2009年8月27日木曜日

竹の根こそぎ作戦


『三澤勝衛著作集 風土の発見と創造 1地域個性と地域力の探求』『同 4暮らしと景観/三澤「風土学」私はこう読む』(農文協)の2冊が、いわき総合図書館の新着図書コーナーに展示されていた。哲学者の内山節さんが〈私はこう読む〉のトップバッターとして書いている。早速、借りて読んだ。

〈いやしくも川の工事をしようとするものは、まずそれをそこの川に訊き、山の工事をしようとするためにはそこの山に訊いて、その言葉に従ってするということが、いわゆる成功の捷径でありましょう〉。こんな三澤の文章を紹介しているのは、民俗研究家の結城登美雄さん。わが意を得たり、の思いがした。

朝晩散歩する夏井川の対岸2カ所で工事が行われている。河川敷にたまった土砂を撤去して氾濫を防ぐ(下流の方)、洪水等の被害を防止する(上流の側)のが目的だ。洪水防止の方では竹林が伐採され、地下茎をむしり取る「根こそぎ作戦」が始まった=写真

そうこうするうちに、こちら側(左岸)でも改修工事の準備が始まった。蛇行部の護岸がえぐられ、土砂がむき出しになっている。これから半年余をかけて川床を掘削し、護岸を整備する、と案内標識にあった。立ち入り禁止のためのロープも張られた。

先に、流灯花火大会が開かれる平・鎌田で、川にできた“中島”の土砂が半分近く取り除かれた。土砂で閉塞した河口でも繰り返し開削工事が行われている。新たに始まった土砂除去工事と改修工事は、場所でいえばその中間、平・中神谷と対岸の山崎だ。一連の工事に、つい賽の河原の石積みを思い浮かべてしまう。

三澤地理学の「風土」とは、大地の表面と大気の底面(宮沢賢治のことばでいえば、気圏の底)が触れあうところ。その風土はそこだけの、ほかに同じところがないローカルなものだ。それに見合った産業と生活のあり方を探求するのが「風土学」の目的ということになる。

目の前で行われている河川改修工事は「風土学」の範疇に入るものだろうか。つまり、川に訊いたものだろうかと自問すれば、点数はどのくらいになるだろう。

結城さんはこんな三澤の文章も紹介している。〈雨も、雪も、風も、寒さも、さては、山も河も、なにも自然という自然に悪いものは一つもないはずであります。善悪はただ人間界だけの問題であります〉。混然一体となっている自然の営みと人間の営みとを切り離し、自然を対象化して改変する西洋流の自然科学には限界がある。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

程度の差こそあれ、改修はしないほうがよいということでしょうか?

開発と保全の問題ではないにしろ、環境アセスがあって手をつけるのは当然だと考えます。 土建業者の立場では訊いてからでは「おまんま」の食いあげになってしまうし、そこそこ理屈が通れば周りや後のことなど無関心極まりないでしょう。

地域にコミュニティの根っこを張ってそこで生き抜いて次代につなぐことをどれだけ真剣になれるか?それが問われている現実の気がします。