2016年3月3日木曜日

シャプラの5年

「シャプラニール=市民による海外協力の会」の会報「南の風」が届いた。トップ記事は特集「いわきでの5年間を振り返る」=写真。
 シャプラはもともと、バングラデシュやネパールなどで活動しているNGOだ。そのNGOが東日本大震災・原発事故後、いわきへ支援に入り、3年間の活動継続を決めた。①被災者の生活再建のメドがつき、正常な生活を送れる道筋が見える状態になること②行政やNPOなど地元の力によって細かなニーズに対応できる体制・ネットワークができること――を目標にしたという。

 時間の経過とともに被災者のニーズも変わる。発災直後は①災害ボランティアセンターの運営支援・コーディネート②一時提供住宅への入居が決まった被災者への調理器具セットの提供③物資無料配付――などを続けた。その後は、主に借り上げ住宅(アパートなど)の入居者を対象に、交流スペース「ぶらっと」を開設・運営している。活動期間も2年延長した。

「ぶらっと」は、①生活情報・支援情報・イベント情報の提供の場②友達とのおしゃべりの場③デッサン・編み物・刺繍などの教室の開催の場④困っている人の相談の場――などに活用された。情報紙も発行した。いくつかの教室はサークル化されて、利用者みずからが自発的に運営するところまできた。
 
 海外での活動と同様に、いわきでも「取り残された人々」の存在を念頭において活動を続けた。昨年(2015年)4月にネパールで大地震が発生したときにはいち早く支援に入り、今なお復旧・復興のための活動を続けている。
 
 いわきでの経験がネパール支援に生かされている。そのひとつが、コミュニティラジオ局と一緒に「ぶらっと」のようなコミュニティセンターの運営に取り組んでいることだ。あるセンターへは学校帰りの子どもたちが立ち寄り、安心して過ごせる場所になっている。別のセンターはテント暮らしで疲れた人々の憩いの場になっているという。

 ネパール初のコミュニティセンターも、運営に利用者の声が生かされ、利用者が運営にかかわっていくことが期待されている。「『ぶらっと』の運営も地域のボランティアに支えられていました。決してシャプラニールだけで運営できたわけではありません。住民の皆さんと一緒にセンターを盛り上げる。その中で利用者が、コミュニティが元気を取り戻していくのだと思います」。
 
 発災から半年後、「ぶらっと」がオープンした。いわき芸能倶楽部の面々がオープニングのイベントを盛り上げた。それを思いだした。私のなかでもこの5年間、「ぶらっと」がもうひとつの暮らしの柱になっていた。
 
 昔、元いわき短大学長の故中柴光泰さんが「つまらないからよせ」というソネット(14行詩)を書いた。
 
「原爆をつくるよりも/田をつくれ/それとも/詩をつくれ//これが存在するものの一念だ/さきごろ咲き出した水仙も/そう言っていた/日ごろ無口な庭石も/そう言っていた//田にはくらしがある/詩にはいのちがある/しかし原爆には何もない/ただ限りなく/つまらないだけだ」
 
 それにならって、存在するものの一念として思う。原発を輸出するよりも「ぶらっと」を輸出せよ、事故はこりごり――。

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