ときどき朝の散歩コースを変える。国道6号と旧国道にはさまれた、庭に畑のある民家が密集している地区は細道が迷路のように入り組んでいる。それが面白くて、たまに遠回りする。
一角に小堂宇がある。旧国道を車で往来しているだけでは分からない、横長の古い建物だ。軒下に「愛宕地蔵尊」の額がかかっている。ふだんは戸が締まっているから、中の様子は分からない。昨秋、一度だけ開いているのを見た。入り口のすぐ脇に囲炉裏がある。ちょっと変わった造りだ。
土曜日(6月21日)の夕方、旧国道を車で通ると、道ばたに人が出て「愛宕地蔵尊例大祭」ののぼりを立てていた。新住民(と言っても、住んで30年近くなる)にはどんな祭りか興味深い。帰宅するとすぐ、様子見を兼ねて夫婦で出かけた。
地域の子供たちが願主の、赤と白の奉納旗が点々と細道のフェンスにかかっている=写真。それらに導かれるようにしてお堂へ着く。ちょうど見知った人がいたので話を聴いた。中に入って写真を撮ってもいい、という。カミサンも急に頼まれて針仕事をした。
志賀伝吉著『神谷村誌』(昭和47年刊)も参考にして、聴いた話を総合すると、愛宕地蔵尊の例大祭は6月24日。前日の23日は宵祭りで「諸準備」をし、後祭りの25日は「諸整理」をする。今年は6月22日が本祭りというから、本来は旧暦で挙行していたのが新暦になり、さらに6月24日に近い週末に行うようになったのだろうか。
例大祭の日には氏子がお堂の中に並んで座り、どんぶりに注がれた酒を飲んだあと(「献上酒」)、大盛りのどんぶり飯を食べる(「おやわら」)。おかずは生臭なしの豆腐としょうがのみ(らしい)。なかなかきつい儀式だ。
『神谷村誌』で知ったが、地蔵尊は夏井川の対岸にある専称寺に所属している。大正年間に中神谷区長だった人が自分の屋敷の一部を寄進して地蔵堂が建った。それがそのまま残っているのだろう。なかなか味のある木造建築物だ。和讃もある。
奇妙頂来愛宕尊
由来をくわしくたづぬるに
元文五年の夏の頃
夏井の川に(ママ)増水し
その時百姓庄五郎
川のふちにて、ながめをる
川の上より地蔵尊
光明かがやき流れ来る
それを見るより庄五郎
御利生あらば川上へ
登らせたまへと、こえをかけ
こえもろともに地蔵尊
あら有難や逆流し
それを見るより庄五郎
ただちに舟をこぎいだし
地蔵菩薩をすくいあげ
我が敷内にこんりうし
愛宕地蔵と祭らるる
地蔵菩薩の御慈悲に
その時未だにいたるまで
上の組には火難なし
その他信者にいたるまで
火難盗難更になし
火ぶせ地蔵と念ずべし
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
川を流れてきた地蔵様を拾って祭る――という話は、川が海になり、地蔵様がほかの仏像になるなどしながら、各地に広く残っている。いずれにしても火伏せや身体堅固、家内安全、交通安全といった現世のご利益と結びついた、身近な信仰の対象ではある。
もとは浄土宗の奥州総本山専称寺と夏井川、神谷地区の結びつきの深さがあらためて実感できる地蔵尊だ。
一角に小堂宇がある。旧国道を車で往来しているだけでは分からない、横長の古い建物だ。軒下に「愛宕地蔵尊」の額がかかっている。ふだんは戸が締まっているから、中の様子は分からない。昨秋、一度だけ開いているのを見た。入り口のすぐ脇に囲炉裏がある。ちょっと変わった造りだ。
土曜日(6月21日)の夕方、旧国道を車で通ると、道ばたに人が出て「愛宕地蔵尊例大祭」ののぼりを立てていた。新住民(と言っても、住んで30年近くなる)にはどんな祭りか興味深い。帰宅するとすぐ、様子見を兼ねて夫婦で出かけた。
地域の子供たちが願主の、赤と白の奉納旗が点々と細道のフェンスにかかっている=写真。それらに導かれるようにしてお堂へ着く。ちょうど見知った人がいたので話を聴いた。中に入って写真を撮ってもいい、という。カミサンも急に頼まれて針仕事をした。
志賀伝吉著『神谷村誌』(昭和47年刊)も参考にして、聴いた話を総合すると、愛宕地蔵尊の例大祭は6月24日。前日の23日は宵祭りで「諸準備」をし、後祭りの25日は「諸整理」をする。今年は6月22日が本祭りというから、本来は旧暦で挙行していたのが新暦になり、さらに6月24日に近い週末に行うようになったのだろうか。
例大祭の日には氏子がお堂の中に並んで座り、どんぶりに注がれた酒を飲んだあと(「献上酒」)、大盛りのどんぶり飯を食べる(「おやわら」)。おかずは生臭なしの豆腐としょうがのみ(らしい)。なかなかきつい儀式だ。
『神谷村誌』で知ったが、地蔵尊は夏井川の対岸にある専称寺に所属している。大正年間に中神谷区長だった人が自分の屋敷の一部を寄進して地蔵堂が建った。それがそのまま残っているのだろう。なかなか味のある木造建築物だ。和讃もある。
奇妙頂来愛宕尊
由来をくわしくたづぬるに
元文五年の夏の頃
夏井の川に(ママ)増水し
その時百姓庄五郎
川のふちにて、ながめをる
川の上より地蔵尊
光明かがやき流れ来る
それを見るより庄五郎
御利生あらば川上へ
登らせたまへと、こえをかけ
こえもろともに地蔵尊
あら有難や逆流し
それを見るより庄五郎
ただちに舟をこぎいだし
地蔵菩薩をすくいあげ
我が敷内にこんりうし
愛宕地蔵と祭らるる
地蔵菩薩の御慈悲に
その時未だにいたるまで
上の組には火難なし
その他信者にいたるまで
火難盗難更になし
火ぶせ地蔵と念ずべし
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
川を流れてきた地蔵様を拾って祭る――という話は、川が海になり、地蔵様がほかの仏像になるなどしながら、各地に広く残っている。いずれにしても火伏せや身体堅固、家内安全、交通安全といった現世のご利益と結びついた、身近な信仰の対象ではある。
もとは浄土宗の奥州総本山専称寺と夏井川、神谷地区の結びつきの深さがあらためて実感できる地蔵尊だ。
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