2008年6月13日金曜日

「何事三度」は、今は困る


いわきキノコ同好会の前副会長白瀬露石(本名・秋夫)さんの葬儀が、きのう(6月12日)執り行われた。昨年暮れの総会・懇親会(忘年会)でお会いしたのが最後になった。今年になって入院し、闘病生活を続けていたところ、脳梗塞に襲われて帰らぬ人となった、という。享年69はちょっと早い。

公立中学校の教壇に立ち、「生涯一教師」を貫いた人、という印象が強い。キノコ同好会へは私同様、初代副会長斎藤孝さんのつながりで入会した。観察会をさぼっている私が白瀬さんとお会いするのは総会のときのみ、昨年は役員会にも出たので二度だけ言葉を交わした。

キノコのほかに水石を愛し、俳句をたしなんだ。冬にはイノシシハンターに変身した。ほかにも私の知らない趣味があったらしい。年に一回発行するキノコ同好会の会報には毎回、俳句入りのエッセーを寄せた。

先日発行されたばかりの会報(13号)のエッセー、「猪(しし)狩り」が遺稿になったか。その中に「鯉の血を呑む猪狩(ししがり)の前夜祭」「猪狩の勢子へ無線の檄飛べり」などの句が紹介されている。

前々副会長斎藤さんは相馬郡大野村(現相馬市)、前副会長白瀬さんは同郡石神村(現南相馬市=旧原町市)で生まれた。いわば同郷の士だが、接点はなかった。

キノコ同好会立ち上げのころ、夕刊に掲載された斎藤さんのエッセー「マムシの話」(1996年1月8日付いわき民報)をきっかけに、お二人は知り合った。私が斎藤さんと知り合ったのも、このエッセーを介してだった。

斎藤さんは5年前、66歳で亡くなった。斎藤さんもせっかちに逝ってしまった。縁あって『カメレオンの悲しみ 斎藤孝遺稿集』=写真=の編集を奥さんから託された。一周忌に間に合ったものの、「マムシの話」など割愛せざるを得なかった文章があって、内心忸怩たる思いが今もある。白瀬さんには句集があったと記憶している。

白瀬さんの通夜の晩、葬儀場のロビーでキノコ同好会の冨田武子会長とWさんに会った。会長は私の顔を見るなり、真顔で「体には気をつけてくださいよ」と言う。Wさんが補足説明をした。斎藤、白瀬さんと副会長が続けて亡くなっているから――。<そうか、オレは副会長だった>。「何事三度」「二度あることは三度ある」。それを心配してくれているのだ。

私も生まれはいわきではない、現田村市常葉町出身だ。斎藤、白瀬さんとは①阿武隈高地からいわきへやって来た②アウトドア派で文章を書くのが好き③コウタケをキノコの至上とする④酒をこよなく愛する――など、共通する点が少なくない。焼酎の「田苑」を愛飲するようになったのも、白瀬さんがキノコ同好会の忘年会に持参して、一遍で好きになったからだ。

そういう共通点があるとしても、「何事三度」は、今は困る。人生の第2ラウンドを孫と一緒に成長する――孫が生まれたときにそう誓ったからには、しぶとく、ずぶとく、はいつくばってでも生き続けるのだ。斎藤、白瀬さんには悪いが、あの世とはしばらく音信不通にして、みなさんと会わないようにしたい。

1 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

兄のように慕っていた白瀬秋夫(白瀬露石)に関するエッセーを見つけ懐かしんで読みました。当方のブログに記事を載せるので紹介させていただきます。https://blogs.yahoo.co.jp/m_shilar/66803863.html