2012年1月1日日曜日

原発震災紀元2年


いつもの年だと、古い年から新しい年に移り変わるときの心象風景はこうだ。大みそかには、多少の波風はあっても無事に1年が過ぎたことを夕日に感謝する。翌元日には、今年も無事に1年をすごせますようにと朝日に祈る。

しかし、今年はだめだ。原発震災紀元2年だ。祈りの奥底に罪障感や悲憤のようなものがわだかまっている。紅白歌合戦を見た。川向こうの專称寺の除夜の鐘を聞いた。でも、切り替えがきかない。(零時半すぎ、庭へ出たら星がさんざめいていた。オリオンが真上からやや西に移っていた。家々には明かりがともっていた。だめな気持ちが少しほぐれた)

昨年3月14日午前11時ごろ、あずかった孫2人を、暖かい南風に誘われて庭で遊ばせた。ちょうどそのころ、福島第一原発3号機の建屋が爆発した。原発からはざっと40キロ。30キロの屋内退避圏外という油断もあった。

以来、その罪障感が頭から離れない。孫たちの顔を見るたびに、3月14日午前の情景が思い浮かぶ。すまないことをしたと、ときどき胸が痛む。

そんな「鈍感じいじ」でも、保育園の運動会やおゆうぎ会があれば「見に来てね」と元気な声が受話器の向こうから届く。おゆうぎ会のオペレッタという出しものでは桃太郎を演じた=写真。下の孫は一休さんに扮した。幼児らしい活発さと向日性に救われている、というところだろうか。

私たちの生きる時間は先がみえている。代わりに考えなくてならないのは、孫たちが生きる未来の時間だ。

小さい人間たちの未来の時間のために何ができるか。行政レベルで、地域レベルで、家庭レベルで、できることを推し進めないといけない――とは言いながらも、具体策は持ち合わせていない。

私にできるのは、そんな屈託を抱いてブログを書き続けることくらいだ。とりあえず、今年も「ミミズのつぶやき」でいこうと思う。

1 件のコメント:

かぐら川 さんのコメント...

「原発震災紀元2年」。遠くに住む私のようなものにも厳しく響く言葉です。

四倉のことを調べていて、昨年から、ちょくちょくおじゃましています。
(明治時代に四倉に住んでいたある富山県人のことを調べています。)
本年もよろしくお願いいたします。ごあいさつまで。