2008年6月30日月曜日

1年に一度のハナショウブ


いつのころからか毎年、平北白土の塩脩一さんが丹精しているハナショウブ畑を夫婦で訪れる習慣ができた。私は脩一さん夫妻と、カミサンは娘さんとひとときのおしゃべりを楽しむ。

雨が降りしきる昨日(6月29日)夕方、遅まきながら今年のハナショウブを見に行った。見ごろは過ぎていたが、白、紫、赤紫色の花が雨に濡れていちだんと鮮やかだった=写真。

ぜひとも脩一さんに聞いておきたいことがあった。脩一さんは篤農家である。ネギやキュウリ、トマトの栽培にかけては高い技術を持っている。いわき地方のネギ栽培史、それを聞き書きしなければ――。ずっと気になっていたのだ。

私がネギに興味を持っていて、「三春ネギ」を栽培していることを知っている。脩一さんの畑から地ネギ(昔の「いわきネギ」=「川中子(かわなご)ネギ」系)のネギ坊主をもらい、種を採って栽培したこともある。

脩一さんの話は、私が抱いている今のネギへの疑問が間違いではないことを裏づけた。「いわきネギ」には新旧がある。地ネギの「いわきネギ」と、ブランドとしての「いわきネギ」は別物。地ネギを調べている人間としては、あいまいにできない違いだ。

脩一さんの話で面白かったのは、随分昔の冬、暗いうちから馬にネギの横駄を積んで石城郡外の富岡町や古殿町へ運搬したことだ。馬の首には鈴を付けた。「その鈴がある」と現物を持ち出してきて、見せてくれた。

いわば、浜通りから阿武隈高地の山中にかけて、いわきを起点にした「ネギの道」があった。中通りからいわきの山里へと種子が伝播した別の「ネギの道」もあった。そんなことをあらためてイメージできる聞き取りだった。

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