2011年7月30日土曜日

原発忌


年4回発行の浜通り俳句協会誌「浜通り」第141号が届いた。<東日本大震災特集号>である。多くの俳人が3・11の体験を記し、句を詠んでいる。招待作品も載る。通常は50ページ前後。それより十二、三ページ多い。渾身の編集だ。

招待の黒田杏子(ももこ)さんの作品に「原発忌福島忌この世のちの世」があった。「原発忌」と「福島忌」。新しい季語だ。

「原爆忌」は夏(ヒロシマ)、秋(ナガサキ)。「原発忌」「福島忌」は3月11日。春(フクシマ)の季語、というわけだ。

同誌所収の黒田さんのエッセーに、選を担当する「日経俳壇」に掲載した句がいくつか紹介されている。「おろかなる人知なりけり原発忌」「広島忌長崎忌そして福島忌」。早くも外野の人がおかしなこと(造語=季語)を詠みだした。

新季語にやりきれない思いがわいてくる。外部から、ヒバク地に住んでいるのだという認識を強いられる。季語の消費ではないか――俳句の門外漢は静かに、しかし気持ちは激しく逆らってみたくなる。

面識のある俳人の震災詠をたどる。森高武さん。「春の海佇(た)ちて迎へし大地震」「津波より逃げ春の海振り向かず」。新舞子海岸あたりでバードウオッチングでもしていたか。西山逢美さん。「大地震(おおない)のあとの月夜のおぼろかな」「三時間並びて得たる春の水」

曲水東北支社長中川ひろしさん(久之浜町末続)は、お住まいが末続駅近く。原発から30キロ圏内だ。一時、東京に避難した。「浜通り」への便りにこう記す。「東側の駅ホームを境に海沿いの四十戸は全滅死者七名が出ました」

同じ久之浜町を拠点にした俳句会に「木奴実(このみ)」がある。林さんという人が便りに書いている。「今回の地震津波により、木奴実句会というものが消えざるを得ません。残念ですが一応の員数を保つことが出来ません」。いわき民報の文化欄でお付き合いのあった句会だ。久之浜の惨状=写真=と、長い歴史を刻んだ「木奴実会」に黙祷と合掌。

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