2012年1月9日月曜日

今ごろドキドキ


あのとき、2011年3月11日、NHKはテレビ局で唯一、リアルタイムで空から大津波の姿をとらえた。私はかたずをのんでテレビ画面に見入った。見入るしかなかった。大災害が発生したことは画面からわかるのだが、それがなぜか実感をともなわない。想像を絶する破壊が行われている、これは現実か――おそらく思考は凍りついていたはずだ。

ただただテレビに目を注ぐしかなかった。以来、インターネットでは自衛隊機が撮った映像などが繰り返し視聴されている。私もあのあと、ときどき見た。ところが、9カ月がたった年末、なにかの拍子に大津波の映像を見たら、胸がドキドキした。

空からの映像だけではわからなかった惨状が、がれきの野を取材した各メディアの報道によってより具体的になった。これらの報道を逐次、“追体験”することで被災した人々の生と死が頭の中にしみこんだ――それが影響しているのだろうか。

毎日新聞のヘリも青森での別件の空撮を終え、南下中に紙媒体で唯一、大津波が襲う瞬間を撮った。が、どうしてもNHKの動画の方に引っ張られる。「新聞研究」2011年10月号で空撮した福島放送局カメラマン(鉾井喬さん)の文章=写真=を読んだことも、関係しているのかもしれない。

平成23年度新聞協会賞は編集部門が6本、うち5本が東日本大震災関連だった。毎日も、それからNHKもこの「平野を襲う大津波」のスクープ写真・中継で受賞した。受賞者がそれぞれ「新聞研究」に寄稿している。

鉾井さんの文。「その日、私はヘリ取材の当番として、福島放送局から仙台空港に出張し、ヘリポートに待機していた」。NHKのふだんの備えが、これからわかる。仙台市上空から仙台港へ出たあと、リアス式海岸をめざしたヘリは雪雲に行く手を阻まれて南下する。と、名取川の流れを遮るように一筋の白波が河口からさかのぼっていくのが見えた――。

「田園をのみ込みながら、巨大な生き物のようにザーと平野を走る大津波。先端がどす黒くなった大津波は住宅や車、農業用ハウスなどに襲いかかり、あっという間に巻き込んでいく」。このあと、テレビカメラマンらしい自制がはたらく。

「生中継になっていることを思い出し、アップになりすぎてはいけないと、映像をワイドにすると、土煙が上がり、黒く染まった海岸線そのものが平野を飲みこんでいた」。大津波で仙台空港に戻れなくなったへりは午後5時20分、福島空港に着陸する。

テレビで見た、あのどす黒い、高速の大津波は、こうして福島放送局のカメラマンによって撮影されたものだった。そのあたりを書き写すだけで、すでに呼吸が乱れそうになる。3・11以来、眠っていた不整脈が起きだし、4月から飲む薬が一つ増えた。それが、今ごろになってドキドキの悪さをするようだ。

軽微な被災者である私でさえそうなのだから、大津波と原発事故から追われた人たちはもっとドキドキしているのではないか。直観的な物言いだが、この時期だからこそ心のケアを必要とする人が大勢いる、という思いにかられる。

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