2016年3月18日金曜日

天心と六角堂

 日曜日(3月13日)にフランス人女性写真家デルフィーヌら4人を、いわき市暮らしの伝承郷に案内した。伝承郷の次に茨城県境に近い勿来関文学歴史館を訪ねると、一人が、茨城県天心記念五浦(いづら)美術館が近いようですね、という。カーナビで知ったのだろう。
 彼は天心ファンなのだそうだ。震災後、着物姿で鈍行列車で五浦へやって来た。六角堂は見られなかった。では――。考古資料館(常磐)行きを中止して、急きょ、五浦美術館へ向かった。昼食もそこでとった。
 
 五浦美術館へは年に3、4回行く。わが家の店頭に同美術館のポスターを張っている。お礼に招待券が届く。勿来を越えて北茨城市へ入ると、なぜか北関東の光を感じ、北関東の空気を吸っている気分になる。今度もそうだった。
 
 この日はいわきのミュージアム巡りを考えていたので、招待券は持っていかなかった。天心ファンが世話になっているお礼だと言って、チケットを買ってくれた。
 
 美術館では岡倉天心記念室と企画展を見た。記念室には詩人タゴールや、その縁者で詩人、そして天心最晩年の恋人であるプリヤンバダ・デーヴィー・バネルジー夫人の写真も展示されている。そのへんは、私は素通りしたが、デルフィーヌは違った。英文の手紙を読んで、国境を越えた愛に心打たれたのか、壁によりかかって涙ぐんでいたと、カミサンがあとで教えてくれた。
 
 美術館を出たあと、茨城大学五浦美術文化研究所へ足を延ばした。六角堂や旧天心邸がある。六角堂は五浦海岸の断崖から突き出た“舌”の上に立つ。東日本大震災の大津波で流失したが、1年後、樹齢150年といういわき市田人町の大杉を使って再建された=写真。この六角堂といわきのつながりを、どうしても4人に伝えたかった。
 
 ネットで確かめたのだが、大杉を製材したのもいわきの材木店だった。六等分にしてさらに五角形の柱にした。南の柱には南をむいていた部分を使い、北の柱には北向きの部分を使う――という具合に、山にあったときと同じ状態で六角堂の骨組みができた。
 
 旧天心邸の庭に「津波到達点」を示す表示板がある。六角堂は浸水高7.3メートルで流失した。海に近いので、そのことは容易に想像しうる。が、崖の上の天心邸軒先まで水に浸かるとは。津波の高さは10.7メートルほどに達したが、それは六角堂側だけでなく、向かい側にも断崖がせり出して、地形が内湾状になっているためらしい。驚き、おののいた。
 
 五浦は天心と海、アジアとのつながりだけでなく、津波の恐ろしさを学ぶ場にもなった。

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