常磐の梅林寺は主に紅梅。では、白梅は? もちろん、平の専称寺だ。
梅林寺の梅の花を見に行って以来、専称寺の白梅が頭から離れない。専称寺の梅林は例年、3月中旬が見ごろという。
専称寺は山号が「梅福山」だ。それで、昔から梅で有名だったかというと、そうでもない。
磐城平藩の中老、鍋田三善(1788~1858年)は自著『磐城志』で、専称寺についてこう記す。
山門の外、坂の中段左右に寮舎が5軒並んでいる。また南側、横に入り組んで5軒がある――。
寮舎は学僧が寝泊まりして修行するところ。それが江戸時代には10軒あった。
同寺はそのころ、東北地方を中心に末寺が200を越える大寺院だった。同時に、主に東北地方からやって来た学僧200人余が修学に励む「大学」(名越派檀林)でもあった。
この名刹が近代になってさびれる。そこで旧平市時代、市の観光課長だか誰だかが音頭を取って梅の苗木を植えたのが名所の始まり、と聞いたことがある(それが正確ではなかったことが今はわかる)。
寺によると、数は白梅・紅梅合わせて500本。世間的には「名越派総本山」の「大学」より寮舎跡の「梅林」がすっかり有名になった。
「梅の寺」の始まりが知りたい――若いときからそう思ってきたが、いかんせん手がかりがなかった。
図書館のホームページに「郷土資料のページ」がある。いわき市で発行された地域新聞がデジタル化されて読める。
そこから情報を探ろうとしても、あまりにも茫漠としている。「情報の海」をどう泳いでいいのかわからない。
思いあぐねていたところへ、若い仲間から自身が組み立てた「いわき文献案内」の利用法を教えられた。
デジタル化された図書館の新聞記事を、グーグルを使って簡単に検索できるという。
さっそく「いわき文献案内」の検索欄に「専称寺 梅林」と入力したら、関連する記事が一覧で表示され、知りたい情報がすぐ見つかった。
まずは昭和48年1月26日付のいわき民報。小川町の中條実さんが「専称寺の梅林と箱崎昇吾翁」と題して寄稿していた=写真上1。
2つの記事を合わせると、国鉄を退職した中神谷の箱崎昇吾さんが昭和8年から専称寺の境内に梅の苗木を植え続け、足かけ27年をかけて同34年、悲願の1千本を達成した。戦争をはさんでの偉業である。
箱崎さんは地元も地元、わが家と同じ字(あざ)の人だった。身近なところに、そんな志を持って行動した人がいた。
というわけで、まずは翁の存在に驚き、「いわき文献案内」の威力に感心したことを伝えたくて、速報的に紹介した。ちゃんとした調べはこれから、おいおいと。
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