2008年6月8日日曜日

首をつられたキュウリ苗


パイプの骨組みだけになった元ビニールハウスが家の近所にある。奥にタマネギ、手前にキャベツが列をなしていた。キャベツは既に収穫を終えて姿を消した。タマネギも近々収穫されるだろう。

あるとき、パイプの支柱の外側にキュウリの苗が植えられた。パイプの梁(はり)からはビニールテープが垂れている。つるが支柱に絡みつくように、苗の先端部をテープで結んで支えているのだ=写真。支柱にネットをかけてつるを這(は)わせるのが一番だが、ネットをかけるのが面倒であれば、苗を上からつるすようにして支柱に絡めるしかない。

人間の想像力の柔軟さにびっくりした。「人間で言えば、あれだな。絞首刑。こういうやり方もあり、なのだ」と。キュウリにとってはどんなやり方であろうと、つるを伸ばして何かに絡みつき、日を浴びながらぐんぐん生長できるのが一番だ。

野菜を栽培して思うのは、いかに手を抜いて立派に育てるか、である。利用できるものはなんでも利用する。稲藁(わら)がなければそのへんの草を刈って敷き藁の代用にする。ヤマイモのつるの支柱が短ければ、その上に張り出している木の枝に絡まるように誘引する。

自分なりの創意工夫、それが無数にあるのが農の営み。だから、私はこのごろ「米農家」ではなく「米作家」、「梨農家」ではなく「梨作家」と呼びたい衝動に駆られることがある。糠漬けなら「糠漬け作家」。いつも何かを考え、試し、修正していく。太陽と雨に影響を受ける農の営みは、特にそのことが求められるような気がする。

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