2016年3月4日金曜日

回復するちから

 賠償金をもらって遊んで暮らしている――原発避難者のなかにはそういう人もいるだろう。が、それは人の目に触れやすい「表層」の一部にすぎない。いわきの精神科医が見た、かつてない大災害(大津波と原発事故)による喪失体験、つまり心の「深層」はわれわれ一般被災者の想像を超えるすさまじいものだった。
 1カ月前、熊谷一朗著『回復するちから――震災という逆境からのレジリエンス』(星和書店)=写真=を、著者のお父上からいただいた(「レジリエンス」は「精神的回復力」のこと)。著者は1967年生まれ。これまでに『深淵から』『深淵へ』『スピリチュアルメンタルヘルス』を上梓している。

 前書き(「はじめに」)に「痛みに共感し、罪悪感や無力感を受けとめ、共にすることが精神治療の基本であることに変わりはありませんが、震災と原発事故というこの圧倒的な出来事を前に、正直どうすることもできないことが多かった」とある。それほど突然の、理不尽な喪失を多くの人が体験した。
 
 詩人も精神科医もことばが生まれる根源的なところで仕事をしている――と考える人間には、詩集や人間の内面に触れ得る熊谷さんのような文章に出合うと引かれる。精神科医自身も患者の症状に同期して心身が不調になることがある。そのことも告白している。

 熊谷さんは震災の年の師走、ふるさとの平に心療内科を開院した。『回復するちから』には、津波で妻と10カ月の息子を失った男性、海で自殺を図った電力会社の社員、仮設住宅に入居したものの「幻臭」に襲われる女性などの“物語”が載る。突然、生活が暗転し、つらく、苦しい体験を余儀なくされた。それでも、人間は生きる。生きるための回復力を持っている。希望の書でもある。
 
 いろいろ文章を引用したいのだが、一例だけ。「本来なら心療内科などとは無縁で、豊かな自然に恵まれ、満ち足りた日々を送られていた方々である。幾分落ち着きを取り戻されたとはいえ、未だに先の見えない不安は隠しようもなく、苦しみは継続している。(中略)苦しみの根本のところは無論金銭で賠償できるはずのものではなく、むしろ新たな差別の元凶となることも多い」
 
 それが、いわきで暮らす被災者・原発避難者の「内部の現実」なのだ、ということ。そこに思いを致さずして共生も融和もないのではないか。
 
 もっとも涙したのは、翌月から小学1年生になるという男の子のレジリエンスの物語だ。2歳のときに小学校に入学する直前の兄を津波で失った。死の不安が知らずしらずのうちに幼い心に蓄積していった。入学を前に初めて怖くなり、眠れなくなった。食べ物も受け入れなくなった。この強迫症状は震災から4年後にあらわれた。

 精神科医がその子にわかるようにゆっくり話を続ける。「お兄さんが亡くなったことは、家族にとっても、君にとっても、とても悲しいできごとだった。けれどそれはもちろん、誰のせいでもない。それに○○君は○○君で、お兄さんとは全く別の存在だから、安心してね。夏には赤ちゃんも生まれるみたいだし、○○君も亡くなったお兄さんに遠慮することなく、学校に行って大丈夫だよ」

 幼い子は幼いなりに兄の年齢の死という、得体のしれない恐怖を抱いていたのだろう。「安心してね」「学校に行って大丈夫だよ」。そのあと、「彼はそのままの姿勢で前屈みに突っ伏し、うわーんと張り裂けるように、強く泣いた。長く泣いた。小さな身体の、どこからこれほどの声量が出てくるのかと驚くほどの、泣きっぷりだった。ほっとする。私もようやく肩の荷を下ろす」。

 記憶にある6歳の私。その年齢になり、4月に入学を控えた私の下の孫。それらが重なって、胸のなかにたまっていた不安・恐怖その他の感情のかたまりがほぐされて、やっとほんとうの自分を取り戻したこの子に、胸の中でエールを送る。

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