2016年3月30日水曜日

3月が終わる

 3月が終わる。そう思ったら、書いておきたくなった――。桃の節句が近づくと、カミサンが床の間に人形を飾る。雛(ひな)人形ではない。ドレスを着た青い目の人形、和服を着た黒髪の人形、その他いろいろ。リアルな表情の、赤ん坊くらいの人形が何体も並ぶと、大人でもいささか異様な感じを受ける。
 桃の節句に女の子の人形を飾り、端午の節句には兜(かぶと)を飾る――夫婦二人だけになってからのカミサンの習慣だが、孫にはいい迷惑らしい。

 6年前。上の孫は3歳、下は1歳だった。自分のブログに上の孫の反応が載っている。青い目の人形には近づかない。前の年も、カミサンが人形の一部を棚の上に飾った。そのときには攻撃的にさえなった。「かわいい」のではなく、「怖い」のだ。

 その怖さ、不気味さは伝染するらしい。先日、間もなく小学校に入学する下の孫がやって来た。床の間の人形を見てあとずさりをする。「人間が寝静まった夜中に人形が動き出すんだよ」と、カミサンがフランス人形を孫に近づける=写真。半信半疑ながら、孫は体をずらして人形との距離を保つ。孫が怖がるのは人形の表情がリアルだからだろう。
 
 それから3週間ほどたってまた下の孫がやって来た。床の間から人形が消えている。父親が「人形はいないぞ」というと、ほっとした表情で茶の間を動き回っていた。
 
 太宰治は子どものとき、寺で地獄絵を見ておののいた。昔は、大人が平気で子どもに地獄の話をした。私も祖母から聞かされた。「うそをつくと地獄で閻魔(えんま)様にべろ(舌)を抜かれるぞ」
 
「地獄」はどんなところで、「閻魔様」はどんな顔をしているのか、具体的なイメージが浮かんだわけではないが、恐ろしい印象だけは残った。あとで本か何かで「地獄絵」を見て、怖さが増幅した。その経験からいうのだが、子どものころは、怖いものがひとつやふたつはあった方がいい。孫から見ると、祖父母は「いうことを聞いてくれる人」、そして「怖い話をする人」でもある。
 
 ――なんて書いて、一夜明けたら、庭のプラムが白い花を付けていた。そういえば、いわき市庁舎の東隣、交差点の角に枝を広げるソメイヨシノもきのう(3月29日)、花が一輪咲いていた。きょうは5~6輪開いて「開花」になるのではないか。娑婆(しゃば)にも春は来る。

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