤がむき出しになっている。そこに線路が敷設されている。標高差をどう解決するのか、岩盤の硬さをどうしのぐのか。開設工事の担当者は悩みに悩んだに違いない。

最初にそれを聞いて、灯台のイメージが浮かんだ。てっぺんのレンズのあるところがミュールダル、下の出入り口がフロム。灯台を岩盤だとすると、らせん状に階段を設けなければならない。階段は当然、トンネルということになる。

延長20キロのうち、トンネル部分は6キロにおよぶ。しかもその数20のうち18は手掘り。なまじダイナマイトを使えば、必要な岩盤まで吹き飛ばしかねない、そうなると線路がつながらなくなる――そんな崖際の超々難工事だった。手掘りに関して言えば、「青の洞門」のノルウェー版だ。

山はほぼ垂直に近いかV字形の急斜面になっている。夏井川渓谷を縫う磐越東線は、線路から谷底までは数十メートル、高いところでも100メートルあるかないかだろう。フロム鉄道は、これが数百メートルになる。はるか雲の下に、というと大げさだが、それほど下に谷底がのぞいている。

王の意志がはたらいた鉄道だという。でなければ、費用対効果の面で二の足を踏む事業だ。20年の歳月をかけて、1944年に開通した。当初は貨物輸送が中心で、1970年代には乗客数も落ち込んだ。で、1998年に民営化された。それから改革が始まった。

とりわけ、ソグネフィヨルドの最奥部、フロム発着のフェリーが就航する「ネーロイフィヨルド」が世界遺産に登録されたのが追い風になった。夏場はごった返す人気鉄道になったという。季節的にはピークを過ぎた9月下旬とはいえ、列車には私たち一行7人のほかに日本人の団体も乗り合わせていた。

途中、トンネルを出ると巨大な「ショース滝」が目に飛び込んでくる。ここには木のデッキがあって、数分間「観光停車」をする。すると、乗客はアリのごとく列車から降りて滝の前で記念写真を撮る、というのが定番になっている=写真。われわれもそうした、そうしたくなるのだ。

これも観光客を呼び込む戦術の一つといっていい。というわけで、ここはフロム鉄道の企業努力に敬意を表したい。

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