夏井川渓谷の隠居の庭に咲いている花を、カミサンが摘んできた。「ヒメオドリコソウかな」と答えたものの、自信がない。自分のブログに載る写真で確かめたら、ホトケノザだった。
「ホトケノザ? では仏様に供えなくては」。床の間に小さな仏壇がある。そこへホトケノザを小瓶に入れてたむけた=写真。
仏壇のそばにはカミサンの両親と伯父、弟の写真が飾ってある。両親と伯父は震災前に、弟は去年(2024年)の11月に亡くなった。
義伯父は晩年、埼玉県からわが家の近くに土地を求め、家を建てて移り住んだ。義弟は震災後、実家からわが家の裏にある家に引っ越して来た。
義伯父が生きているうちは、カミサンが食事の世話をした。義弟は朝昼晩とわが家で食べた。
義弟はこの何年か、病院とデイケア施設へ通っていた。病院へは私が車を運転し、カミサンが付き添った。
「同じ屋根の下」ならぬ「同じ敷地の中」で暮らしていたようなものだ。その義弟の急逝から4カ月がたつ。
義弟がいないという事実は変わらないのだが、ちょっとした暮らしの場面に、ふと義弟の顔が思い浮かぶ。
食事のあと、台所で自分の茶わんを洗う。秋を過ぎたころから水ではなく、お湯を使うようになった。
義弟は、早くからお湯で自分の茶わんを洗っていた。水で洗えばいいのにと、思ったこともある。
ああ、そうか。義弟も同じように指先が冷えていたのかもしれない。やっと義弟の内面に触れたような気がした。
義弟の病気と私の病気は重なるところがある。不整脈、高血圧。義弟はほかに糖尿病をわずらっていた。
毎日飲む薬は私より多い。処方された薬は、カミサンがチェックする意味もあって、わが家に置いてあった。
朝食に来ると、まずはその日に飲む薬をそろえる。食後、台所で服用する。ときに畳の隅や台所に錠剤が落ちていることがある。
私も同じように、処方された薬をそろえて服用する。たまたま手からこぼれ落ちて、どこへ行ったかわからなくなるときがある。
こたつのカバーを上げ、座いすをずらして、小さな錠剤を探す。意外と遠くまで転がっているので、なかなか見つからない。数が多いから落としても気づかなかったのだろう。
施設へ通うときに手袋をすることがあった。抗凝固剤の副作用で皮下出血がおきる。それを隠すためだったろうが、指先の冷えも理由ではなかったか。
義弟のために味噌汁の味が薄くなった。それが今も続いている。これはもう義弟のおかげというほかない。
白菜漬けの食べ方も変わった。醤油を注いだ小皿に七味を振って、それにチョンとつけて食べていたのが、醤油皿が消え、七味も振らなくなった。
義弟の病気は私の病気。生前の義弟の動作がときどき、私のなかで合わせ鏡のように映し出される。
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