2011年7月16日土曜日

季刊地域


7月上旬、農文協東北支部のOさんからわが家に電話がかかってきた。会社(古巣)に電話したら辞めたと聞いたので、104番でチェックしたという。古巣で電話番号を教えてくれなかったのだろうか。

四半世紀前のことだ。昭和62(1987)年暮れに『日本の食生活全集⑦聞き書福島の食事』が出た。わがふるさとの常葉町(現田村市常葉町)が<阿武隈山地の食>の舞台として取り上げられた。<石城海岸の食>も入っている。常葉町のだれかの紹介で、OさんがPRにわがいわきの職場へやって来た。

以後、農文協がらみの出版資料が送られてきたり、電話があったりしたが、いつかそれも途絶えた。そこへ今度の電話である。受話器を取った瞬間に口をついて出たのが、「しばらくですね」だった。

「季刊地域」2011年夏号が出た。大震災・原発災害に立ち向かう農山漁村の底力を見よ――という観点で、特集「東北(ふるさと)はあきらめない!」を組んだ。ついては……。「ブログでよければ紹介しますよ」。後日、東京の編集部から夏号が送られてきた=写真

「季刊地域」の前身は「増刊現代農業」。定期購読をしていたわけではないが、たまに興味を引く特集があると、本の出前をする本屋さん(角忠)に注文して買うようにしていた。

今、手元には1999年5月号「自給ルネッサンス」、2000年5月号「定年帰農パート2」、2002年5月号「新ガーデンライフのすすめ」、2003年11月号「団塊の帰農」、2005年8月号「若者はなぜ農山村に向かうのか」がある。「自然と人間を結ぶ」(農村文化運動)も4冊ある。哲学者内山節さんの講演録や文章が載っている。

2001年5月号「地域から変わる日本 地元学とは何か」もあるはずだが、どこかにまぎれこんでいて見当たらない。いや、週末に家庭菜園を楽しむ夏井川渓谷の無量庵にあるのだ、きっと。

さて、「季刊地域」2011年夏号である。特集は①原発災害に立ち向かう②大災害を生き抜いて③むらとまち、地域と世界を結び直す――。①では「までい」の村・福島県飯舘村に焦点を当てる。②では宮城、岩手のハマ、ヤマの人たちの底力を伝える。③では地域からの脱原発・自然エネルギー革命への動きを紹介する。

桜井勝延南相馬市長が「南相馬を原発克服の世界的拠点に」と語り、菅野典雄飯舘村長が「早期帰村希望プラン」を語っている。二人とも酪農家出身。「季刊地域」の読者だという。「自然と人間の交通」(内山節さん)が濃密な地域での生産のあり方、生活のあり方は、おのずと決まってくる。身近な風土に合ったローカルなものを深く耕す以外にないのだ。

農林水産業、およびそれに関連する加工業の世界では、自然を畏(おそ)れ、敬い、活(い)かしながら、生産と生活を営んできた。これからもそうするしかない。

ただ一つ、ビフォー・アフターがあるとすれば、原発から太陽を中心とした自然エネルギーへ、である。黒岩裕治さんが神奈川県知事に当選したのも、保坂展人さんが世田谷区長に当選したのも、このビフォー・アフターの流れを受けたものだ。2人のインタビュー記事も載る。

いわきの人間である私は、すぐ北にある福島第一原発を横目で見ながら、このビフォー・アフターの流れを深く胸に刻む。そういう地域の住民の素朴な願いを、「季刊地域」2011年夏号は幅広く、目配りよく紹介している。

「食とエネルギーの地方分散型セーフティネット構想で列島改造を――大規模集中型のTPPや原発は時代遅れだ」。山田正彦前農林水産大臣の提言は示唆に富む。岩手県の住田町長が震災4日後、地域産材の「気仙杉」を生かして木造仮設住宅100棟の建設を決断し、1カ月余で完成させたという話には目を見張った。アマチュア政府と違うスピード感だ。

肉牛問題が急浮上した今、あらためてこんなことを思う。食糧と防人の供給地であるみちのくは「負けない・へこたれない・あきらめない」の「3ない精神」が必要だと。「季刊地域」2011年夏号に目を通して得た、これは自分自身へのはげましでもある。

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