きのう(11月4日)の続き――。吉野せい賞の表彰式のあとは記念講演が行われた。
今年(2026年)は東京の「谷根千(やねせん)」で知られる作家森まゆみさんが「吉野せい――畑に生きる喜びと悲しみ」と題して話した。
森さんは東日本大震災の数年前、いわきJC(青年会議所)が主催するまちづくり講演会の講師としていわき市を訪れた。そのとき、JCメンバーの案内で草野心平と吉野せいの墓参りをしている。
震災直後は、畑を借りていた宮城県丸森町やいわき市内で炊き出しなどの支援活動を行った。
今回も講演前に吉野せいの墓参りをし、墓碑に次女・梨花の名があるのを確かめた。
森さんは、吉野せいの作品集『洟をたらした神』と、自著の『女のきっぷ』(岩波書店、2014年)=写真=に収めた「吉野せい――開拓にくわをふるうこと」をテキストにして話を進めた。
『女のきっぷ』の「きっぷ」は「切符」ではない。「気風」である。「独学でよく考え抜いた。苦しい中で、みんなでよく働いた。ぎりぎりのところで人を助け、人を励ます。そんな女の人に共感します」と、「まえがき」にある。逆境を強く生き抜いた女性たちへの賛歌といってもよい。
朝ドラ「ブラッサム」の主人公は作家宇野千代がモデルである。その宇野千代も『女のきっぷ』で、吉野せいのすぐ前に取り上げている。
それもあってか、宇野千代はリズミカルな都会の文章でスルスル入ってくる。しかし、吉野せいの文章はそれとは対照的で、土から生えてきたようなところがある。覚悟しないと読めない、と語った。
本題はやはり、吉野せいの作品集『洟をたらした神』だろう。そこに描かれた人間たち、つまりは吉野せいも含めた「生きる喜びと悲しみ」に光を当てる。
「飛ばされた紙幣」の、近所の農婦が里芋畑で赤子を産み落としたエピソードにまず触れ、「洟をたらした神」のノボル、1歳の誕生日を迎える前に亡くなった次女の臨終記「梨花」、「ダムのかげ」の尾作新八などを紹介しながら、「『洟をたらした神』に描かれている世界には歯が立たない」とも述べた。
吉野せいを知ったのは、2020年に94歳で亡くなった画家安野光雅さんを介してだったという。森さんは安野さんと交友があった。
彌生書房から箱入りの『吉野せい作品集」が出たとき、安野さんが装丁を担当した。安野さんからその本を贈られて読んだ。
安野さんもまた『洟をたらした神』の舞台である菊竹山(好間)を訪ねて水彩画を描いている。吉野せいから始まる人のつながりの妙というほかない。
ただひとつ、森さんの話の中で違和感を覚えたものがある。吉野、いや旧姓若松せいは文学少女だった。そのころ牧師で詩人の山村暮鳥が平にいた。
その暮鳥の「おうい、雲よ」で始まる作品に出てくる地名の「磐城平」を「いわきだいら」と読んだ(私にはそう聞こえた)のである。これについては稿をあらためて書こうと思う。
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