いわき市小名浜在住の松本成一さんが同市平のエリコーナで写真展を開いている=写真。7月20日まで。
松本さんは笑顔の少女の写真を撮るアマチュアカメラマン、として知られる。真正面から笑顔の少女を撮る、というより笑顔の少女しか撮らない。笑顔の少女の写真で松本さんの右に出る者はいないだろう――私はひそかにそう思っている。
使われ方によっては「盗撮だ」「ポルノだ」と非難される、カメラには不幸な時代。そうした風潮を反映してか、カメラを首からぶら下げて散歩へ出かけると、小学生の女の子は「怪しいおじさん」視して警戒する。めげずに毎日、カメラをぶら下げて散歩する。花を、鳥を、虫を撮るために。
松本さんと知り合っておよそ20年になる。「笑顔の少女」はなによりもかわいい、美しい。松本さんは「怪しいおじさん」の壁をどう突破したのだろう。笑顔の少女の写真は、少女の家族との信頼関係のうえに成り立っている。ハードルは高かったに違いない。と、思ったら、知人・両親のつながりで簡単に少女と向き合い、今に撮る・撮られる関係が続いている。
オープン初日(11日)に会場をのぞいた。長年にわたって撮り続けている同じ少女の笑顔を通して、少女が大人に成長していく姿を生きいきと描いている。「描いている」というほかないテーマ性、根気と集中力だ。一人の少女の場合は、12歳から32歳までをほぼ1年刻みで写し出している。
これだけ長く少女に信頼されているカメラマンはいるだろうか。これだけ長くすてきな笑顔を撮れるカメラマンはいるだろうか。いや、いない。まさに松本さんの誠意が心からの笑顔を引きだした稀有な例――そう思ったら、胸に熱いものがこみあげてきた。
「このたび、15年、18年、21年と連続して成長していく姿を撮っている3人の少女に焦点を当て、順に約50枚展示しています。それぞれの青春途中の一瞬一瞬の一枚一枚に『生きる喜び』を感じて頂ければ嬉しい限りです」
案内のはがきに記された松本さんのあいさつ文を読んでいたら、これほどの感動を受けただろうか。年をとれば人は“花眼”になる。小さい字がにじんで読めなくなる。「笑顔の少女」以外の予備知識なしに出かけて、ばったり「笑顔の少女」と出会ったのが、むしろ幸いした。
使われ方によっては「盗撮だ」「ポルノだ」と非難される、カメラには不幸な時代。そうした風潮を反映してか、カメラを首からぶら下げて散歩へ出かけると、小学生の女の子は「怪しいおじさん」視して警戒する。めげずに毎日、カメラをぶら下げて散歩する。花を、鳥を、虫を撮るために。
松本さんと知り合っておよそ20年になる。「笑顔の少女」はなによりもかわいい、美しい。松本さんは「怪しいおじさん」の壁をどう突破したのだろう。笑顔の少女の写真は、少女の家族との信頼関係のうえに成り立っている。ハードルは高かったに違いない。と、思ったら、知人・両親のつながりで簡単に少女と向き合い、今に撮る・撮られる関係が続いている。
オープン初日(11日)に会場をのぞいた。長年にわたって撮り続けている同じ少女の笑顔を通して、少女が大人に成長していく姿を生きいきと描いている。「描いている」というほかないテーマ性、根気と集中力だ。一人の少女の場合は、12歳から32歳までをほぼ1年刻みで写し出している。
これだけ長く少女に信頼されているカメラマンはいるだろうか。これだけ長くすてきな笑顔を撮れるカメラマンはいるだろうか。いや、いない。まさに松本さんの誠意が心からの笑顔を引きだした稀有な例――そう思ったら、胸に熱いものがこみあげてきた。
「このたび、15年、18年、21年と連続して成長していく姿を撮っている3人の少女に焦点を当て、順に約50枚展示しています。それぞれの青春途中の一瞬一瞬の一枚一枚に『生きる喜び』を感じて頂ければ嬉しい限りです」
案内のはがきに記された松本さんのあいさつ文を読んでいたら、これほどの感動を受けただろうか。年をとれば人は“花眼”になる。小さい字がにじんで読めなくなる。「笑顔の少女」以外の予備知識なしに出かけて、ばったり「笑顔の少女」と出会ったのが、むしろ幸いした。
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