2009年2月22日日曜日

阿寒・満直・雨情


月に1回、いわき湯本温泉の「野口雨情記念湯本温泉童謡館」でおしゃべりをする。そのための材料集めをしていると、新しい興味・関心がわいて横道にそれ、本筋の調べが追いつかなくなるときがある。たとえば、童謡、金子みすゞ、雨情……。そこから山村暮鳥、猪狩満直、関寛斎へと転がって、頭の中がいわきと北海道でごちゃごちゃになる。

乾浩さんの小説『斗満(とまむ)の河 関寛斎伝』を読んで、いわきの戊申戦争とも関係する蘭方医関寛斎の北海道開拓時代を知った。すると、いわきの詩人猪狩満直の北海道開拓時代が気になって、手元の資料をぱらぱらやってしまう。

明治の寛斎と昭和の満直では、時代は重ならない。が、距離的に近いところで大地と格闘していた。寛斎は北西の方から、満直は南の方から雌阿寒岳を眺めながら生活した。いや雌阿寒岳から見られていた、という点では共通する。で、「阿寒」が1つのキーワードになる。そこに、今度は雨情の詩碑がからむ。

雌阿寒岳と雄阿寒岳のふもとの阿寒湖畔に平成17(2005)年11月、雨情の詩碑が建立された。ざっと100年前の明治40~42年に北海道で新聞記者生活を送った雨情は、昭和15(1940)年夏に北海道の各地を巡る。阿寒では7・7・7・5調の連詩をものした。その1つ。「遠く雄阿寒 群立つ雲は 釧路平野の 雨となる」が碑に刻まれているという。

満直にも北海道に詩碑がある。猪狩満直生誕100周年を記念して、いわきの市民有志が平成10(1998)年10月、当時阿寒郡阿寒町(現釧路市)の農村公園内に詩碑を建立した。満直の代表的な詩集『移住民』から「種選り」が刻まれた。

その3年半後には、いわき市暮らしの伝承郷に移設された猪狩家(満直生家)の前庭に「帰郷」と題する満直の詩碑が立った=写真。いわき市と阿寒町と、満直を介して響き合う関係を築こう、という願いを込めての詩碑建立だった。

さて、ここまでからまってくると、別のアイデアもわいてくる。乾浩さんにぜひ、北海道開拓時代の満直に光を当ててほしい、そして、たとえば『阿寒の原野 猪狩満直伝』なるタイトルの小説を書いてほしい――と思うのだ。駄目だろうか。

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