日本経済新聞の元日付1面は連載「アジア跳ぶ」の第1回。なかに、ベトナムに関するこんな文章があった。「12年1月、ベトナムの携帯電話の輸出額が繊維・縫製品を抜き、首位を奪った。立役者は韓国サムスン電子。09年に始めた携帯の生産は年間11億台を突破。キヤノンは同国最大の輸出企業の座を譲った」
2012年9月にベトナムのハロン湾を観光した。ハノイの空港からハロンへ向かう途中にサムスン電子の工場があり、キヤノンの工場があった。ホテルのテレビはサムスン、私たちを乗せたマイクロバスは韓国のヒュンダイ(現代)。日経の連載記事ではないが、アジア経済の牽引力がどこにあるかを思い知らされる旅だった。
その道すがら、私はどこまでも広がる水田風景を眺めながら、貧弱な送電鉄塔をカメラに収めた=写真。車中で語ったベトナム人ガイドの言葉が耳に残ったからだ。
「ベトナムでは、水稲は南部では3期作、北部では2期作。田植えが終わると、台湾・韓国・日本などへ出稼ぎに行く例が多い」
「若者の農業離れが起きている。農村から都市部の工場に勤め、週末になると帰宅する」(日曜日夕刻の幹線道路は、農村からハノイへ戻るバイクの群れであふれていた)
「ベトナムは農業国から工業国へと向かっている。電気が足りないので、ロシアと日本の協力で原発をつくることを決めた」
野田前首相が一昨年暮れに原発事故の「収束」宣言をしたのは、ベトナムなど海外の「顧客」向け(不安一掃作戦)でもあったかと、今にして思う。
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