わが家の庭に柿の木がある。アブラゼミが幹に止まって盛んに鳴いている。合間にミンミンゼミも鳴く。それだけでも結構なにぎやかさだ。
カミサンの実家の庭はわが家の比ではない。ケヤキの大木がある。松やヤブツバキもある。そこに蝉=写真=が集まる。蝉が鳴き交わすとすごい音量になる。にぎやかさを通り越して騒々しいくらいだ。「蝉時雨」などと優雅に構えてはいられない。「蝉豪雨」である。
月遅れ盆にその実家へ日参した。新盆回り以外に用事はないのだが、毎年線香をあげに来る人がいる。カミサンはいわばその接待役だ。
庭に臨む奥の部屋で若いケヤキの木に止まっている蝉を数えた。アブラゼミ・ミンミンゼミ・ツクツクホウシ。部屋から見える幹の前面だけで十匹以上いる。1本の木の半面でそうなのだから、ほかの木の分も加えると何十匹になるだろう。それが一斉に鳴く。耳をふさぎたくなる。昼寝などできるものではない。
朝から油照りになった8月15日、終戦記念日はわが家で過ごした。室温は30度を超えている。扇風機を「強」にしても汗がやまない。合間に『かぼちゃと防空ずきん いわきの戦中・戦後を中心に』(いわき地域学會図書18=1994年刊)をパラパラやる。庭の柿の木で蝉が盛んに鳴いている。
「その晩(注・終戦の日の晩)は奇しくも盂蘭盆の日、夜になると民家に灯りが煌々とともり、灯火管制がうそのよう。家族は皆連れ立って墓参り。線香の煙が一面に立ち込め、先祖に、戦争が終わったことを報告する姿に、『ああ、やっぱり平和はなによりもすばらしい』としみじみ思ったものである」(1926年生まれの女性)
「十二時近く私は味噌汁を煮ていた。じゃが芋と玉葱の実だったと思う。(略=玉音放送に)もうお昼を食べるどころではなく、皆オロオロとなった。/味噌汁は煮上がっているのに火を止めるのを忘れ呆然としていた。(略)ふと我にかえるとカナカナが盛んに啼いている。(略)遠い記憶の中で終戦の一日がカナカナ蝉のこと、味噌汁のことだけが思い出される」(1927年生まれの女性)
「敗戦のその日を語る時、私にとってあざやかによみがえるのは、夏をいろどる夾竹桃であり、タチアオイの花である。自分の庭にはないが、その姿をみると胸がつまり『ああ今年もこの花が』と広島の原爆、長崎の原爆を想い起こす」(1936年生まれの女性)
63年前の8月15日も蝉は激しく鳴いていたことだろう。が、ふと我にかえったら夕方になっていた、ヒグラシが鳴いていた。そんな少女がいた。そして、終戦の花の記憶と夜の明かり。それぞれの人がそれぞれの思いで終戦記念日を過ごしたことだろう。
カミサンの実家の庭はわが家の比ではない。ケヤキの大木がある。松やヤブツバキもある。そこに蝉=写真=が集まる。蝉が鳴き交わすとすごい音量になる。にぎやかさを通り越して騒々しいくらいだ。「蝉時雨」などと優雅に構えてはいられない。「蝉豪雨」である。
月遅れ盆にその実家へ日参した。新盆回り以外に用事はないのだが、毎年線香をあげに来る人がいる。カミサンはいわばその接待役だ。
庭に臨む奥の部屋で若いケヤキの木に止まっている蝉を数えた。アブラゼミ・ミンミンゼミ・ツクツクホウシ。部屋から見える幹の前面だけで十匹以上いる。1本の木の半面でそうなのだから、ほかの木の分も加えると何十匹になるだろう。それが一斉に鳴く。耳をふさぎたくなる。昼寝などできるものではない。
朝から油照りになった8月15日、終戦記念日はわが家で過ごした。室温は30度を超えている。扇風機を「強」にしても汗がやまない。合間に『かぼちゃと防空ずきん いわきの戦中・戦後を中心に』(いわき地域学會図書18=1994年刊)をパラパラやる。庭の柿の木で蝉が盛んに鳴いている。
「その晩(注・終戦の日の晩)は奇しくも盂蘭盆の日、夜になると民家に灯りが煌々とともり、灯火管制がうそのよう。家族は皆連れ立って墓参り。線香の煙が一面に立ち込め、先祖に、戦争が終わったことを報告する姿に、『ああ、やっぱり平和はなによりもすばらしい』としみじみ思ったものである」(1926年生まれの女性)
「十二時近く私は味噌汁を煮ていた。じゃが芋と玉葱の実だったと思う。(略=玉音放送に)もうお昼を食べるどころではなく、皆オロオロとなった。/味噌汁は煮上がっているのに火を止めるのを忘れ呆然としていた。(略)ふと我にかえるとカナカナが盛んに啼いている。(略)遠い記憶の中で終戦の一日がカナカナ蝉のこと、味噌汁のことだけが思い出される」(1927年生まれの女性)
「敗戦のその日を語る時、私にとってあざやかによみがえるのは、夏をいろどる夾竹桃であり、タチアオイの花である。自分の庭にはないが、その姿をみると胸がつまり『ああ今年もこの花が』と広島の原爆、長崎の原爆を想い起こす」(1936年生まれの女性)
63年前の8月15日も蝉は激しく鳴いていたことだろう。が、ふと我にかえったら夕方になっていた、ヒグラシが鳴いていた。そんな少女がいた。そして、終戦の花の記憶と夜の明かり。それぞれの人がそれぞれの思いで終戦記念日を過ごしたことだろう。
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