2016年3月11日金曜日

被災者のオアシス

 家から北東~南の方角に海がある。久之浜・四倉・新舞子・沼ノ内・薄磯・豊間……。きょう(3月11日)は起きるとすぐ、そちらの方を向いて手を合わせた。2時46分がきても忘れているかもしれないので――。
 シャプラニール=市民による海外協力の会の交流スペース「ぶらっと」の壁に、「『ぶらっと』の一日《詩》」と題する紙が張られている=写真。イトーヨーカドー平店に「ぶらっと」があったとき、利用者の一人が書いた。

「ひさしぶりの買い物/ショッピングセンターでの片隅で/数人が談笑 サークルなどで楽しんでいた/時間をもてあましていた私は/壁に書かれた交流スペース『ぶらっと』/の文字に誘われるように入った」

 詩の後半。「将棋の好きな私は将棋の駒音に/心が動いた そこに『よかったらどうぞ』の声/被災者のオアシス『ぶらっと』すぐに/ファンになった それから将棋を指して/将棋の三手も読めないものが/老後の人生まで読も(う)として/笑いがあった」

「ぶらっと」の日常のヒトコマが描かれている。詩というよりは散文だが、「ぶらっと」と利用者の出合いや心情が伝わってくる。「ぶらっと」利用者は将棋を指す人だけではない。デッサン教室や健康運動教室、手芸教室など、それぞれの目的・関心・興味に合わせてやって来た。「震災砂漠」のなかのオアシスだった。教室は今、いくつかが自主運営をするサークルに成長した。

 私は、津波で家族を失ったわけでも、家が流されたわけでもない。原発事故でふるさとを追われたわけでもない。地震で家が大規模半壊に近い半壊の判定を受けた。少しだけ改修工事をした。いわきの内陸部に住む「B級被災者」なりにできる支援がある――そう考えて、昔からかかわっているシャプラニールに伴走してきた。

 きょう、「いわきリピーター」が「ぶらっと」に来るというので、午後には夫婦で出かける。あしたは、できれば一日、「ぶらっと」にいて終了を見届けたい(義弟が退院し、店番を頼めるようになった)。
 
 その前にしないといけないことがある。ゆうべ、地元の知人から電話がかかってきた。水を流すと下水が詰まるところがある、という。この5年間、放射能がらみで側溝の土砂揚げができない。側溝の土砂揚げをしないと、ちょっとした雨でも冠水する――懸念されていたことだ。それが、いよいよ現実になってきたか。これから現場を見に行く。それからどうするか決める。
 
 いわきの内陸部の「日常」は、表面的には復旧したかのように見える。が、側溝の土砂のように手つかずのものもある。もう蓋をかぶせてすませてはいられない。これが、「原発震災」から5年がたついわきの現実だ。

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