草野心平記念文学館では、長期開催の企画展とは別に、施設内の通路壁面を利用した無料の「小さな企画展」を開いている。7月11日に「コウノトリと帰らない白鳥展」が始まったことを、15日のブログに書いた。
小川町三島地内の夏井川に残留しているコハクチョウと、そこに飛来したコウノトリの写真を展示し、併せて心平の詩を配して、両者が響き合うような効果を出している。
そしてこれは、コウノトリの写真展に先行して開かれた「心平の愛した花々 春の花編」のなかの、オキナグサの話だ(現在はコウノトリ展と同時に、「心平の愛した花々 夏の花編」を開催中)。
長期開催の企画展「吉村昭と磐城平城」が開幕した翌日曜日(7月6日)、新しい催しとして始まった小さな企画展も見た。そこにオキナグサの詩と写真があった=写真。
それを見た瞬間、宮沢賢治の童話「おきなぐさ」と、かつては山頂にオキナグサの群落がみられたという矢大臣山が頭に浮かんだ。
35年前にそのことを書いた文章がある。かつて勤めていたいわき民報で月に1回、「イワキランドの霧」(全9回)と題して、いわきから姿を消したオオカミ、カワウソ、シカなどの生物を取り上げた。
オキナグサはその3回目で、矢大臣山について聞いた話をベースにしている。それを要約して紹介する。
「うずのしゅげを知ってゐますか。」。賢治の「おきなぐさ」はこの1行から始まる。「うずのしゅげ」はオキナグサのことである。
その作品の概略とオキナグサの生態や形態に触れたあと、矢大臣山から消えたオキナグサについて、次のようにつづっている。
――私は野生のオキナグサを見たことがない。かつてそこに生えていたという矢大臣山にのぼった折、明るく開けた頂上の草原に見たのは、ほかの山野草の盗掘跡だった。1980年ごろまでは確かにそこにオキナグサの群落が見られたのだという。
空に飛び立った銀毛(種)が生き抜く確率は、ほとんどゼロに近いそうだ。死ににゆくようなものだ、とある植物学者はいっている。
そういういのちの哀れさを知ってか知らずか、阿武隈中部の県立自然公園からは、盗掘によってオキナグサが絶滅した――。
さて、心平の詩では、「上小川村」の「根本」に出てくる。「左うぐひす。/右うぐひす。」のあとに、すぐ「おきなぐさやきんぽうげ咲く。/細い橇道。」と続く。そこは地元の人間しか知らない二ツ箭山への小道だろう。
この詩が書かれたのは戦後すぐ。そんな時代、人間の生活が匂うような裏山にもオキナグサが咲いていたのだ。
今も変わらないのは「左うぐひす。/右うぐひす。」。それを口ずさみながら、心平のオキナグサを幻視する。幻の花になって久しい現代、できることはそれしかない。
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