2011年7月27日水曜日

合同懇親会


日曜日(7月24日)の夕方、近所の料理屋で隣接する3行政区の歴代区長さんらが参加して、合同懇親会が開かれた。

「中神谷(なかかべや)」を頭に冠する行政区は西・北・南の三つ。兼業農家の多い西を中心に、元は一つの行政区だった。当時の世帯数は千数百。いわきでも屈指の大所帯だった。12年前に中神谷西、同北、同南の三つの行政区に分かれた。

現役の区長さんが懇親会開催に尽力した。いきなり副区長になって2年目。私も隅っこに連なった。15人ほどで乾杯したが、分かっている人は半数ほど。ずっと「会社人間」だったから、「社会人間」になるための修業をしなくてはならない。懇親会もその場の一つだ。

少しノドをしめらしたあと、自己紹介を兼ねて先輩方から順にあいさつが始まった。分区前後のいきさつがよくわかった。人が動いて事がなる、である。

「傍観者」を旨とする職業を卒業した今は、「当事者」として暮らしの現場に入り込まなくてはならないと思っているのだが、なかなか“職業病”が治らない。「意識改革を」と自分に言い聞かせている。

懇親会の場では60歳を過ぎても若輩だ。さいわい両隣は元同僚と旧知の元高校校長氏。物故同僚のこと、放射線量のこと、西区で展開されている「万本桜」のことなど、話があっちに飛び、こっちに飛びしながらも、いろいろ情報を手に入れることができた。

わが南区の区長さんからは、前に市役所に陳情した、市営住宅跡地(小学校の校庭ほどの広さがある)の草刈りが完了したことを告げられた。翌朝の散歩時に確かめる=写真。市民の声に行政がこたえる。行政と住民の協働を進めるには、なによりもこうした“響きあい”が大事になる。

夕方、散歩をすると、あるところまで一緒になる近所の人がいる。西区の元区長さんだった。懇親会の席上、初めて言葉を交わした。前よりは少し地域に溶け込めるかな、という思いを抱いた飲み会だった。

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