2026年10月17日土曜日

食器洗いはサッと

                                              
   わが家に毎月、「読書推進運動」の冊子が届く。最新号では、「敬老の日読書のすすめ」にちなんで、新潮社の編集者が、作家阿刀田高さんに執筆を依頼して『90歳、男のひとり暮らし』を本にした経緯を書いている。

 年寄りには「キョウヨウ」と「キョウイク」が必要だということを、前にブログで紹介した。「教養」と「教育」ではない。「きょう、用(がある)」「きょう、行く(ところがある)」。

年を取っても社会とつながっている。孤立ではなく、他者との関係を維持している。ボケないためにもそういう日常が大切だ、という意味である。

 阿刀田さんの本にも「キョウヨウ」が出てくるというので、図書館から借りて読んだ=写真。

 キョウヨウは第2話「教養がありますか」に出てきた。「老人にはキョウヨウが大切なんだ」。その意味を友人が教える。「今日、用があるかどうか」

キョウヨウは自分でつくる。夕食の買い物をする。図書館へ行って本を探す。本を見て歩くのも好きだという。さすがは国立図書館の元職員だけのことはある。

 第1話は「九十歳 手料理いたします」。洗濯は洗濯機がある。掃除はおおむねヘルパーに頼む。問題は食べることだという。「下手くそでも自前のほうが好ましい」

 そうやって料理をして、食べたあとに洗いものをする。てんぷらのような油の多いものは避ける。「老齢の身によくないし、後始末もしんどい」から。

 この後始末、つまり食器洗いは、油の多いものを食べないので、お湯でサッと洗ってすます。

 これに、私のなまけ心が反応した。食べるものは、漬物以外はカミサンにまかせっきりだ。

朝は台所の食卓で、昼と夜は茶の間で食べる。茶の間での食事のあとは、私が片付けをして食器を洗う。

ただし、油の付いた食器はカミサンにまかせ、ご飯茶わんなどを水でサッと洗って終わりにする。

この点は阿刀田さんと同じだ。水を流しながら思い浮かべる情景がある。山麓にポツンと一軒あった「バッパの家」での食事と後片付けである。

家の東側には沢から木の樋で水を引いた池があった。そこで鍋釜や食器を洗った。樋からは水を汲んだ。

食事はめいめいが囲炉裏の周りに箱膳を出し、終わるとごはん茶わんにお湯を注ぎ、たくわんがあるときにはたくわんで茶わんの内側をこすってきれいにする。お湯とたくわんは胃袋へ。

食器はそのあと、水を張ったボールに入れて洗った。今の言葉でいえば、フローではなくストック。これが当時の茶わん洗いだった。

なにしろ、水道はない。流しっぱなしにはできない。水を大事に使わないと、自分が苦労する。

子供のころの体験がしみついているのか、食べ物は残さない。残れば食べ方を工夫する。生ごみとして廃棄する量を減らす。そうすれば食器洗いも楽になる――と思っている。

胃袋はエネルギーの生産工場であり、残り物の分解・処理工場である。年寄りは毎日、食器洗いをしながらそんなことを考える。

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