kobaさんという方から、「三春ネギ」=写真・まだ虫の被害がなかった春先の苗=に関連してコメントをいただいた。欄外にもあるが、「田村郡には昔、岩江村がありその中に阿久津町がありました。その岩江村は昭和30年11月、三春町と郡山市へ編入・合併されました。その郡山市に合併された中に阿久津町があります」。
3月27日に当欄で「三春ネギ」と「阿久津ネギ」の関連性について言及した。それへの情報提供だ。
どこの自治体でもそうだが、今の行政区域は昔とは随分異なる。度重なる合併で地名が変わり、行政区域が変動する。阿久津町についてもきちんと変遷をおさえておかなくてはならない。コメントを受けて、『郡山市史』の現代編と別巻に当たった。
その結果、3月27日に当欄で阿久津は郡山市に吸収合併されるまで「田村郡西田村に属していた」と書いたのは、正確ではなかった。kobaさんも触れているが、その前に岩江村の複雑な離合集散があったのである。
『郡山市史』によれば、田村郡岩江村は明治22(1889)年、白岩・下白岩・横川・安原・阿久津・南小泉・北小泉・芹沢・根木屋・山田・上舞木・下舞木の12村が合併してできた。いわゆる「明治の大合併」による新村誕生だったが、5年後には南・北小泉と芹沢の一部が分村して小泉村をつくる。
この岩江村が、昭和30(1955)年の「昭和の大合併」ではバラバラに分解して地上から姿を消す。kobaさんのコメントにもあるように、白岩・下白岩・阿久津・安原・横川・下舞木の全部および上舞木の一部は郡山市に、山田の全部と上舞木の一部(東北部)は三春町に、残る根木屋と芹沢は同じ年に逢隈村と高野村が合併してできた西田村に分割編入された。
阿久津地区は、行政的には「郡山市阿久津町」で「西田村阿久津」だったことはない。昭和40(1965)年、郡山市の大合併からやや遅れて西田村が郡山市に吸収合併されるより10年早く、郡山市の阿久津だったのだ。
「三春ネギ」と「阿久津ネギ」がイコールかどうかは即断できないが、阿久津は三春と地理的に近く、複雑な歴史的経過を経て現在があることが、あらためて分かった。kobaさんに感謝!
3月27日に当欄で「三春ネギ」と「阿久津ネギ」の関連性について言及した。それへの情報提供だ。
どこの自治体でもそうだが、今の行政区域は昔とは随分異なる。度重なる合併で地名が変わり、行政区域が変動する。阿久津町についてもきちんと変遷をおさえておかなくてはならない。コメントを受けて、『郡山市史』の現代編と別巻に当たった。
その結果、3月27日に当欄で阿久津は郡山市に吸収合併されるまで「田村郡西田村に属していた」と書いたのは、正確ではなかった。kobaさんも触れているが、その前に岩江村の複雑な離合集散があったのである。
『郡山市史』によれば、田村郡岩江村は明治22(1889)年、白岩・下白岩・横川・安原・阿久津・南小泉・北小泉・芹沢・根木屋・山田・上舞木・下舞木の12村が合併してできた。いわゆる「明治の大合併」による新村誕生だったが、5年後には南・北小泉と芹沢の一部が分村して小泉村をつくる。
この岩江村が、昭和30(1955)年の「昭和の大合併」ではバラバラに分解して地上から姿を消す。kobaさんのコメントにもあるように、白岩・下白岩・阿久津・安原・横川・下舞木の全部および上舞木の一部は郡山市に、山田の全部と上舞木の一部(東北部)は三春町に、残る根木屋と芹沢は同じ年に逢隈村と高野村が合併してできた西田村に分割編入された。
阿久津地区は、行政的には「郡山市阿久津町」で「西田村阿久津」だったことはない。昭和40(1965)年、郡山市の大合併からやや遅れて西田村が郡山市に吸収合併されるより10年早く、郡山市の阿久津だったのだ。
「三春ネギ」と「阿久津ネギ」がイコールかどうかは即断できないが、阿久津は三春と地理的に近く、複雑な歴史的経過を経て現在があることが、あらためて分かった。kobaさんに感謝!
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