2012年12月29日土曜日

決死の行動


福島第一原発の西方約30キロ、大滝根山=写真=の頂上に航空自衛隊のレーダー基地がある。3・11に福島第一原発が津波に襲われ、原子力災害現地対策本部が設置された際、本部長(経済産業副大臣)は市ヶ谷の防衛省からヘリで大滝根山へ飛び、レーダー基地の車で現地に入った。

門田隆将著『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP研究所刊)を読んで知った。取るに足らない事実かもしれないが、わがふるさとの山が原発事故の最初期になにがしかの役目を果たした――そのことを胸に刻まないではいられない。

その山の西方約30キロ、郡山市に陸上自衛隊が駐屯している。駐屯地には消防車が配備されている。3・11の夕刻、原発側からの要請で福島市の駐屯地にある消防車と合わせて2台に出動命令が下った。翌3月12日朝にはもう、東電の消防車と連結して1号機への注水・冷却活動を始めている。建屋爆発にも遭遇した。これまた門田本で知った事実だ。

郡山に駐屯している特科連隊は「浜通りはもちろん、福島全体から隊員が集まった“郷土部隊”」だ。なかでも阿武隈高地の町村出身者が多いのではないかと思う。私のいとこがそうだったし、別のいとこの子がそうだ。自衛隊で技術を習得して独立する――そういう夢を語る人間も少なくなかった。

吉田所長以下、東電社員などが命がけで原子炉の暴走を止めようと奮闘した。その最前線に立ったのは、やはり地元出身の人間だった。その最前線に同じ地元出身の自衛隊員が加わっていた。

「入れつづけた水が、最後の最後でついに原子炉の暴走を止めた――福島県とその周辺の人々に多大な被害をもたらしながら、現場の愚直なまでの活動が、最後にそれ以上の犠牲が払われることを回避させたのかもしれない」。福島というふるさとに住むわが“隣人”たちの、決死の行動もまた胸に刻まないではいられない。

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