図案家鈴木百世(1901~42年)が創案した「じゃんがら人形」を、ブログで何度か取り上げた。これは、その余話――。
先日、いわき市暮らしの伝承郷で皇室に献上されたのと同じ「じゃんがら人形」を見た=写真。カミサンのアッシー君をしたら、常設展示室に案内され、学芸員の説明を受けた。
上皇・上皇后陛下が皇太子・妃時代の昭和36(1961)年、小名浜(当時磐城市)で開かれた放魚祭に臨席した。
そのとき、旧平市から皇室に郷土民芸品の「じゃんがら人形」(13人組み)が桐のケースに収められて献上された。
「じゃんがら人形」は粘土を素焼きにして着色したもので、戦後の昭和27(1952)年、百世の妻恭代が1年をかけて再生した。
平(現いわき)駅前の「いづみや」が郷土の民芸品として売り出した。この人形制作は恭代が老齢を理由にやめるまで続いた。
2年前、遺族が百世の遺品を市立図書館と暮らしの伝承郷に寄贈した。いわき民報でこれを知り、「『図案家鈴木百世の仕事と思想』を紹介する企画展を、ぜひ早く」とブログに書いた。
総合図書館で去年(2025年)秋から、令和7年度のいわき資料常設展「デザイナー鈴木百世(ももよ)
知る人とぞ知るいわき人」が開かれている(5月24日まで)。
関係資料として、「じゃんがら人形」(13人組み)のモノクロ写真が展示された。それを見て驚いた。
1年半前に亡くなった義弟の遺品に「じゃんがら人形」(5人組み)があった。それとデザインが同じだった。
その後、昭和36(1961)年5月29日付のいわき民報で、皇室に献上されるまでの経緯を知った。
「じゃんがら人形」は昭和50年代の終わりごろまで制作されたというから、義弟が手に入れたのはそのころだろう。
そして、ここからは伝承郷での話。写真のコピーと新聞の写真で見ていた、献上品と同じ人形に心が揺さぶられた。何セットかつくられたのだろう。遺族からの寄贈品を模様替えの一環として展示したのだという。
若い学芸員から丁寧な説明を受けたのには、別の理由もあった。朝起きると私のブログを読むという。それで、「じゃんがら人形」の周辺情報には触れていたようだ。
そして、もう一つ。義弟の遺品よりはなんとなく小ぶりのように感じられた。いったん帰宅して、義弟の遺品を持ってまた訪ねた。
学芸員と一緒にチェックすると、5人組みは大人の親指大なのに対して、13人組みは小指大と一回り小さい。
やはり違っていた。献上品ということで、人数、大きさ、すべてに工夫を重ねたのだろう。これもまた眼福ではある。
この「じゃんがら人形」のいわれなどを盛り込んだ説明文があると、百世と「じゃんがら人形」、そして妻恭代の物語がより深く理解できる。老爺(や)心ながらそう思った。
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