2009年7月15日水曜日

麦の秋と人間の夏


いわき市小川町の平野部、国道399号沿いに1カ所、麦畑がある。夏井川渓谷への行き帰りにチラリと眺めて通り過ぎる。もう刈り取り時期に入ったと思われるのだが、まだなのか。見るたびに倒伏数が増えている。

まだしっかり立っていたころ、麦畑に気づいた=写真。「麦の秋」である。すると、決まって思い出す詩がある。田村隆一が新聞かなにかに発表したのを、若いころに読んで「うまい! 当代一流の詩人はこういうふうに現実を詩に昇華するのか」とうなったものだ。

「村の暗黒」がタイトル。〈麦の秋がおわったと思ったら/人間の世界は夏になった/まっすぐに見えていた道も/ものすごい緑の繁殖で/見えなくなってしまった〉。これが第一連。いつも歩いている道が夏草に覆われて見えなくなった、というのは、誰もが経験することだろう。

第二連はこう続く。〈見えないものを見るのが/詩人の仕事なら/人間の夏は/群小詩人にとって地獄の季節だ/麦わら帽子をかぶって/痩せた男が村のあぜ道を走って行く/美しい詩のなかには/毒蛇がしかけてあるというから/きっとあの男も蛇にかまれないように/村の小宇宙を飛んでいるのだ〉

最近、本人がこの詩を解説する文章を読んでにやりとした。講談社文芸文庫の『詩人のノート』に出てくる。この詩は神奈川県のとある村に住んでいたころの体験をうたっている。

蛇が苦手の詩人は、道に蛇が長々と寝そべっていると、クルッと回れ右をして家に帰ってしまう。「急用があって、どうしてもあきらめられない場合は、お天気がいいというのに、ゴム長をはいて、宙を飛ぶようにして走るのだ」。第二連の情景である。

確かに草が繁殖して地面が見えなくなると、蛇の存在がちらついて一歩足を踏み出すのを躊躇する。長靴を履きたくなる。そんな人間的な一面を重ねて読むと、いちだんと味わいが増す。

「麦の秋」が終わったら「人間の夏」になる。いや、もう関東甲信地方は梅雨が明けたという。月曜日(7月13日)には、南東北も「人間の夏」になったといってもいいくらいの暑さになり、翌朝まで強風が吹き荒れた。それで夏風邪を引いた。体が気象の変化についていけなくなったか。

0 件のコメント: